原因究明
太陽が雲に覆われていた。その雲は厚くはなく、明るさは十分に感じられる。ホテルの窓から見上げる空は、今日はまた違う表情を見せてくれた。
『ヤマシロ』までの上り坂を、時間をかけて歩く。まずは頭の整理をしっかりしておこう、歩き始めてすぐに私は思った。
切替器が『接続』になる直接の原因は分かった。『監視盤B9』から切替命令が出ていたためだ。午前一時半の現象については、調査が大きく進んでいる。
午前三時に出た偽の制御信号は、まだ経路が分かっていない。『監視盤B9』から切替器、この制御線が関係しているかと疑ったのだが、午前三時については見込み違いだった。
果たして偽の制御信号は、午前三時に出ているんだろうか。私はまだ一度も捕まえていない。いや、証拠が何もないのだ。まだ隠された仕掛けがあると考えておいた方がいい。
見つけていない仕掛け、一体なんだろう。調べるには、偽の信号を制御線のどこかで捕まえなくてはならない。午前三時に、制御線のどこかで網を張っておこうか。ただ、闇雲に測定器を仕掛けていたら、何十回と試験が必要になってしまう。
午前一時半の話だって、全て判明したわけではない。分かったのは監視盤から切替器というルートだけだ。監視盤はどこかから命令を受けているのか、それだって追う必要がある。
今日はどこまで調べられるだろうか。監視盤の解析結果によって、やることは随分変わりそうだな、気がつけば『ヤマシロ』が目前に広がっていた。曇り空のせいだ、今日は『ヤマシロ』が空に映えていない。
三階の技術局長室、ノックと同時にミエが顔を出す。
「私の聞き込みはなんだったの、って思ってしまいます。」
ミエの第一声だ。最初に言いたかったのだろう。
「いろいろな可能性を考えて調べることは有益です。そのうちの当たりを誰が引くかは、クジみたいなもんですよ。」
「そんなこと言って、サナダさんは最初から予想してたんじゃないかしら?」
ミエは、少しトゲのある言い方だ。
「いや、一つ一つやっていかないと、分かるもんじゃないですよ。」
「技術者って秘密主義なところがあるから。」
「いろんな可能性が浮かび過ぎて、確実な証拠がないと信じない人が多いだけ、だと思います。」
ミエのぼやきは、ひとしきり続いた。ただ彼女にしても調査に進展があったのは嬉しいようで、いつもより声のトーンは明るかった。
「まずは『監視盤B9』の解析です。この不審な機材は、早く取り除いておきたい。」
「ええ、もちろん。」
「おそらく『監視盤B9』には不正プログラムが仕込まれています。いつ用意されたか、調査を進めます。」
「その不正プログラムは、サナダさんが調べるんですか?」
「本社の詳しい人間に応援を頼みました。リモートログインして、調査を始めているはずです。」
「そうですか。私に何かお手伝いできることはありますか?」
「監視盤にこっそり不正プログラムを入れる方法ってありますかね? 外部からの不正アクセスがあったか、とか。」
その時、イサキからの連絡がきた。ちょうど良い、ミエにも聞いてもらおうとビデオ通話を開始した。
「面白いもん、送ってくれたな。」
画面にはイサキの顔が映った。
「すまないな。」
そう言いながら、私は手元のカメラで自分とミエが映るように調整する。
「こちらはミエさん。私と一緒に事故の調査をしている。」
「ああ、どうも。」
「はじめまして。」
初対面の人間をたいして気にした様子もなく、イサキは話を始めた。
「とりあえず調べられることは終わったんで、伝えておく。」
「ああ、よろしく頼む。」
ビデオ通話で、イサキの端末の画面が映し出された。
「不正な切替がされた時刻は分かっている。監視盤のコンピューターに入って、その時間に動いていたプロセスを調べたんだ。すぐに信号を出しているプロセスは見つかったよ。」
コンピューターの中では、役割ごとに多くのプログラムが動いている。それをプロセスと呼んで、イサキは解説した。
「こいつだ。小さなバイナリーファイル。メモリ管理のプロセスに似せて作ってある。」
画面でイサキは問題のプロセスを示してみせる。バイナリーファイルとは、コンピューター向け言語に変換されたファイルで、そのままでは人間が理解できない。
「このプログラムを実行する。そうすると、違う言語のプログラムが現れるってわけだ。」
イサキが、そのファイルを実行すると、画面には新たなプログラムが現れた。
「なるほど、このプログラムなら私でも分かる。」
「バイナリーを実行した結果を、プログラムとして再び実行する。コンピューターウィルスの定番やりかたの一つさ。不正なプログラムは合計三つで、起動プロセスは一つだけだ。」
「もうそこまで特定できたのか。すぐに削除だな。」
「もうコピーは取ってある。やっていいなら、この後に削除しておく。ところでな。」
イサキはここで言葉を切った。画面の右上には、頬を緩めたイサキの顔が映っている。調査を楽しんでいる時、イサキがたまにする表情だ。
「同じような仕掛けで、別のプログラムも動いていたぜ。」
「別のプログラム?」
「これは信号を出すんじゃなくてな。他のコンピューターに命令を実行させている。」
「他のコンピューター?」
「監視盤は何台かのコンピューターと繋がっているだろう? 接続方式がいくつか混ざっている。」
「そうだったか?」
『監視盤B9』は、切替器以外にも数台のコンピューターの監視を行っている。それは制御線でなくネットワーク線を使っていたはずだ。
「ああ、細工しやすい接続方式のコンピューターを狙ったみたいだ。」
「監視盤は、そのコンピューターと切替器の二つを操作していたってこと?」
「そう。そのコンピューターも制御信号カードを持っている。監視盤が直接カードへ命令していた。だから通常の送信ログには残らない。」
「それって・・」
「そっちの事故のことは詳しく知らないけどな。不正な仕掛けは監視盤に巣食って、システムの各所にいたずらしているってことさ。」
イサキは満足げにまた笑う。十分なことが分かったのだから、イサキがいくら自慢話をしても私は構わなかった。
「ありがとう。やっぱりお前に頼んで良かったよ。」
「サナダさん、途中から分からなくなったんだけど、新しいことが分かったの?」
画面から目を離したミエは、私に聞く。
「ええ。理屈が全部揃ったというか、説明が出来るようになりました。」
「午前三時の現象も、監視盤がおかしな動きをしたせい?」
「はい、どうやらそのようです。」
「そうなの。これで不正を行った人も特定が出来るといいけど。」
「いや、それはちょっと違う話ですね。」
ミエと私の会話の途中で、イサキがまた別の情報を話し始めた。
「参考になるか分からないけどな。このプログラム、入り込んで実行させる部分の細工はないんだ。」
「どういう意味だ?」
「気づかないように外部から入り込んで、秘密の処理を仕込む、その部分の仕掛けはない。プログラム自身の存在だけを誤魔化している。その辺がそこらのコンピューターウィルスとの違い。」
「外部からの侵入じゃない?」
「それは分からないな。ただコンピューターに直接入って処理したんだろう。外部ネットワークからいきなり入って、こんな細かい工作できないだろ。連携システム全体が分かっている必要がある。このシステムの構築に関わった人間じゃないか。」
「なるほどね。」
考えてみれば、切替器のリモート制御を知っている時点で、内部の人間が関わった可能性が高い。
「怪しいのがいるか?」
その問いかけの答えを私は持っていなかった。イサキには別の質問をしてみる。
「起動させるきっかけって分かっている?」
「ここのネットワークからのアクセスだね。アドレスは一つで、たぶん同一の端末からだ。」
「さすがだね、ありがとう。」
仕事に抜かりがない、たいしたものだ、私はイサキの調査能力に本当に感心した。
「監視盤に命令を出したアドレスは送っておく。そこから午前一時半と午前三時に接続されたんだ。」
「ありがとう。」
アドレスとはネットワーク上の番地情報だ。ネットワーク上にいる端末に、それぞれ割り振られた住所と言っていい。アドレスが分かれば、その住所を持つコンピューターはすぐに特定できる。私とミエはコントロールセンターでアドレスの照会をすると、すぐに命令を出した端末のある場所へ向かった。
『ヤマシロ』の三階、目立たぬ一角に設備管理室はあった。この時間、設備管理室にはマヤだけがいた。
「午前一時半なんて、ここには誰もいませんよ。」
「そうですよね。夜はここはいつも真っ暗だった。でも、この端末は電源を付けっ放しですよね?」
私はそう言って、机の上にある端末に手を置いた。これが問題のアドレスを持っている。
「はい。」
「この端末は何の作業用ですか?」
「設備の記録を入れたり、連絡事項を見たり。どの部屋にもあるんじゃないかな。」
マヤが操作すると、端末の画面は業務用のデータ入力画面に変わった。
「そうね。特別なシステムじゃないわ。」
マヤの発言にミエも頷く。そういえば、私もこの画面を見たことがあった。確か定時報告を読んだ時だ。
「この端末の操作は、ウスイさんとマヤさんと二人だけ?」
「基本的にはそうです。」
「今日はどんな操作をしたか教えて下さい。」
「いつも通りですよ。朝から何度か。」
そう言ってマヤは、画面を操作しながら説明していく。業務開始の記録、連絡事項の確認、定時報告の入力、画面がどんどん変わっていった。
「この三日くらいで、特別にした操作はないですか?」
「特にないと思うけど。」
「なんでもいいんです。細かいことでもいいので、思い出せませんか?」
マヤは端末を操作して、数日分の記録をまとめて読み返す。しばらくしてから言った。
「ええと・・。最近よく試験してるでしょ。コントロールセンターでレベル4以上の試験があったら、定時報告のチェック欄にマークを入れておく、これくらいかな。」
「チェックすると、どうなるんです?」
「運用センターに連絡メールが届くと聞いてます。決まりでやっているだけで、あまり詳しくは知りませんが。」
「運用センターに確認するわ。」
間髪を入れずにミエが言った。
「ほかに最近変わったことはないですか?」
「例の事故があったけど、それ以外には特にないと思います。」
「小さなことでも構わないので。この部屋の中で、何か変化はなかったですか?」
「ええと、この端末を増やしたのが一か月前くらいかな。窓際のこっち、前から使っているのが最近調子が悪くて、今は二台にしてあるんです。」
「じゃあ、新しいアドレスが最近増えたんですね。」
「ええ。」
「端末は新品ではなさそうだ。」
「父がどっかから用意してました。」
「そうですか。」
「父は今日は休みですけど、明日は出社します。」
「分かりました。何か影響している可能性があるので、この端末、一旦ネットワークから外させて下さい。業務はもう一台ので、やってもらっていいですか?」
「はい、たまに動きが遅くなるんですど、まだ使えますので。」
アヤに確認をとって、私はネットワーク線を外した。それから端末を調べようかと思ったが、ここはもっと詳しい人間に任せておいた方がいいと手を止める。
「ちょっと本社に電話してきます。」
そう言って、私は設備管理室を後にした。
本社への連絡を終えると、私は同じ三階のコントロールセンターに入った。そこで『監視盤B9』からネットワーク線も外すように依頼をする。制御ケーブルは昨日から外してあるが、イサキからの情報を聞いて対応を広げることにしたのだ。
技術局長室へ戻ると、私は次の作戦を考えた。設備管理室の端末には、何か秘密がある可能性が高い。解析が必要だ。切替器とあの端末だけで、過去二回の事故は説明できるかもしれない。イサキは、不正プログラムは『ヤマシロ』の内部で仕込まれたと推測していた。そんなことは可能なんだろうか。
少し遅れてミエが入っていた。他の部署で聞き取りをするからと別行動をしたが、そちらの調べが終わったようだ。
「運用センターには、お知らせメールは届いていたわ。ずっと昔から。でも、来たメールを見るくらいで、それで作業することはないそうよ。」
「メールが届いているなら、見た目の動きは正常ってことですね。」
「あと、マヤさんがお父さんに電話してくれたんだけど、端末は倉庫にずっと保管されていたみたい。ちゃんと手続きをとっていたわ。」
ミエは手元のメモを見て話を続ける。
「それからもう一つ、ウスイさんから伝言です。切替器は初期型も今のも中身は全く同じものだったって。今日、メーカーに電話してたらしいの。」
「それも重要な情報ですね。監視盤が切替器を操作している、その裏付けになります。」
「いろんなことが分かりましたね。」
「はい。設備管理室の端末から監視盤を通して、切替器の操作とレベル変更が実行された。しかも、午前一時半と午前三時に時間を分けている。なかなか手がこんでます。」
「ええ、確かに。」
そこでミエがため息をつく。
「いったい誰が、こんなこと仕込んだんでしょうね。」
今日は新しい情報が増えた。そのことで、新しい調査も必要になっている。私は精一杯、思考を巡らせた。
「ミエさん、あの端末のこと、もうすこし調べられますか?」
「端末の何をですか?」
「どのくらい倉庫にあったのか、以前はどこで使っていたか、とかです。」
こういう調査は、私はあまり得意ではない。だから、まずミエに相談をしてみた。
「やってみます。」
「助かります。ありがとう。」
「私は総務課の人間ですよ。」
ミエの言い方には、なにかしら自信があるように聞こえた。しばらくは結果を待つことにしよう。
調査が一区切りついたので、その日は私は早めにホテルに戻ることにした。そういえば今日は金曜日だ。週末の対応をコントロールセンターへ依頼する。
午前二時過ぎにデーターセンターの切替器の『切断』を確認して、問題が起これば深夜でも私に連絡するように伝えた。昼間に試験はしないし、監視盤も切り離しているが念のためだ。
その週末、コントロールセンターからは一度も連絡は来なかった。おかげで、このところ続いていた寝不足は解消されて、睡眠のリズムをしっかり正常に戻すことが出来た。