事故当夜の記憶
五階は窓が大きく、データセンターやコントロールセンターと違って開放感があった。
「ここが運用センターです。実験の作戦を立てて、波動装置の動きを決めるのがここですね。波動を当てた後に、雲が変化したかの記録もやっています。」
「実験施設の心臓部、ということですか。」
「ええ。」
フロアは奥まで広がっていて、コントロールセンターのような閉塞感はない。机に座っている人、せわしなく歩く人、立ち話を続ける人、様々だ。人の声が飛び交っているのも、活気を感じる理由かもしない。
中央の広いスペース、その先にある壁に向かった机が、オペレーション卓だ。コントロールセンターでは人は大型モニターに向かっていたが、ここは中央のスペースに人が集まっている。
「運用上のだいたいのことは、あそこで決定します。それから周囲のオペレーション卓に散って実行に移すのが、基本的な流れですね。」
ミエの説明だとシンプルだが、実際の人の動きはもっと複雑に見えた。中央での大きな合意のほかに、細かな調整が各所で行われていく、そんな感じかもしれない。オペレーション卓には波動装置が捉えた雲の様子や、気象のシミュレーションらしき情報、野外のカメラ画像など様々な情報が溢れていた。
オペレーション卓の目立つ所に『レベル1』という表示が光っている。レベル1は波動を出さない状態だ。今、波動装置は待機中で、環境へ与える影響は全くないはずだ。
「あら、ロイ。」
ミエに呼ばれて、背の高い若者が振り返った。
「ちょうどよかった。こちらサナダさん、新しい技術責任者よ。」
「ああ、はじめまして。」
「よろしくお願いします。」
私たちはそう言って挨拶を交わした。
「あなた、今の時間の当番?」
ミエがロイに聞いた。当番とはたぶん波動装置の運用当番のことだ。
「はい。今はレベル1だから、アラームさえ鳴らなかったら、自分の研究をしていてもいいんですよ。」
少し言い訳がましく、ロイが言った。
「そんなこと聞いてないわよ。」
尖った口調でミエが答える。その会話で、事故が発生した夜もレベル1だったな、と私は思い出した。
「今日はヤマジさんは?」
「あそこでミーティング中。」
フロアの奥にも大きな机があって、そこに数人がなにやら話しこんでいた。
「そうね。運用センターのボスっていつも時間が空かないものね。それより、サナダさん。」
私に向かって振り返ってから、ミエは話し始めた。
「ロイは事故があった時に、運用センターの当番だったんです。二回とも。」
「シフトの巡り合わせですね。僕が入ると何か壊れたり、事例依頼が多かったりして、どうも運が悪い。」
ロイはそう言って軽く笑った。陽気な性格のようだ。
「若手は夜勤も土日勤務もあるから、時間が合わせづらいんです。当時の状況を聞くなら、今日がいいと思います。」
「えっと、僕は土日でもいいんですけどね。明日から夜勤ですし。確かに今月は今日くらいしか、まともな昼間の勤務がない。」
「そうなんですね。では、すいませんが、ちょっとお時間下さい。事故の時の様子を伺いたいんです。」
「今からがいいです? 当番を午後に代わってもらいますんで。」
ロイは元気よく仲間のところへ話にいった。
「天気がいい時は、運用当番は結構人気があるんです。おおかた午後の全体ミーティングに出たくないから、当番が午後になるのを喜んでいるんだわ。」
ミエによるロイの評価は、どうも低いようだ。かと言って彼の研究者としての実力は別だ。自分の興味や特定の研究でのみ集中して力を発揮する、そういった人間を何人も私は知っていた。
「ミエさん、ここでは研究者が波動装置のオペレーションをやっているんですか?」
実験内容に沿って、屋上のパネルの向きや波動の強さを変えたり、またイレギュラーな事象に対応をする。そうした作業は、無線免許を持つ外部社員が担当することが多い。私の疑念を感じ取ったのか、ミエは説明をした。
「ここはいろんな予算がついてますし、研究者の食い扶持確保にも、ちょうどいいですから。そのために無線免許を取った人もいるくらいです。」
現場のオペレーションの実態は、なかなか報告書では分からないな、と私は思った。
運用センターの一角にあるテーブルで、私とミエは、ロイの話を聞いた。最初に問題の発生した日、昼間に定期試験を実施して、夜は最終の連続試験中だった。連続試験は、同じ状態が維持されるのを何時間もかけて確認する。その間、コントロールセンターは基本的に経過を見守るだけだった。
「まあ僕にしたら、いつもの平和な夜だったんです。深夜の方が研究がはかどるから、こんな夜は有難いなという感じ。」
その夜のレベルは1で安定したままだった。コントロールセンターには通常業務の担当に加えて、連続試験の担当が一人いたはずだ。その夜の運用センター担当だったロイは話し続ける。
「レベル変更時の手順が違うことは、引き継ぎを受けていました。コントロールセンターは試験中だから、レベル2以上で実験する時は、早めに連絡を入れるようにって。」
当時、運用センターから申請があれば、レベル変更は可能だった。少し記録の方法が変わるだけだ。
「でも、その夜は実験するような気象条件じゃなかった。ずっとレベル1扱いのまま。」
淡々と話していたロイだったが、ここから少し口調が変わる。
「そしたら午前四時ちょうどですよ。レベルアンマッチのアラームですから。」
「びっくりしました?」
聞いた後に、我ながら間抜けな質問だなと私は思った。
「そりゃあね。音声通知があって、すぐにオペレーション卓で確認したらレベル5だって。雲がないと航空機への影響が出る可能性がある。今年に入ってまだ一回しかやったことがない、シビアな実験レベルでしょ。」
ロイの認識の通りで、レベル5は事前に様々な許可が必要になる実験だ。だからこそ今、大問題になっている。
「気象状況のデータと段階判定するから、実際は三時から起こっていた、とすぐ頭に浮かびました。ビームの状況をオペレーション卓で確認したら、二番から四番のビームが全部オンになっている。出力も九十五パーセントで、お手本通りのレベル5の出し方でした。私はすぐにコントロールセンターに連絡しました。」
運用センターとコントロールセンター、二つのセンターはレバー一つで音声のやりとりが可能になっている。たぶん卓に備えつけのマイクとスピーカーで会話をしたのだろう。
「向こうも慌ててましたね。」
当時、コントロールセンター内のアラームは全部試験用に切り替えていたから、全く気づいてなかったはずだ。
「コントロールセンターはなんと言ってましたか?」
「レベル5の指令は遮断されているので、出るはずがないって。『切断』状態とかなんとか。」
「たぶんデータセンターの切替器のことですね。」
切断器はデータセンターで見てきたばかりだ。レベル3以上の変更命令はコントロールセンターからしか出せないのだが、その命令を強制的に遮断に出来るのが切替器だ。切替器が『切断』状態だったら、屋上の波動装置はレベル3以上になることはない。
「そうだったのかもしれませんが、僕にはよく分からなかった。」
「切替器が『切断』だから、レベル5になるはずがないと言いたかったんでしょう。」
当時の技術担当は、切替器が絶対的な存在だと知っていた。そして切替器の操作は、六階のデータセンターでしか出来ないのも理解していた。
「すこし話して、コントロールセンターの人も状況を分かってくれました。向こうもなにか操作したら、レベル5が出ているのを確認できたみたいです。すぐにレベル5を止めようと僕が言って、どっちで切るか確認したんです。」
レベル3以上への変更はコントロールセンターしか出来ないが、レベルを落とす操作は運用センターでも可能になっている。
「だけど、コントロールセンターからは、わけの分からない答えしか返ってこなくて。」
「どんな返答でした?」
私は報告書を思い出しながら、ロイの話の続きを聞いた。
「連続試験をどうするかとか、言ってたかな。しかたないんで、こっちで切りますと伝えて、オペレーション卓のボタンでレベル1にしました。そしたら、すぐにアラームは止まりました。」
おそらく夜の技術担当は、連続試験を止めていいかの判断が出来なかったのだ。決められた手順通りの作業だったので、レベル5出力に気づかなかったのは必ずしも責められない。ただ緊急対応としては問題があったようだ。
「アラームが鳴る前にいつもと違う操作をしたとか、別のアラームが鳴ったとかは?」
「いえ、全然。僕は卓の後ろのテーブルで、自分の論文の準備をしてただけです。だって、レベル1だったんですから。」
そこが一番大事なようにロイは言った。自分の対応は適切で、問題なかったと言いたいんだろう。
「何も変わったことはなかった、ということですね。」
「はい。」
「あそこのレベル表示は正常でしたか?」
私は、オペレーション卓の上にあるレベル表示を指して聞いた。それなりに目立つはずだ。
「レベル表示盤ですね。その時は壁際に設置されてたんです。それで見落としてました。」
「目立つ所に移動させたんですか?」
「はい、最初の事故の後に。」
「そうですか。」
「前に置いてあった場所は死角になるんです。オペレーション卓の奥に座っていると見えない。だから気づかなかったんです。私は居眠りしてませんよ。もちろん間違ってボタンを押してもいない。」
ロイの口調が大きくなったので、落ち着かせるために私は話を進めた。
「疑ってませんよ。その一週間後の様子はどうでした?」
「次の事故の時ですか。」
一呼吸置いて、ロイは二回目の事故の状況を話し始めた。
「その日も同じくらい安定した天気で、レベル1でした。」
「レベル表示盤は今の位置?」
「はい。だから、その時はすぐに気づきました。たぶんレベル5になって五分以内です。三時過ぎでした。」
「レベル表示盤を移動させたおかげですかね?」
「ええ、その点は良かったです。」
この時、ロイは少しだけ笑みを見せた。二回目の事故の時は、自分は十分な対応が出来たと思っているのだろう。
「レベル5の表示を見て、すぐにコントロールセンターに連絡しました。二回目の時は若い人でしたね。」
二回目の事故が発生したのも夜間の連続試験中だ。私は二本目の報告書を順番に思い出していく。
「今すぐそちらでレベルを変えてくれって、なんだか自分で操作したくないような感じでした。」
ロイはそこで当時を思い出すように、少しだけ言葉を切った。
「レベル5を止めたから確認してくれっていうと、データセンターに行ったかって聞くんです。いや、行くわけないでしょ、と答えたのしつこく何度も聞いてきて、そこから全然論文の準備が出来なくなりました。」
仮にコントロールセンターの作業ミスで、レベル5変更の命令が出たとしても、切替器が『切断』ならレベル5になることはない。技術担当はそれを知っていた。だから六階で誰かがボタンを押して、切替器を『切断』から『接続』に変えたと考えたのだ。
「データーセンターに様子を見に行けと言ったり、絶対に入るなと言ったり。一時間もしたら何人かここにやってきて、今日みたいな事情聴取が始まりましたよ。いかにも寝起きって感じの人もいたから、夜中に叩き起こされたんでしょうね。」
「事故が発生して、すぐに緊急連絡が回ったからですね。その点は、一回目の事故の時より数段早かった。」
二つの報告書を読み比べた時の感想を、私は口にした。
「新しく来たばかりの技術局長は殺気立ってました。あの技術局長は、あっという間にいなくなっちゃいましたけど。」
私の前任者のことだ。確かに彼が『ヤマシロ』にいたのは、一週間もなかったはずだ。
「私もそうなるかもしれませんね。」
そう言って私が笑うと、ロイも少しだけ表情を緩めた。ロイの話によって、当日の夜の様子を奥行きを持ってイメージできるようになった。運用センターの状況は報告書になかったので、ちょうど答え合わせになる。ただ、だからといって、目新しい発見があったわけではなかった。
レベル5を送出するには切替器を『接続』に戻して、さらにレベル変更の命令を送る必要があった。事故のあった日は両方とも、夕方以降はデータセンターへの入室記録はなかった。もし不審者がいたのなら、身を潜めたまま一晩に二つの操作をした、ということになる。
誰が何のためにやったのか、今一番の問題はそれなのだろうか。私が考えを巡らせていると、ロイは顔を覗き込んで聞いてきた。
「あなたは技術部門の新しい責任者と聞きましたが、実際は調査委員なんでしょ。」
「ここの実験は止められないから、復旧と調査の両方をやってくれと言われました。最初の事故の後に責任者が交代になって、そこでさらに事故ですから、ここに来たことのある人員が足りないんですよ。」
上役からの短い命令を、私は出来る限り補足して答えた。
「ですよね。だいたい出張で来られる技術員の方は顔見知りなのですが、サナダさんには見覚えがなくて、はじめましてですよね。」
「はい、はじめましてですよ。しがらみのない人間だからと、私が呼ばれたんですから。」
「ご苦労様です。」
ロイは同情するように言った。
「いや、いつものことなので。」
急に新しい現場を任される、それ自体には特に感慨はない。私はもう慣れてしまっていた。
運用センターから下の階は、部屋がいくつも区切られているフロアだ。扉の先の部屋には机と椅子ばかりが目立つ。
「四階は研究スペースがいくつかあって、あとは総務課と会議室とか、身軽なエリアよ。それぞれの部屋をご覧になりたいですか?」
「いや、廊下を一巡して次に行きましょう。」
「そうですよね。主要な設備はもう見終わりましたから。あとは一階の商業スペースはおいておくと、地下くらいですね。」
「一応、そこもお願いします。普通のビルの地下と変わりませんか?」
「普通の地下が分からないですよ。」
ミエはそう言って笑った。そのまま地下一階を回ったが、倉庫や清掃員の控え室があるくらいで、新しい発見はなかった。その一つ下、地下二階へ向かう。
「ところでミエさん。前の技術局長は侵入者がいたと、結論づけていたそうですね。」
「ええ、そんな噂にはなってますよ。不思議な件が続いたものですから。」
「かと言って、侵入者というのも飛躍している気がします。何か裏づけや証拠でもあったのでしょうか?」
報告書には侵入者への言及はなかった。私は技術局長の発言を疑っていた。
「いや、そういう噂が出回っていただけと思います。外部からの侵入者なのか、関係者の中におかしな行動をした人がいたのか、誰も分かってないんです。」
「侵入者がいたなら辻褄が合うし、事故の原因が理解できる。その程度にしか聞こえないんですけどね。」
「まあ、そうかもしれません。私も館内の監視カメラを全部チェックしましたけど、何も見つかりませんでしたから。」
ミエは侵入者についても先入観はないようだ。この先のことを考えて、私はすこし安心した。
「こっちです。」
ミエに導かれて、地下二階のエレベーターフロアへ到着した。両開きの扉の先から廊下を進む。
「ここは施設管理系の設備が多いです。ビル全体の空調、ボイラー設備とか。館内設備の非常用電源もあります。」
「はい。」
「こっちの管理には、運用センターはあまり絡んでいません。来るのは設備管理課の人くらい。よく巡回しているから、会うかもしれませんね。」
ミエは地下設備の具体をあまり把握しておらず、案内は手短に終わった。
「設備のウスイさんを捕まえておけば良かった。ウスイさんが一番よく知っているので。」
「そうですか。」
「あ、ウスイさんて二人いて親子なんです。二人とも設備管理課にいるわ。お父さんの方は以前『ヤマシロ』の技術にいた人で、定年後にここの施設管理に再就職しています。娘さんはパートみたいなものね。この二人に聞けば、建物のことはだいたい分かります。」
施設巡りを終えると、私たちは地上の一階へ戻った。売店と喫茶店がある。中央の通路は広く、駐車場まで見渡せた。階段もエレベーターもここで乗り継ぐ必要がある。
「あ、あの人がアヤさん。設備管理に親子がいるって言いましたけど、その娘さんの方よ。」
ミエの指差す先では、作業着に身を包んだ女性がエレベーターに乗り込もうとしていた。女性はエレベーターに入って向きを変えると、私たちに気づいて手を振ってきた。ミエが手を振り返すと同時に、エレベーターの扉が閉まる。
「今度、どこかで紹介しますね。私たち同い年で、たまにランチしたりするんです。今回の件では、設備管理はあまり関係ないかもしれませんど。」
「いや、何が関係するか分からないですから。情報は一通り必要です。」
そうは言ったが、現状では地下設備の話は調査対象になりそうにない。私は次の行動をミエに伝えた。
「ところでミエさん、こちらにある資料を見たいんです。図面や当日の試験の詳細とか。どこにありますか?」
「資料はそれぞれの部署で持ってますので、三階の技術局長室に集めますよ。」
「技術局長室?」
「ええ、今はポストが不在ですから、サナダさんが使うのが一番いいと思います。それに調査委員会の本部にしたいので。」
私が反対する理由はなかった。むしろ静かな空間が確保できるなら、有難いことだ。