2話 人間ってどれくらい強ければいいのか
「エレーヌ、ゴブリンの群れは見つけられた?」
「はい、ルカ様!あそこの林に18匹潜んでます!」
「上位種は居るの?」
「いいえ、ただのゴブリンだけです」
さっきから全身を舐め回すような視線を感じる。
自分に自信がある女性であれば、経験があるはずの感覚だけど、相手がゴブリンだとここまで屈辱的なのか。
そして何故か、露出が高めのエレーヌでも絶世の美女のベルサンディでもなく私に視線が集中している。
革鎧とズボン、肌を隠していて色気が全く無いのに解せぬ。
「ルカ様!攻撃の許可を!必ず、あの下衆で下等な存在なんて抹殺してやりますよ!」
「念を押すけど、人間らしく攻撃してね!それとベルサンディと私の分は残しておくこと」
「わかってます!」
本当に分かっているの?
大丈夫?手を滑らせて斧をあらぬ方向に投擲して直撃した大都市が消滅しない?
あまりにも自信満々で左腕を回している眷族を見て心配になってくる。
「行ってきます!」
「「いってらっしゃい!」」
エレーヌは偉大な両手斧を携えて元気よく林に向かっていく。
そこに隙ありと言わんばかりにゴブリンが飛び出してきたが彼女は斧を振り下ろした。
ゴブリンの胴体は瞬く間に両断されどころか地面を割りその衝撃波が地鳴りと共に土壌を巻き上げてゴブリンの集団に向かっていった。
「これが人間の戦い方ですか」
「ベルサンディ…分かっててそれを発言されるのは、彼女の創造主である私に精神的ダメージがくるから止めてくれない!?」
彼女が放った一撃は、ゴブリンどころか地面を割り林をなぎ倒し、山を崩してしまった。
大精霊の権限で、ただでさえ本来の実力の1割未満に抑えたうえで、人間のように手加減しろという命令でこの有様。
一体、眷族はどこまで縛りと制限を与えれば、人間並みの実力になるのか。
「ゴブリンは全滅していませんよね?」
「もちろん、手加減しました!ほらあそこに必死に土砂から這い出ようとするゴブリンが居ますよ!」
「エレーヌ?人間がこんな事できると思う?」
「できませんね!!」
「私は、人間の様に戦えと命じたはずなんだけど、この有様は何?」
なんでこの惨状を生み出した元凶が驚いた顔をしているのよ!
どうしてくれるの!この片付けは誰がやると思ってるの!?
後始末や証拠隠滅は!?考えるだけで頭が痛い。
「ルカ様、ゴブリンが2体こちらに向かってきます」
「ベルサンディ、相手をしてあげなさい。貴女なら私の期待を応えてくれるわよね?」
「努力はします」
珍しく勇敢でこちらに駆け寄ってくるゴブリン。
その視線が私の方に向いているのはきっと気のせいよね?
「肉体分解”」
「嗚呼、なんという事でしょう!勇敢なゴブリンが分子レベルに分解されてみるも無残な姿に…って待ちなさい!」
「なんでしょうか?」
「せめて魔法攻撃をしなさい。努力はするんじゃなかったの?」
「努力はしましたが、魔法を使う時間すら惜しくなったのでこの結果になりました」
「それなら無言でやればいいじゃない」
「ルカ様に状況を把握してもらいたかった為、あえて発言しました」
この【現実主義者】め!
やはり制限と規則を定めておかなければダメだったか。
地面に残されている水溶液と不純物がゴブリンが居た事実を示しているのを見て溜息を吐く。
「…矢か」
「あのルカ様ー、死角から放たれた矢を掴むのは人間技なんですか?」
「達人ならできると思うけど…」
この矢を放ったのは、あそこにいるゴブリンか。
珍しい!味方に誤射したり、地面に向かって撃たずに正確に目標に向かって射てるなんて!
「意外と凄腕のゴブリンでは?ここで死なせるのは勿体ないかもしれない」
「ただのゴブリンじゃないですか」
「エレーヌ、あのレベルの弓使いのゴブリンは本当に珍しいのよ!」
「目標に向かって射てるだけで感動しないでください!」
私の発言で何故か苛立ったエレーヌが斧を放り出して弓兵ゴブリンに向かっていった。
それを見届けようと思ったけど、背中を見せて全力で逃げ出したゴブリンが視界に飛び込んできたので、つい矢を射的矢のように投げつけた。
「首に命中して頭が勢いよく離されて吹っ飛んでいきましたね。お見事です」
それは見事に命中したがさすがにやり過ぎてしまった。
やってしまった事は仕方がない。
「ううっ、【人間の強さ】をきちん定めないと、まずいわね」
「ところでエレーヌ様のお姿が見えませんが…」
「その内戻って来るでしょ。それより復旧作業をするから貴女も協力してくれない?」
とりあえず、エレーヌよってもたらされた惨劇の跡を誤魔化す為にベルサンディと私の魔力で無理やり修復させていく。
魔法職1万人分に匹敵する魔力で、崩れた土砂を元通りにして樹木を埋め直して、適当に元通りにしておいた。
「このくらいでいいでしょう」
「目撃者が居る可能性があります。今のうちに付近を捜索して始末した方がよろしいのでは?」
「記憶を弄るだけで充分でしょう」
その気になれば、記憶を弄る事もできるし、肉体を変えて変化させるのもいいかもしれない。
そもそも私も含めて衣服や装備品を購入したのは『着替える』という人間として当たり前の動作をする為に行なったのであって、別に買わなくてもいくらでも生成できる。
でも、それって明らかに人外の行動であり、やはり着替えをしないといけない。
「感知した限りでは、最後のゴブリンのようです」
ベルサンディの言う通り、ゴブリンが一体こちらに向かって来る。
あれだけやらかしたんだから逃げないのかと思うけど、自分が逃走したゴブリンを殺害しており、諦めて命乞いでもしにきたのかと思ったが、すぐに否定することになった。
「ああ、気化して体内に入り込んだエレーヌ様が操っていらっしゃるのですか」
「もう少し躾けた方が良かったわ。あまりにも行動が酷過ぎる」
「精霊ってもう少し神秘的だと思ったのですが」
すぐに眷族が体内に潜んでいる事が分かって眉を潜めると、勘が鋭いマーヤのように私の考えを見抜いたベルサンディがからかうように耳元で囁いてくる。
彼女の香水が風と共にほんのり鼻をくすぐるけど、この地域では非売品でありこの娘の創造主が愛用している香水を使用しているのを見て、何か他にも持ち込んでいないか気になる。
「おりゃあああああ!」
「ぐぎゃあああがっ!」
ゴブリンの肉体は時間が経過した水死体のように膨れ上がって爆散し、中から血塗れになった裸のエレーヌが出現した。
野生の痴女ともいわんばかりにそのままの姿に笑顔で駆け寄ってきたのはいいけど、風に乗って不快な匂いがしたので抱きを要求される前に先手を打つ。
「ルカ様―!」
「エレーヌ、臭い!風呂でも入ってきなさい!」
「ええっ!?」
「ゴブリンの体液や排泄物を被って裸のまま、そのまま駆け寄って来るなんて人間どころか眷族失格ね」
本音をぶつけると青ざめた彼女は地面に手をつき首を垂れて落ち込んでいるけどまず服を着なさい!
「はしたない!いつまでその恰好で居るつもり?」
「あわわわ!はい、すぐに!」
エレーヌは、煙を出して肉体を気化させてその場から姿を消した。
そして、すぐに服を着直した彼女が慌てて私の元にやってくる。
「これでどうですか!?」
「まだ臭い」
「ううっ!」
「泣いて誤魔化してもダメ!もう二度とやらないで!」
本当は匂いなどしないけど徹底的に彼女の行動を否定しないとすぐに再発するので強く!念入りに!瞳に涙を貯めて泣き落としをしようとする眷族を無視しないといけない。
「ちょうど日が暮れそうなので、野営と入浴の準備をしませんか?」
「言っておくけど風呂は入れないわよ?普通に考えて水も見当たらない場所で風呂が炊けると思う?」
「毎日の入浴は創造主に課せられた義務なので、わたくしは入浴をします。ちょうどエレーヌ様も匂いを落とす為に入浴をオススメしますが?」
「私も入りたいです!」
最上位クラスの動く屍が毎日入浴するとは、肉体が腐敗しているイメージをもつ動く屍の常識を覆しかねないわね。
冗談はさておき、人間が同行しているわけでもないし、多数決に基づき採用しましょう。
私とエレーヌは水の精霊、水などいくらでも作り出せるのだから風呂など片手間ですぐに作れる。
「そうね、眷族がゴブリンの匂いを漂わせるのは我慢できないから入浴しましょう」
「ありがとうございます」
「エレーヌとベルサンディは、ゴブリンの両耳を切り取っておきなさい。多少の小銭にはなるわ」
「分かりました」
「野営は少しここから離れた場所にしましょう」
エレーヌをいつまでも頭を垂れされるにもいかず、適当に話題を変えておく。
この身体では、初めての野営。
作業に取り掛かる彼女達を眺めつつ前回、人間に扮してから数百年が経過しており感覚が鈍っていない事を祈る。
彼女達がゴブリンの耳を回収したのを確認して殺戮の現場から遠く離れた場所に野営の準備に取り掛かろうとしたがあることに気付いてしまった。
「浴槽がない!!」
「適当に作れば良いじゃないですか」
ベルサンディはよっぽど入浴したかったのかすぐに浴槽を生成した。
それを見てエレーヌが浴槽に水を精製して沸騰させたと思ったら天幕を張っている彼女達のあまりの手際の良さに感心しつつ本日の献立を考えないと。
久しぶりにやろうとすると、限られた食材で栄養バランスを考えつつ味付けも考えないといけない。
何かやらかすと想定し、数百年ぶりに自炊をやってみたが、幸いなことに身体が覚えてくれており失敗することもなく調理に取り掛かれた。
「わたくしが先に入りますので、エレーヌ様は付近を警戒しておいてくださいませ」
「はーい!」
3人しか居ないのに誰を見張るというのか。
いや、どちらかといえば密室を作り上げているというべきね。
時折ベルサンディからは、彼女以外の視線が感じられる時がある。
気のせいだと思ったけど、どうも彼女は全体を俯瞰するような行動をとっており1つの疑惑が生まれた。
それを確認する為に私はさっき、彼女に鎌をかけた。
「ルカ様、野営の準備が整いました。次は何をすればよろしいのでしょうか?」
「ねえベルサンディ、この中では年長者なんだからたまには貴女が指示しても良いのよ?」
「マーヤ様からルカ様を補佐しろという指令を受けて行動しておりますので、求められれば提案はしますが自発的な行動は控えさせて頂きます」
ベルサンディは私の発言に一瞬だけ眉をひそめたがすぐに作り笑いをしてみせた。
年長者という単語が気に入らないと思うかもしれないけど、彼女は生まれながらにして大いなる魔の探求者、寿命も年齢も気にすることは無い。
それにも拘らず眉をひそめたのは、彼女を中継で利用して私達の行動を見て楽しんでいる創造主に気を遣ったのであろう。
だから私は悪趣味の覗きをする創造主の好物である料理を作ってみた。
3人しか居ないのに4人前の料理と皿を用意してみせる念入りである。
「ベルサンディさん!出ましたよ!」
「あとはルカ様の料理を待つだけね」
水の大精霊に調理を押し付けて入浴を終えた彼女達がまだかと言わんばかりに大げさに確認しているのに苛立ちを覚えてしまうが、やはり人間になると感情的になりやすくて困る。
さて、マーヤはどんな反応をするのか楽しみに料理を皿に盛り即席に作ったテーブルに運んでみると、3人の人影が見えた。
「マーヤ、なんでここに居るの?」
「報告がてらルカ様達の様子を確認する為にここへ参上しましたけど何か問題があるのですか?」
「それならそこの眷族を通せばいいじゃない。五感を共有していた貴女達なら情報伝達など容易いでしょ」
「直接、現場に来ないと分からない事もあるのですよ。例えばわざわざ4人前の料理を用意するスコルツェニー少爵様の意図を直接確認する時とか」
木製の椅子に座って用意周到に持参した飲食用の器具を両手に持っている女性はマーヤ。
吸血鬼王級である動く屍にしてベルサンディもとい、ヴェルザンディの創造主。
世にも珍しい黒髪を束ねて紅い瞳に大理石の様に真っ白な肌の人間離れした妖艶な美女。
そんな彼女が料理を早くよこせと言わんばかりの視線をこちらに向けてくる。
「もちろん、貴女の気配がしたから嫌がらせの為に作ったけどそれが何か?」
「あら、酷い。せっかく貴重な情報を仕入れてきた部下に向かって発言する事ではありませんね」
「図々しく私の席に座って料理を心待ちにしている貴女が言える事ではないでしょう!」
「料理が冷める前に早く並べてくださいませ。それともこのまま帰ってもよろしいでしょうか?」
とはいえ、わざわざ直接報告に来るということはただ事ではない。
何故ならいくらでも連絡手段などあるのにわざわざここに来るという事は…嫌な予感しかしない。
感情的に発言したものの素直に自信満々の料理を差し出す。
「もう少し味付けをした方が良いと思いますね。そこの赤い容器の調味料を取って頂けませんか?」
「私たちの眷族は美味しそうに食べているのに嫌味でも言いに来たの?」
「遠慮しているだけでしょう。私だったらもう少し刺激的な味にして振舞います」
「さすが年季が違うベテランの発言は一味違うわね」
「経験の差ですかね。良妻賢母となるように努めてきましたから」
「1つ言っていい?良妻賢母は自称していい単語じゃないでしょ」
大人しくしていたら付けあがっていく彼女と会話すると話が平行線になってしまい困る。
あれだけ騒がしかった眷族達は空気を呼んで静まってしまい重苦しい空気が漂ってしまった。
「それで報告事項は何なの?」
「その前に水瓶に鮮血を補充して頂けませんか?」
「はい、できたわよ」
空の水瓶を受け取りいつも通り血を補充して手渡した。
彼女は吸血鬼、血を求めるのは本能ではあるけど何故か私が精製した鮮血が大好きである。
私が垂らした一滴の血を媒介にして水瓶の水を血に錬成する関係上、他の血と違って劣化することがないので旅立つ前に大量に精製しておいたはずなのだが何故か改めて血を求められて困惑してしまったが次の一言でその疑問は解決した。
「人間になったルカ様の血を味わってみたくてー」
「良いから報告して頂戴」
「メンゲレ少爵とディルレヴァンガー少爵がゴンサレス魔導国に刺客を送り込みました」
「ああ、なるほど。事情を知らない私に警鐘を鳴らしにきたのね」
「いえ、ルカ様達が派手に暴れてくれるのを期待して機密情報を漏らしに来ました」
彼女の意図が読めない。
本音なのか冗談なのか、血の水瓶に頬ずりしている彼女を見て判断に困る。
「魔王軍の刺客、それも【五芒星将】の選定した刺客の情報を敵国に漏らすつもりなの?」
「いいえ、どちらかと言うと刺客を通じてルカ様達と異世界人がお近づけるように裏から支援しようと思いましてこっそり機密書類を複製して持ち出してきました」
「…確かにこれはー」
「人類の希望として活躍して頂くのを心よりお祈り申し上げます」
「この書類はどうすれば良いの?」
「ルカ様の判断に任せます。どうか最低限に犠牲に抑えてくださいませ」
そう言ってマーヤは闇へと消えていった。
私はそれを見届けて握りしめていた書類を急速に劣化させて粉々になった紙は風と共に飛散していき証拠は消え去った。
「ルカ様、どんな内容だったんですか?」
「エレーヌ、早く魔導国に向かいましょう」
ああ、精神感応や魔法、眷族や第三者を介してこちらに連絡できなかったわけだ。
この書類は、准爵以上でないと情報を伝達できないシステムが組まれており口頭や図、合図で説明する行為すらできない強力な縛りが入っていたから。
ふと、食器があるテーブルを見ると、全てを飲み込もうとしている闇を照らす角灯の火が消えようとしている。
それは魔導国の未来を暗示させるような感じがした。