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28.あなたの命は預かるわ

 ローズマリーの花言葉を知るだろうか――その一文が思い出された。追憶、変わらぬ愛、である。怖いと評される花言葉は、あなたは私を蘇らせる。それは肉体ではなく、記憶の話だという。


 過去に夢中で読んだファンタジー小説の一文を呼び起こしたのも、ローズマリーの香りだった。今後の展開を変えるために、私は事前に仕込みをした。その仕掛けがこれから活かされる。


 回廊から離れて庭の奥にある四阿は、野薔薇の蔓が巻き付く質素な木造だった。そのすぐ脇に立つ黒髪の青年へ、銀髪の少年が駆け寄る。嬉しそうに名を呼んだ。


「ユーグ、持ってきたよ」


「助かる。これがあれば子ども達が救われる。借りるぞ」


 手渡したのは、先ほどまで儀式で使われていた聖杯だ。金ではなく銀の足付きグラスに似ている。赤ワインのグラスに似て深く、口は広く作られていた。少年の手にはやや大きい聖杯は、あっさりと引き渡される。


 これが物語通りの展開だった。魔国で苦しむ子ども達を救うため、精霊の力を借りたい。だから少しの間だけ貸してくれないか。魔王ユーグが持ちかけた話だった。子ども達が病に苦しんでいるのは本当だが、借りた聖杯を返す気がない。その部分を言わずに、魔王はリュシアンを騙した。


 勇者として話を拗らせる兄がいないため、物語は一気にクライマックスへ進んでいる。儀式で使った聖杯が偽物だと気付いたハイエルフ達は、魔王の魔力を浴びたリュシアンを責め立て、追放した。そこに待ったを掛けるのが、今回の私の役目よ。


「ちょっとお待ちなさい」


 がさっ、茂みを掻き分け、ローズマリーの香りを纏って現れる――執事の腕に抱かれて。そうじゃないわ、降りなくちゃ。


「降ろしてちょうだい、テオドール」


「嫌です」


「そう……え?」


 思わぬ返答に驚いてしまう。振り仰いだ私の目に映るのは、穏やかな微笑を浮かべた執事テオドール。あなた、私の作戦をちゃんと聞いていたの? ここで魔王を止めないと……あっ!


「また来る、リュシアン」


 甘い囁きを残し、魔王は姿を消した。転移だろう。魔国まで飛ぶほどの転移魔法は存在しないので、おそらく神殿のある領域外まで移動したと思われた。


「逃げちゃったじゃない!」


「お任せください。私はお嬢様の本当の願いを叶えてみせます」


 がくりと力が抜けた私を抱いたまま、リュシアンの前に進み出たテオドールは、ようやく私の足を地に着けた。正直、遅いけどね。


「なぜ、あなた方が」


「その前にお伺いします。あの聖杯がないと国が亡びると知りつつ、渡したのですか?」


「貸しただけだ。すぐに戻れば問題ない」


 ぶっきらぼうな口調でリュシアンが反論する。ああ、やっぱり彼は裏切られたと気づいていない。魔王ユーグは聖杯を奪うために、あなたを騙したのに。


 胸の奥がツンと痛んだ。


「魔王ユーグが返すとでも? 彼は一度でもそう誓いましたか?」


 魔族は平気で嘘をつく。だが誓いを立てれば必ず守る。それは契約も然りだった。目を見開いたリュシアンの目が彷徨う。気付いたのだ、一度も誓われていないことに。言葉巧みに幼子の助命を願う彼に絆され、誓いを求めなかった。致命的な失態に、リュシアンの顔色が青褪めていく。美形って、どんな表情してても綺麗で得よね。


「聖杯が!?」


「偽物だぞ!!」


 神殿の中から聞こえた騒ぎに、彼はがくりと膝を突いた。リュシアンがいないことに気づくのも、時間の問題だ。震える彼に私は手を差し伸べた。


「救われたいなら手を取りなさい。私があなたを生かしてあげる」


「なぜ……」


「答えはイエスかノー、二つにひとつよ」


 僅かな逡巡の後、リュシアンは私の手を握った。


「あなたの命は預かるわ。何があっても、口を開いてはダメよ。反論も口答えも禁止する。いいわね」


 頷く姿は力無く、無力感に打ちひしがれていた。安心していいわ、私はあなたを救うために来たんだもの。必ず連れ帰る!

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