【サポーター特典SS】※2022/08/20公開
ブリュンヒルト・ローゼンミュラー・シュトゥッケンシュミット――大陸一の巨大国シュトルンツの次期女王にして、俺の飼い主だ。過去の厳しい訓練や毒の摂取は、お嬢様を守るために役立つ。そう思えば、あの命懸けの日々も悪くなかったと思えた。
ハレムがある小国の第43王子なんて、国が亡びたら何の価値もない。見目麗しい女達が産んだ王の子どもは、二種類に分類された。高く売れたか、売れ残ったか。まだ幼かった俺は売れ残りに分類される。その頃は絶望したが、今になれば幸運だったのだろう。
売られた姉や兄は性的に搾取された。見た目のいい女が産んだ子は、当然外見が整っている。性奴隷として売買された王子や王女は、消耗が激しい顧客に売られた。つまり、嗜虐性が高くて破損率が高い主人が主な出荷先だ。この篩で漏れたことが、俺の人生を決めた。
幼かった兄弟姉妹と共に、纏め売りされた俺は地下組織に引き取られ……毒を与えられた。毎日毒を食らい、生き残った者に様々な暗器の使い方を仕込む。元から生きる資質の高い者が残り、さらに厳しい訓練で数を減らした。
あの頃の記憶はぼんやりと霞んでいる。はっきり覚えているのは――生きたい、その渇望だけだ。死にたくないのではなく、生きたかった。服従の魔法陣が刻まれた首輪の俺を拾ったお嬢様は、その白い手で躊躇いなく俺に触れる。汚いのに、臭いだろうに。顔を顰めることはなかった。
柔らかく白い手は、複雑な魔法陣をひとつずつ解く。その手に握られた俺の日焼けした醜い手が、初めて価値を得た。この方を守るため、俺は生きてきたのだ。心の底からそう思えた。
「私が拾ったから私のものよ」
傲慢にも思える口調で告げるお嬢様に、近くで仕えたいと願った。老齢の執事長に預けられることが決まり、笑顔でお嬢様は約束をくれる。
「男性の従者は、王太女のそばに侍ることが出来ないの。唯一の例外は騎士と執事よ。あなたは私の近くにいたいのでしょう? ならば執事の方が触れる機会が多いわ」
それは許しのように聞こえた。お傍で侍り、お役に立つことを許される。そのために執事としての礼儀作法を身に着けた。宝石やドレスの種類、お茶の淹れ方から様々な購入品の知識、取引先や貴族の顔と名前、帳簿を管理するに至るまで。
知らないことがあれば、貪欲に知識を吸収する。万が一にも、お嬢様からの問いに「知らない」と答えることがないように。最後には医師の資格も取得した。一時的にお嬢様の隣を離れることに後ろ髪を引かれたが、未来のために我慢する。その代わり、飛び級で卒業資格を得た。
「テオドール、あなたのお茶が一番美味しいわ」
微笑むお嬢様に「ありがとうございます」と丁寧に応じる。ここで謙遜してはならず、謙ってもいけない。お辞儀の角度をきっちり定められた秒数だけ維持し、さっと姿勢を正した。穏やかな笑みを浮かべ、侍女より近い位置に立つ。
執事という仕事は、意外にも俺の性に合っていた。元から王子と言っても名ばかり、身の回りのことは自分で片付ける。使用人の立場でも、元王子の境遇は大差なかった。
部屋の広さもさほど変わらず、逆に料理や制服は王子だった頃より格段に質が上がる。消耗品だが高級に分類される蝋燭や石鹸はふんだんに配給され、個室に風呂やトイレまで完備された状況は、好待遇といって差し支えなかった。だが一番驚いたのが、これは俺が特別なわけではなかったことだ。
侍女や侍従に至るまで、王宮の使用人は個室を与えられる。男爵や子爵の嫡子以外が、こぞって王宮の使用人を目指す理由は、ここにあるのだろう。多くの志願者がいれば、王宮が選ぶ側に立って采配できる。有能な人材が集結するのは当然だった。
「合格です」
老執事にそう宣言された日から、俺はお嬢様専属執事となった。未来の女王陛下のもっとも近くでお世話し、誰より信頼されるべき存在だ。だからこそ――離れた僅かな隙をついた愚か者の処分は、感情のままに過酷だった。
氷で覆われた馬車は、本来お嬢様が乗るものではない。侍女達と狭い馬車で防戦したなら、この氷はお嬢様の精霊魔法か。無理をさせてしまった。悔やまれるが、今は敵の排除だ。毛皮を焦がした獣人の首筋に短剣を突き立てる。隣の男が爪を繰り出すが、蹴りで弾いて首を折った。
「テオドール、数人生かしておいてちょうだい」
簡単そうに命じるその声に、俺はほっとした。ご無事らしい。少なくとも普段通りの声を出せる状況なのだ。命令に背く気はないが、不満を表明するために黙った。その間に飛びかかってきた男を蹴り飛ばし、手首の骨を砕く。さらに足の骨も砕いた。これで逃げる余裕はないだろう。
「テオ、聞こえたの?」
「承知いたしました」
我が侭なお嬢様だ。でも、そこがいい。愛称を呼んだのなら、ご褒美がもらえるはず。命じられた通り、数人を残して埋めてしまおう。お嬢様の美しい瞳に、汚らわしい景色が映らぬように。ああ、でも褒めていただくために成果が見える形にしなくては。
あれこれと考え、首を残して体を埋めた。扉を開ける許可を得て、優雅に一礼して手を差し伸べる。氷など障害にならない。
「大変お待たせいたしました、お嬢様」
微笑んだ俺は、お嬢様の手に触れて悲鳴を上げた。あいつら、もっと苦しめてやるんだった。後悔をうっかり声に出してしまったが、お嬢様は笑って受け流す。すぐにでもご褒美が欲しいところだが、ここは我慢だろう。
お嬢様のものになれなかったら、俺は生きるだけだった。生きる喜びを得たのは、ブリュンヒルトお嬢様がおられるから。この方が大陸を制覇すると決めたなら、どんな手段を用いても支え手助けするのが俺の役目だ。――あなた様に栄光を。
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