記録収集
施設巡りを終えて、三階の技術局長室へ入った。コーヒーを一杯飲んで落ち着くと、改めて頭の整理をする。
ようやく施設全体が立体的に分かった気がした。でも、やはり情報が足りない。次に調べたいのは、事故当時の作業内容やシステムの詳細だ。ここには本部に送られていない資料が、多く存在するはずだった。
「図面とか記録の資料ですけど、場所が分かれば私が見に行きますよ。」
先ほどからミエが、各所に連絡して手配に入っているが、集めるのに時間がかかるのを私は心配した。
「いえ、効率が悪いわ。今はこの調査が最優先ですから。」
「バラバラに保管されていたら、集める手間もあるでしょうし。」
「ヒガシダニさんが今やっているから大丈夫です。」
有無を言わせない感じで言うと、ミエは再びどこかへ連絡をする。それから十分ほどで資料は到着した。台車二台分のファイルを、ヒガシダニともう一人が技術局長室へ運び込んだのだ。
「あるだけ集めた。あと古いのは、地下にあるかもしれないけど。」
図面と記録の種類を、ヒガシダニが説明をする。システム全体の図面、各所の詳細図面が一通り揃っていた。試験の記録はほとんどがデジタル保存されていて、紙のものは少なかった。
「ありがとうございました。本社にあった図面は少なかったので、これを一つ一つ見てみます。あ、必要なものがあったらすぐ戻すので、その時は教えて下さい。」
「たぶん大丈夫だ。他に何かあれば言ってくれ。」
「はい。あとでお願いするかもしれません。」
私が資料に手を伸ばしたのを見計らって、ヒガシダニ達は退室した。
まずは図面を読み進めることにする。調べたいのは、波動装置の出力をレベル5に変更する命令についてだ。
制御命令の経路を入念に図面で追う。過去二回の事故はともに、制御命令の受信からレベル5出力開始までの動きに矛盾はなかった。つまりは命令通りに屋上の波動装置は動いている。問題はレベル5への変更命令の送信記録が見つからないことだ。
偽の制御命令がどこかから出ているはず。来る前にそのように思考を巡らせていたが、改めて図面を見ても、この推定は妥当に感じた。
侵入者の手がかりは全くない。私には、その誰かを探す方法が思い浮かばなかった。でも、偽の制御命令は間違いなく出ている。だから私にとっては、偽の制御命令の方が解決しやすい問題のはずだ。
「何か分かりそうですか?」
ふいにミエの声を聞いてはっとする。彼女が部屋にいることをすっかり忘れていた。
「レベル5の出力命令は、どこから出ているのかと思いましてね。侵入者はデータセンターの切替器のボタンを押したとして、その後、どこから出力命令を実行したのか。そのあたりを考えているんです。」
「どこにも命令を出した記録がないって、聞いてます。」
「ええ、もっと丁寧に探してみようと思いまして。制御信号は全て制御線で伝わります。だから制御線を辿ればいいんだと思いますよ。」
コンピューター同士を繋げるものは、ネットワーク線と呼ばれる。それより太い制御ケーブルは、制御線を束ねた専用のケーブルだ。ここのシステムは、コンピューター同士を繋ぐネットワーク線と制御命令をやりとりする制御ケーブル、それぞれ別のケーブル網が存在していた。そして、制御ケーブルの本数はネットワーク線よりずっと少ない。制御ケーブルを一つ一つ追っていけば何か分かるはずだ。
「あの、私も調べたいことがあるので、一旦失礼します。お邪魔してもいけないですし。」
ミエは図面の読み方を聞いたわけではなかった。たぶん話しかけるタイミングを伺っていたのだ。
「はい、分かりました。」
「何かあったらすぐに連絡下さい。」
そう言ってミエも技術局長室を出ていった。私はいよいよ集中して資料を見る。
図面に続いては、過去二回の事故当時の記録だ。作業記録は技術局長室の端末から見ることが出来た。事故の報告書と当時の記録を読み比べていく。それで気になっていた点を思い出した。昼間のレベル4変更の失敗だ。
報告書によれば、一回目、二回目とも昼間に試験を行っているが、二回目は一回目と試験結果が違っていた。レベル4変更の命令を出しても、レベルが変わらなかったのだ。試験用の臨時ケーブルの繋ぎ間違いが原因とされて、翌日に再試験となった。夕方から残りの試験を再開し、その夜に第二の事故が発生していた。
『臨時ケーブル、図面通りの結線を確認。』
二回目の事故翌日の記録に、短く記載があった。つまりは臨時ケーブルは正しかったということだ。
このレベル4変更の失敗はほとんど検証されておらず、失敗理由は判明していない。成功した一回目と二回目では参加メンバーはかなり違うが、手順は全く同一のはずだった。
誰か侵入者がいたとして、なにか細工をして試験を失敗させたのか、それが夜の重大事故に関係しているのだろうか。試験の詳細な記録を私は読みこんだ。
資料に目を通し終えると、当日の状況が明確になってきた。ただ制御信号の状況はもう少し詳しく知りたい。さらに詳細な記録がシステムの中にあるはずだ。私は『ヤマシロ』システムにログインして、制御命令の記録を辿った。
『ヤマシロ』システムには、過去一か月分の動作記録が残っていた。システムの動作記録を一般的にはログという。昼間の試験時のログは、通常と別の場所に保存されていた。
制御命令は何十種類もある。レベル4への変更だけに絞って、送信と受信のログをそれぞれ拾ってみた。一秒の千分の一、ミリ秒までの記録だ。
13:20:00 201 ---
--- 13:20:00 239
13:25:01 655 ---
--- 13:25:01 672
制御命令の送信ログがあって、受信ログにも残っている。最初の試験は問題はなかった。その一週間後、二回目の試験の時はログが違っている。
13:20:00 205 ---
13:25:01 470 ---
送信ログに対して、受信ログには記録がない。受信側は何も命令を受け取っていないのだ。同じ時間帯に別の制御命令のやりとりはされているから、通信の問題ではなさそうだ。何か機械的なトラブルだろうか。
16:09:00 933 ---
夕方に同じ試験をして失敗したと当日の作業記録にあったが、その通りのログも残っていた。
今回の事故は別の制御信号が出されたためで、この現象とは逆だ。だが、だからと言って関係ないとは言い切れない。
この現象はレベル1、レベル2、レベル3では起こらず、レベル4になって発生した。他のレベルでの送受信ログも見る。
13:18:07 898 ---
--- 13:18:08 001
16:12:00 204 ---
--- 16:12:00 498
試験でレベル3を実行した時の記録を書き出した。この時は正常なログだ。成功する時と失敗する時の違いが分からない。一回目の事故の後では、レベル4変更は失敗する、この法則はなんだろう。レベル5で試験はしていないが、もしレベル5なら発生するのか。試験時のログから何か推定できないか、私は調べ続けた。
気がつけば夕方になっていた。ログ解析しか進んでいない。私は慌てて、この後の予定に思いを巡らした。
当時行われた試験の再現は行っておきたい。ログでは得られない新しいヒントを私は探していた。後は夜中の状況確認も必要だ。問題が発生したのは、おそらく午前三時頃。その時のシステムの状況を、リアルタイムで一度見ておいた方がいい。
一旦ホテルで仮眠をとって夜中にまた来てみるか。午前三時の状況を確認してから再現試験の準備を始めたら、実際の試験を行うのは明後日になってしまう。それよりも、このまま残って朝に帰るのが効率的だ、私はそう判断した。
ホテルへ連絡をして、一階の売店へ夜食の買い出しに行く。それからは三階の技術局長室で、再現試験の準備に時間を使った。
深夜、再現試験の準備を一通り終えると、私はもう一度ログを調べ始めた。今度は試験時のログだけでなく、運用時も含めた全部のログだ。
レベル変更命令の送信ログは、運用センターかコントロールセンター、どちらかに残っているはずだ。そして命令は、必ずデータセンターを通して屋上の波動装置へ伝わる。データセンターでは、受信ログとして記録されるはずだった。
事故のあった夜の記録、送信ログと受信ログで違いがあるのは午前三時だ。ロイの言っていた通り、一回目の事故はアラームが鳴る前から問題が発生している。運用センターの業務記録も、ロイの話と辻褄が合っていた。ただ、この業務記録は、担当者によって記載のしかたにばらつきがあって、完全に当てにしない方が良さそうだ。コンピューターのログと違う内容が散見された。
コントロールセンター側の送信ログ、データセンター側の受信ログ、それぞれを見たが不審な点はなかった。レベル3以上の命令は、コントロールセンターからしか出ないはずだ。それは確かめなくていいのだろうか。
私はふと思って、運用センターとコントロールセンター、それに受け手のデータセンターの送受信の数を調べた。この一か月間の総数をまとめる。
運用センターからの命令送信・・・・・・ 三十六回
コントロールセンターからの命令送信・・ 二十五回
運用センターからの命令受信・・・・・・ 三十六回
コントロールセンターからの命令受信・・ 十一回
命令受信の総数・・・・・・・・・・・・ 四十七回
運用センターからの命令はレベル2かレベル1で、送信ログと受信ログの数が一致している。コントロールセンターの試験では切替器を『切断』にしているから、送信ログだけあって受信ログがない。命令を受信していれば、それは必ず運用センターからか、コントロールセンターからになる。過去二回の事故の時の夜中のレベル5変更は、ログ的にはコントロールセンターからになっていた。
『送信』より『受信』から探った方が良い。私は『コントロールセンターからの命令受信』と時間が一致する『送信』のログを確認した。九回だ。一致しない二回分はいずれも事故が起きた時の午前三時のもの。偽装された制御命令だ。この二回分しか偽装された制御信号がない。
侵入者・・、それが頭をよぎったが、とにかく現象の解明が先決だ。どういう仕組みで偽の制御信号が出されたかを考えよう。
その時、セットしておいたアラームが鳴った。午前二時四十五分だ。私はあわてて技術局長室を出た。
コントロールセンターには二人が勤務していたが、人の気配を感じないくらい、この時間はとても静かだった。
「新しく赴任された局長ですよね。お疲れ様です。」
「あ、お疲れ様です。これからよろしくお願いします。」
厳密には私の立場は技術責任者で、ここの技術局長になったわけではない。ただ、ここのメンバーにしたら責任者と言えば、局長となるようだ。
「深夜担当、ご苦労様です。」
訂正のしかたも分からなかったので、私は曖昧に返事をした。
「データセンターのカードを借りますよ。ちょっと見回っておきたいので。」
「はい、どうぞ。十八時の見回りでは問題なしと、報告は受けています。」
侵入者の噂が出たこともあって、一日一回だった見回りが一日三回に強化されていた。直近の見回り、十八時分も正常だったということだ。
「すいませんが、ここに名前を記載お願いします。」
机の上にあったノートとボールペンを渡される。ずいぶんとアナログだ。
「分かりました。借りる人は全員名前を書くんですか?」
「はい、技術部の人間も含めて全員というのが決まりでして。」
「さすが、しっかり管理しているんですね。」
「この前の事故があったからですよ。それまでは鍵もカードも、運用センターにもう一セットあって、そっちは割と自由にやってました。」
「運用センターにはもうないんですか?」
「はい、事故の後に調べたら記録に抜けがあったとかで、今はここ一カ所だけになりました。」
「そういう対応もしているんですね。」
データセンターの入室用カードは、コントロールセンターの中央卓に置いてある。屋上と最上階への鍵も、同じ所にぶら下げてあった。人目につくので、こっそり持ち出すのは難しそうだ。記録ノートの三つ上の段には、昼間にヒガシダニが持ち出した時の記録もきちんと残っていた。
私はそのまま六階へ移動して、データセンターへ入った。切替器は『切断』状態、当たり前ではあった。これが勝手に切り替わるなんてことが、本当に発生したんだろうか。
切替器の隣のラックには、管理用のコンピューターが入っている。私はモニタを繋いで、システム内部も簡単に調べることにした。波動装置の状況を画面に映し出す。
『レベル1(1日08時間02分継続)』
現在の波動装置はレベル1で、二十四時間以上、同じ状態が継続している。何も異常は見られない。他にもデータセンターの中を見回って、いくつかのコンピューターの状況を確認したが、何もかも想定通りだった。何事もない。午前三時の平常状態を確認できた、それが今夜の成果になった。
コントロールセンターでカードを返して、私は『ヤマシロ』の外に出た。夜の闇は終わりを告げていて、駐車場の様子がうっすら見える。空は遠くから青くなり、それで東の方向を知ることができた。
再現試験でもっと確認しよう。なにか見逃している可能性もある。出がけに各所に送った試験の概要、それを頭の中で見直しながら、私は歩き出した。長かった初日はこれで終了だ。朝日を待たずに、私は『ヤマシロ』を後にした。