応援部隊
月曜日、目覚まし時計でセットした時間より早く、目が覚めてしまった。起きたのは五時前、いくらなんでも早すぎだ。朝食前に『ヤマシロ』のまわりを散歩することにする。
山の裾野を縫うように歩く。畑と建物が共存した町並み、のどかな光景だ。歩いていたら、これまでの『ヤマシロ』での出来事が頭に浮かんでくる。『ヤマシロ』のコントロールセンター、運用センター、データセンター。レベル4変更の失敗の原因、切替器のリモート制御、監視盤に隠されたプロセス。そして設備管理室の端末。私は一通りを思い返した。
現象の把握が済んで、なんとか原因を掴むことが出来た。そしたら新たな疑問が出て、いくつかはまだ残っている。これらの現象の本質はなんだろう。散歩をしていると、次第に大事なことだけが残り、残りは重力で道に落ちていく。たまにそんな感覚になることがあった。
切替器の変更、偽の制御信号。両方とも監視盤から命令が出ていた。そして、その監視盤の操作は、設備管理室の端末から行われていた。端末は設備管理室で毎日業務で使っている。操作された端末は、最近まで倉庫で眠っていた。あと残っている問題はこれだと思う。たぶん時系列で考える必要があるのだ。
私は立ち止まって、辺りを見回してみた。新鮮な空気を改めて感じる。『ヤマシロ』がある山、孤立峰というには大げさだが、周辺数キロに遮るものがない。その一歩先からは山脈が始まるので、雲自体は出来やすい場所だ。一連の調査で『ヤマシロ』を調べた時に読んだ情報を思い出した。『ヤマシロ』からは眺めがいい。それも野外実験に適した地形だからだろう。
さらに歩いていたら、『ヤマシロ』の地形への興味が消えていく。代わって浮かんできたのは、やっぱり設備管理室のことだ。毎日の端末での作業、事故を起こす仕掛けを誰か知っていたんだろうか。意図的な操作でなかったとしたら、仕掛けを作った人間は何を狙ったんだろう。いや、何も狙っていない可能性もある。仕掛けを作った人間には別の目的があって、今回の事故は本当に偶然起こったとか。それも考えられない話じゃない。
一通り考えをまとめると、朝の散歩を終えた。ホテルで朝食を済ませ、いつものルートで『ヤマシロ』へ向かう。坂道が終わるまでに、今週の作戦を練っておくことにしよう。今日からは、調査委員会のメンバーが一人増えるのだから。
『ヤマシロ』の二階、受付フロアに懐かしい顔を見つけた。頼もしい助っ人だ。
「よお。」
同期のイサキだ。一緒に二階フロアに降りてきたミエに、すぐに紹介する。
「こいつが私の同期のイサキです。今日から調査委員会のメンバーに加わってもらいます。」
「この前は画面越しに失礼しました。改めまして、ミエです。一緒にお仕事ができて光栄です。」
「光栄って、こいつに付き合いにきただけですよ。ともかくよろしく、ミエさん。」
イサキはそう言って、ミエに挨拶をした。
「連絡頂ければ、駅までお迎えしましたのに。」
私が着いた初日にも、聞いたようなセリフだ。
「いや、サナダが迎えに行くと言ったんですが、現地集合でいいって断りました。歩かされるから。」
そういえばイサキは歩くのが嫌いだ。以前の現場での移動で、何度か嫌な顔をされたのを思い出す。
「そういえばサナダさん、いつもここまで歩きで来てますね。」
「よくご存知で。」
そんな会話をした記憶がなかったので、私はミエに聞き返した。
「総務課の窓から、駐車場の方がよく見えますから。」
そういうものかと窓の方を見る。ミエが私の出社を確認していた方法を初めて知った。視線を外していた私に、イサキが肩を寄せてくる。
「お前は信用あるな。ボスがあっさり許可を出した。」
「あの人とは一緒の仕事が多かったからさ。それに現地調査員の追加は元からの計画だ。」
私は先週、イサキの上役と電話で話していた。次の週から現地入りという無理な要請が通ったのは、その交渉がうまくいったおかげだった。
イサキの荷物を三階の技術局長室に置くと、そのままミエと三人で設備管理室へ向かった。
「ウスイさん、今いいですか?」
三階の設備管理室にはウスイがいた。今日はアヤが休みのようだった。
「ああ、はい、どうぞ。アヤから聞いてますよ。」
「切替器の件、確認ありがとうございました。」
「いやいや。付き合いの長かったメーカーさんですから。昔話が盛り上がってしまった。」
気の合う仲間だったのだろうか、ウスイはいつも以上に穏やかな表情だ。
「こちらイサキさん。調査委員会の新しいメンバーなの。例の端末を見せてもらおうと思って。」
ミエはそう言ってイサキを紹介する。イサキは無言で軽く会釈をした。問題になっている端末は、この前と同じ場所にあったが、電源コードもネットワーク線も外されていた。ミエによってテープを貼られて、画面が開けない状態になっている。
「これ、外していいかい?」
イサキはそう言って、すぐに端末の調査に入る。電源コードを挿し直した。
ネットワーク線を外したまま端末を起動して、イサキは確認を始めた。その作業を皆で見守って、しばらく無言の時間になる。イサキは何も説明する気はないようだ。間を埋めるために、私はウスイに話しかける。
「不自由をおかけしてまして、すいません。」
「いえいえ。事故の調査なんですよね。何でも言って下さい。」
「ありがとうございます。」
私は軽く頭を下げた。
「それにしても、この端末が事故に関係しているんですって。私には全く想像がつかない。」
ウスイはそう言って、私の顔を見る。純粋に不思議がっているようだ。
「まだ調査中なので、なんとも言えないのですが。調べてみる価値が十分にあります。」
「そんなものですか。」
調査内容の具体をどこまで話すか、線引きを私は考えてなかった。だから少しだけ話題をずらす。
「この端末を使い始めたのは、最近なんですね。」
「ええ。倉庫にいくつか、中古だけど動くマシンがあるって聞きましてね。」
「倉庫で眠らせるなら勿体ない話だ。」
「はい。買った当時ではハイスペックです。そのストックを一つもらいました。」
「前はどこで使っていた端末ですか?」
「いや、それは。在庫があるって聞いたので、それで申請しただけですから。」
「そうですよね・・。」
端末に向かっていたイサキが、ふいに手を挙げた。
「その調査は重要だぜ。」
「もう何か分かったの?」
イサキの背中を向かって、私は話の先を促す。
「解析はこれからだ。ただ、この端末に不正プログラムが入っているのは間違いない。確定だ。」
「え?」
「実際に不正プログラムを見つけた。解析もこれからやる。」
「見込み通りってわけか。」
「まあな。」
「そして、その不正プログラムが仕込まれたのは四年も前だ。倉庫で眠っている時には準備完了していたのさ。だから、昔どこで使われていたかが重要になる。」
「時期は四年前で、間違いないのかい?」
「監視盤に仕込まれていたのも四年前だった。」
「なるほど。」
「その端末のことは、後で報告できると思います。」
ミエが静かに言った。そういえば彼女の調査も進行中のはずだ。
「イサキ、不正プログラムの解析は、どのくらい時間が要る?」
「のんびりやらせてくれ。でもまあ、半日もかからない。」
「ずっとここで解析するわけにもいかないな。」
「こちらは全然構いませんよ。」
ウスイにはそう言われたものの、私はイサキに向かって聞く。
「端末は移動させても問題ないんだろう?」
「ああ、ネットワークの情報は確認したからもういい。」
「じゃあ持っていこう。」
端末は小型なので移動は簡単だ。私たちは端末を技術局長室に持ち帰った。
技術局長室に戻ると、イサキは端末の解析を再開した。イサキの邪魔をしないよう、私は別作業を始める。
地下倉庫から運び込んだ図面や記録は、まだ技術局長室に置いてあった。私は過去の資料で、設備管理室の端末に関する情報がないか調べてみる。
過去の資料を見直すのに二時間ほどを費やしたが、特に収穫はなかった。イサキとミエはそれぞれに問題の端末を調べている。私も何かしておきたいと、情報が得られそうな所を考えた。あまり期待はしなかったが、コントロールセンターに向かう。
コントロールセンターで、私はベテラン技術員の一人を捕まえて相談をした。
「昔の端末の情報なんてありませんよ。ここで分かるのは、最近のアドレス記録くらいですから。」
やはり情報の入手は難しいことが分かる。なんの手がかりも私は得られなかった。
「手間をとらせました。ありがとう。」
「あとミエさんからの問い合わせ内容も、ご報告していいですか。」
「なんの話でしたっけ?」
「ネットワークの外部からの侵入があったかです。事故があった時期から、もう一度洗い直しましたが、やっぱり何も見つかりませんでした。身元の分かっている所からのアクセスだけです。」
ミエにそれも頼んでいた。全てが四年前に準備されていたら、侵入がなくても不思議はない。もう外部からの侵入者を考えるのは止めておこう。
「気になったのは本社からのアクセスです。先週の金曜からで、時間は合わないですね。これがいつもと違うと言えば違います。」
それはイサキが調査でここに入ったものだろう。タイミング的に間違いなさそうだ。
「本社からの侵入は、私が依頼した調査のものだと思います。」
「そうですか。お役に立てず残念です。」
「いえ、可能性を一つ潰せたんですから大きいです。ありがとう。」
そう言うと、私は技術員の席を離れた。コントロールセンターを縦断する形で、私は出口へ向かう。その時、正面の大型モニターでアラームが出ているのに気づいた。私は慌てて大型モニターに近づく。
『監視盤B9』、私が切り離しを頼んだ監視盤だ。そうだ、今はここが繋がっていないのが正常なのだ。私はコントロールセンターを後にした。
技術局長室へ戻ろうとすると、ちょうどミエが部屋の前にいた。
「あ、ミエさん。あの端末が昔どこにあったか、こっちでは全然分かりませんでした。そちらはどうですか?」
「ええ、今から報告しますね。」
笑顔でミエは言った。たぶん良い報告が聞けそうだ。私たちは技術局長室に入った。
部屋の中ではイサキがまだ解析の作業中だった。私に向かってミエは報告を始め、イサキは作業をしながら片耳だけ聞く形になる。
「半年に一度、資産確認してるから、その管理番号で調べました。移動記録は五年で何回かあったわ。」
「記録があって良かった。」
「修理記録はないから交換とかはされてないはず。今から五年前に最初に登録された時はここでした。」
「ここ?」
「当時と変わっていません。この技術局長室。」
「・・・。」
「局長の退任時に一旦倉庫に移されている。それからコントロールセンターで半年くらい使っていたんだけど、二年前にですね。端末の入れ替えで古いのは倉庫に入れられた。そして今月から管理室での利用が始まる。三回目のお役目ってわけです。」
「不正プログラムが作られた四年前は?」
背中を向けたまま、イサキが質問を口にした。
「それなら技術局長室ってことになるわ。」
「不正プログラムを仕込んだのは、技術局長ってことか?」
「まさか。」
「仕込む環境として一番ありえるけどな。まあ、分からん。」
言うだけ言ってイサキは自分の作業に戻ってしまったので、ミエと私は無言になる。イサキの言う通り、この技術局長室なら人目を気にせずに不正プログラムの準備を出来ただろう。
夕方になってイサキの解析は終わった。そこで私たち三人は、ここまでのまとめと今後の作戦会議を開くことした。
「施設管理の端末の仕掛けは、監視盤のよりちょっと複雑だった。」
「複雑?」
作戦会議の最初は、イサキの調査結果の報告からだ。
「条件に合う時だけタイマーがセットされる。それで深夜に例の命令を監視盤に送っている。」
「条件ってレベル4以上のチェックですか?」
ミエが聞くと、イサキがすぐに答える。
「その通り。送信ってボタンがあっただろ。」
「ああ、最後に押すボタン?」
「そう。送信ボタンが押されると、業務用アプリは、数か所にアクセスして保存を完了させる。チェックが入っている時だけ、アクセス先が一つ増えるんだ。」
「アクセス先を増やす不正プログラム?」
怪訝そうにミエが声を上げた。それを聞いたイサキは、勿体ぶって説明を続ける。
「いや、アクセス先が増えるのは正常な動作さ。メール送信のために必要だ。ただ、そのアクセスを端末の内部で監視していた。メール送信用のアクセスがされたら、この端末の中でタイマーが設定される。あとは二回に分けて午前一時半と午前三時に、それぞれ監視盤へ命令を出すってわけさ。」
「なるほどね。この端末を使ってないとタイマーは動かないから、端末が倉庫にいる間は問題は発生しなかったってわけだ。」
辻褄が合うなと思いながら、私は言った。
「四年前に不正プログラムが作られたって言ってましたよね?」
ミエは手元のメモを見ながら、イサキに聞いた。
「ああ、この端末のファイルの更新時間がそうだった。更新時間は偽装されてなかったし、監視盤も同じだった。」
「この端末はコントロールセンターにもあったんですよ。もっと頻繁に事故が起きていた気がするけど。」
「レベル4以上の試験を記録するオペレーションがなかったから、じゃないかな。」
たいして考えた様子もなく、イサキは答えた。
「そうか、そうかもしれませんね。考えてみたらレベル4以上の試験チェックは、施設管理が使うメニューにしかなかったです。」
ミエとイサキの会話を聞いて、私は気になったことを口にした。
「この端末が設備管理室で使われるなんて、四年前に予想できるかな?」
「普通に考えたらないな。」
「じゃあ、なんで、そんな条件にしたんだろう?」
「今回は偶然と思った方が自然だ。」
イサキの意見は私と同じだった。
「であれば本来の目的は?」
「さあ、なんだろうな。」
そこでイサキと私はそれぞれ無言になった。二人とも何も思いつかなかったのだ。しばらくして口を開いたのはミエだった。
「前のシステム更新の時にも、事故が多発したそうよ。」
「え?」
そういえば似たような話を、ウスイからも聞いた気がする。
「それで大きな人事異動があったって聞いたわ。当時の技術局長がそのせいで会社を辞めたって。私の赴任前だから直接は知らないけど。」
「当時の事故って?」
「今回と同じことが起きていたのかも。」
「・・・。」
「そりゃあ推定だ。それだけで物事をいろいろ結びつけるのは、無理がある。」
イサキがそう言うと、ミエも頷いた。
「そうよね。何かしら証拠がないとね。」
「そうだとしても、事故発生のメカニズムは解明できただろう。技術的な抑えはこれで十分だ。後は犯人探しだな。」
確かに今日までで、現象は明確になってきた。技術的な謎は解消されたと言っていい。後は、誰がやったか、なぜしたか、に集約されそうだ。
「まあ、この後は記録を探す話がメインになるかもしれない。」
私がそう言うと、イサキはにやりと笑った。
「俺は仕事がなくなったな。」
「ねえ、イサキさん。誰が作ったプログラムかは分からないの?」
イサキのサボりぐせを見抜いたのか、ミエが聞いてきた。
「それは無理だ。今さらログイン記録もないし。」
「プログラムの書き方に特徴って出るんじゃない?」
「普通のプログラムなら多少はあるが、今回は不正プログラムだ。逆に誰かの書き方を真似て、自分に疑いが向かないようにしている可能性だってある。」
「まあ、確かにそうだな。」
その点は私も同意した。証拠にはならないだろう。
「あとは人事の話だろ。俺の仕事は一日で終わり。明日はこのあたりを観光でもしようかな。」
イサキはのんきに言った。その時、私には迷いが出ていた。自分たちの調査範囲を決めかねていたのだ。今回の事故は、悪意ある処理を内部の人間が行った可能性が高い。でも、それは四年前の話だ。この後、私がすべきことはなんだろう。