最初の検証
ホテルで目を覚ますと、遅い朝食をとりシャワーを浴びる。頭の中がリセットされたのを感じた。その仕上げは『ヤマシロ』までの歩き道だ。
ホテルを出て、私はそのまま歩き出す。昨日と同じ道のりだ。今日も晴れ。ただ、昨日よりはすこし白い雲が多いかな、そんなことを思っていると、次第に傾斜がきつくなってきた。
『ヤマシロ』の実験では、あの雲を変化させることが出来るんだろうか。運用センターで行われる実験の具体を、私は全然知らなかった。レベル2の実験なら、今日実施されてもおかしくない。興味があるので、出来れば見学してみたかった。ただ、今のところ『ヤマシロ』の実験自体は、事故の問題解決とは関係なさそうだ。
そんなことに時間は使えないな、と私は諦める。頭の中でいろいろ思いを巡らせていたら、あっという間に白い建物が視界に広がってきた。
三階の技術局長室に入ると、待ち構えていたようにミエが部屋へやってくる。昼に出社すると連絡を入れていたが、時間までは伝えていなかったはずだ。彼女はどうやって私の出社を知ったのだろう。
「おはようございます。昨日はずいぶん遅くまでいらっしゃったんですね。」
「はい、昼間に集めた情報を整理していたら、時間がかかってしまいました。」
「今はお住まいは? 急な異動だから準備できてないんじゃないですか。」
「しばらくはホテル暮らしです。ここでの仕事も長くかかるどうか、まるで予想できないもので。」
「そんなものですか?」
「まあ、そんなことより今日は試験をしようと思ってます。ミエさんにも、試験内容を昨日送っておきました。」
「ええ。コントロールセンターへの周知は終わってますから、いつでも始められますよ。ヒガシダニさんが待機してます。」
ミエはたぶんせっかちだ。やると決まったら、てきぱきと終わらせたいのだろう。昨日からの付き合いで、私はなんとなく想像できていた。
「ありがとうございます。」
私はすぐに試験に入ることにして、コントロールセンターに移動した。
コントロールセンターの大型モニター、私はその前に立って、周辺に人を集めた。最初に試験内容の確認を行うためだ。試験に直接関わるメンバーは、ヒガシダニがすでに人選して役割を決めてあった。
私は概要説明のあとに、時系列に沿って試験手順を伝えていく。一通りの説明の後で、私は参加メンバーに質問を始めた。
「事故があった当日の試験内容は、二回とも同じと聞いています。今日も同じことをする想定ですが、実際に試験に参加していた人はいますか?」
「はいよ。」
ヒガシダニの他にも、ほとんどのメンバーが手を上げた。
「当日の試験でこの手順以外にやったことや、あるいは手順が変わったとか、何か気づいた点があれば教えてもらえませんか?」
「なんかあったかな・・」
ヒガシダニ達は顔を見合わせる。少し間があってメンバーの数人から発言があった。
「一回目は試験は全部一回で合格で、淡々としてましたね。」
「私は二回目の時にいましたが、レベル4変更で失敗して、レベル5変更の試験は実施してません。夕方にもう一度レベル4変更の命令をやって、それも失敗。その時は後で検証するからって、そのまま連続試験に入りました。」
「試験用に繋いだケーブルの問題だと、その時は思ったんですよね?」
「原因が分からなかったんです。時間がかかりそうなので、試験を全部実施して、その後にケーブルの確認をしようってなりました。」
「確認は、次の日にやったんですか?」
「はい。やっぱり問題は見つかりませんでした。ただ夜に事故があったので、少人数でしか確認してないです。」
「確認していたなら十分です。参考になりました。」
二回目の試験失敗の原因は、まだ見当がつかない状況だ。それと関係なく、一回目も二回目も試験の半日後には事故が起こっている。とにかくも、この再試験で何かしらのヒントを探そう。
試験は、実際の運用からコントロールセンターを切り離して実施する。試験中の命令は全て、コントロールセンターと試験システムとのやりとりになるのだ。その状態でレベルを変える試験を行なって、コントロールセンター内の機材が正常かを確認するためだった。
「手順書の項番二まで完了です。」
「では、項番三をお願いします。」
「はい。データセンター、運用センターと切り離します。」
この作業で、試験システムがデータセンターと運用センターの役割になる。
「試験システム側で切り替わりを確認しました。」
「はい、了解です。」
この後は、コントロールセンターがレベル変更の操作をしても、実際に出力変更は起こらない。この試験中はモニターも全部切り替わるので、実際の波動装置の出力レベルは確認できなくなる。
「では次の手順にいきます。」
「はい。」
手順書に書いてある番号通りに、作業を進めていく。制御命令が出る段階になり、モニタに出ている制御信号のログに、私は注目した。
「項番十五、レベル1からレベル2へ変更します。よろしいでしょうか?」
「運用センターへの連絡は済んでいるな。」
「はい、大丈夫です。」
ヒガシダニの問いかけに即座に返答が返ってきた。運用センターのレベル表示盤は切り替えていないので、試験の内容がそのまま表示される。試験だと知らなければ、レベルが変わったと誤解されるため、特に運用センターへの事前連絡は重要だった。
「じゃあ、レベル2。よろしく。」
「はい。」
試験時はリアルタイムにログの内容が追加されるから、画面は上から下へスクロールしていく。私は流れていく画面から制御信号を見つけようとしたが、やはり目が追いつかない。私がイメージするよりずっと先に、制御命令の応答を知らせるランプが点灯した。
レベル2、レベル3へと出力レベルを変えていった。続いてはレベル4への変更だ。違いは波動出力レベルだけだが、二回目の事故が起こった昼間は、このレベル変更に失敗していた。
「では、レベル4への変更いきます。」
「いいぞ、やってくれ。」
「はい、行きます。」
私は画面を注視した。スクロールするログが、ゆっくりとしか流れない。レベル4の変更命令が実行されていないのだ。コントロールセンターから命令は出ているのに、試験システムは制御信号を受信しなかった。
試験としては不合格、二回目の事故の日と同じだ。最初の事故の時は、昼間の試験は合格だった。この違いはなんだろう。次の手順はレベル5変更だったが、その作業は行わずに出力をレベルに戻した。後は運用状態への復旧だ。すぐに試験システムから切り戻して、動作確認が行われる。
最後の手順の終わりを見届けると、私はメンバーに声をかけた。
「今日の再現試験はこれで終了です。皆さん、お疲れ様でした。」
「はい。」
「お疲れ様でした。」
予定していた作業が終わり、集まったメンバーは順次解散していった。
「結局、何か分かったのかい?」
ヒガシダニは試験が終わったのを見計らって、私に近づいてきた。
「今日のログを詳しく調べては見ますが、今のところ何も分かっていません。やっぱりレベル4変更の失敗が不思議ですね。」
「ああ、全く。」
「連続試験の再現も、今度実施するかもしれません。その時はよろしくお願いします。」
事故があった日は、コントロールセンター内での試験の後に続いて、連続試験を行っていた。連続試験は範囲がさらに狭められ、対象は操作卓の周辺のみになる。過去二回の事故はともに、この連続試験中に発生していた。この部分の再現試験については、私は特に慎重にやるつもりだった。
「成果が出ればいいがな。」
「ええ。」
連続試験の再現は明日にしよう。その時、私はそう思っていた。
その日の夜も、私は三階の技術局長室で過ごした。午前三時に切替器の様子を確認したかったからだ。昼間に事故当日と同じ試験をすれば、深夜に問題が発生するのではないか。それは、現場に入る前から私が考えていた調査事項の一つだった。
午前三時までは時間がたっぷりある。まず私は、今日の再現試験をしっかり振り返ることにした。コントロールセンターと試験システムから、それぞれ昼間のログを取り出す。二つを並べ直して見比べてみた。二回目の事故があった日とほぼ同じ結果だ。新たな発見はなかった。いくらログを眺めてみても、見落としは見つからない。何時間かして、とうとう私は諦めた。
午前三時までの時間を持て余したので、施設内を回ってみることにする。三階で深夜に人がいるのは、コントロールセンターだけだ。銀色の大きな扉を開けて、私は中に入る。
「局長、今夜もですか? ご苦労様です。」
今夜の勤務の一名は、昨日と同じ顔だ。
「カードを四時くらいまで借りますよ。」
私はそう言いながら、ノートに自分の名前と時間を記載する。
「はい。」
「今夜は何か変わったことはないですか。」
「いや、全くです。」
あと人がいるのは五階の運用センターだ。今日は時間に余裕もあるので、私は五階も覗いてみることにした。
深夜の運用センター、三階よりは人がいたが、それでも五人ほど。昼間ほどの喧騒はない。卓の後ろでは、小声で二人が議論していた。研究のことらしい。
「サナダさん、どうしたんです?」
声の方へ振り返ると、ロイだった。
「ああ、夜勤って言ってましたね。」
「ええ、今夜も平和な夜ですよ。」
「そうですか。運用センターの業務を見学しようと思ったんですが、今夜もレベル1ですか?」
「ええ。明日の夜はすこしは面白くなりそうです。来るなら、明日の方が良かったですね。」
「明日?」
「はい、夜になって雨がありそうです。雨の強さを変える実験を何度かやってるんですけど、明日の夜にまたチャレンジします。レベル2でですけどね。」
「へえ。ロイさんは明日も夜勤ですか?」
「はい。」
「そうですか。私は明日も覗きに来るかもしれません。」
「まさか夜勤じゃないでしょう? 何か調べてるんですか?」
「まあ、そんなものです。切替器の見回りをしようかと思いまして。」
「そんなのコントロールセンターの人に言えばいいのに。」
「いや、自分で見てみたかったので。」
頃合いを見て、私は話を切り上げた。レベル1の深夜、事故の時も、こんなのんびりした時間が流れていたのだろうか。
午前一時五十分、六階のデータセンターへ入った。この晩、三回目の見回りだ。入り口付近だけ照明をつけて、立ち並んだラックの中を歩く。
私は前方の黄色い光に気づいた。システムでよく使われる電球色だ。それは切替器のものだった。『切断』の赤ランプが点灯していない。今は『切断』ではなく『接続』状態、つまりレベル5変更の命令が出れば、作動する状況だ。
発生したのか、今は事故の時と同じ状況なのだろうか。私は切替器のあるラックに駆け寄った。
切替器は『接続』で、レベル5を受け付ける状態になっていた。前の見回りは午前一時頃だ。この一時間足らずの間で切り替わったのだ。事故の時と同じ状況ならば、まだレベル5出力は始まっていないはず。確認のために誰かと連絡をとろうかと思ったが、今は時間が惜しい。
自分の責任で対応しよう、私はそう決めた。切替器のプラスチックカバーを外すと、ボタンを押す。すぐに赤色の『切断』のランプが光った。
それから隣のラックにあったコンピューターで、システムの状況を確認する。現在のレベルを画面に表示させた。
『レベル1(0日10時間42分継続)』
コンピューターに映し出された画面は、レベル1の状況が、午後から続いているのを示していた。ロイは今夜もレベル1だと言っていた。切替器が『接続』になっていた時間もずっとレベル1、つまり波動装置の出力では、なんの問題も起きていない。
空調の効いたデータセンター、私は床にへたりこんだ。まだ体温が高い気がする。急に全身に疲れを感じた。これが事故当時の現象だ。しばらく冷たい床で呼吸を整えると、私は立ち上がってデータセンターを後にした。一旦三階へ戻ることにする。コーヒーを飲んで心を落ち着かせよう。その夜、私はもう一つ確かめることがあった。
午前三時、私は再び六階のデータセンターにいた。事故を起こすには切替器のボタンが押された上で、制御命令が出なくてはいけない。切替器の変更と制御命令、その二つが揃ったのが事故当夜だ。であれば、今夜、午前三時にも制御信号が送出されるかもしれない。
今は切替器は『切断』状態だ。もしレベル5の制御命令が来ても、命令は他になんの影響も与えずに捨てられるはずだ。そして受信ログにも出てこない。それでも私は万が一に備えた。
切替器の隣のラックでコンピューターを操作する。時計を見つつ何度も状況を表示させた。コンピューターの画面から制御命令の受信ログを探すが、新しいものは三時を過ぎても出てこなかった。切替器は『切断』のままだ。私は確認のため現在のレベルを表示させる。
『レベル1(0日11時間51分継続)』
大丈夫だ、レベル5には変わっていない。私はやっと安心した。切替器は信号をそのまま処理しているので、ログを見ることは出来ないが、今夜だって実際は切替器まではレベル5の制御信号が来ていたかもしれない。
少なくとも、私は切替器の変更を目撃した。不可思議な現象に立ち会うことが出来たのだ。私は今夜の状況を簡単にまとめると、関係者にメールで連絡を入れた。なんとか今夜を乗り切ることが出来た、そんな気持ちになって、やっと『ヤマシロ』を後にした。
薄暗い景色、すでに夜ではなかった。私はゆっくりと下り坂を歩き出す。ホテルまでの道のり、気分の切り替えにちょうどいい距離だ、と私は思った。