新たな現場
二本の報告書はどちらも『ヤマシロ』システムで発生した事故に関してだった。最初に発生したのが十日前で、次が一昨日。トラブル一回につき一本の報告書が作成されている。突然こんなものが上役から届いたのだ。次の自分の仕事は何になるか、私は容易に想像できた。
報告書に目を通して、心を落ち着かせてから、私は上役にビデオ通話で連絡をとる。すぐに応答があってミーティングは始まった。
「報告書は一通り読んだな。」
「はい。細かい精査はしてないですが、概要は把握しました。」
画面上で上役は満足そうに頷く。ここ数年はこの人物からの連絡によって、あちこちの現場に向かうことが多い。おそらく今回もそのパターンだ。
「『ヤマシロ』で重大トラブルが発生中だ。何者かがシステムに侵入した可能性がある。」
この上役は、一つ一つの仕事に時間をかけないのが信条だ。知ってはいるが、今回も背景の説明が少なすぎる。
「侵入って、セキュリティの問題なんですか?」
報告書を読んだ限りでは、私にはそう思えなかった。
「全く分かっていない。とにかく不正な行為をした人間がいる、というのが前任の責任者の答えだった。」
「前任?」
「ああ、後任が君だ、サナダくん。来週から『ヤマシロ』に入ってくれ。元どおり運用できるようにするんだ。」
「『ヤマシロ』には今まで関わってないんですよ。私が適任者とは思えないんですが。」
『ヤマシロ』は、何年も前から続いている大きなプロジェクトだ。ただ私が知っているのは、システムの概要程度だった。
「君が適任者に浮かぶ人間は、起こってしまった二回のトラブルのどっちかの関係者だ。つまりは疑いのある人間ってことになる。今まで直接関係していなくて、それでいて技術面をおさえられるやつ、つまり君だね。関わってないからこそ、適任者なのさ。」
「・・・。」
消去法の結果、ということだ。なんだか、やる気の出ない指名のされ方だ。
「原因が分かるまでは帰ってこれないぞ、この案件は。まあ、問題を起こせば別だがな。」
「はあ。」
「とにかく、そういうことだ。期待しているぞ。がんばってくれ。」
最後は一方的に言われて、上役との通信は切れた。そして私は今日、山城町に向かっている。そこは平野のへり、山地を背にした小さな町だ。この町に野外実験用の大規模施設『ヤマシロ』があった。
十数年前に注目を集めた一つの論文。特殊な波動で、大気中の雲粒を成長させる手法が発表された。『ヤマシロ』はその手法を運用化するための実験施設だ。将来的にごく狭い範囲の天気を人が変えられる可能性がある。ただ操作を間違えれば、天気の急変を起こすわけで、それが落雷や強雨であれば災害の引き金にもなりえた。『ヤマシロ』の野外実験は、周辺環境への影響が未知数なため、ことさら慎重に扱う必要があるのだ。
『ヤマシロ』へ向かう電車の中、私は車窓から緑が増えていくのを眺めていた。五月の空、午前の穏やかな光が景色に降り注ぐ。山が静かに近づいていた。
移動中は、これからの仕事をつい考えてしまう。新しい現場、今度はずいぶんと手こずりそうだ。前任者がそうだったように、私も失敗するかもしれない。果たして解決できるだろうか。
現場に行ったら物事が始まる。それまでに知識と技術を磨いておく。でも始まる間際なんて、せいぜいが体調を整えるくらいだ。事前の準備とは、結局そんなものかもしれない。
今度の現場でうまくやれるか、今は考えてもしかたない。それより頭の中のプランを練り直すか、精神の平穏を保つために窓の外の景色を眺めていよう。私は覚悟しながらも、必要以上に深刻にならないように心を調整していた。