断罪
断罪?
断罪!?
セバスチャンは茫然として王女を見た。ピンクゴールドの髪に映える薄緑の上等なドレスは非常によく似合っているが、彼女の表情を見ただけで一歩下がりたくなる。興奮状態なのか、顔を上気させ、目をぎらつかせていた。その獲物は当然ヴィクトワールだ。
ヴィクトワールを見れば、少しも狼狽えることなく背筋を伸ばし静かに立っていた。ここからでは後ろ姿しか見えないが、もしかしたら微笑んでいるのかもしれない。
見た目は悪役そのものだが、後ろから見る立ち姿は凛としていて清廉さを纏っていた。
「……そこまでだ。非常に残念だが、今後、貴女の国とはお付き合いを考えさせていただこう」
呆れたような声はさほど大きくはないが、しっかりと会場の隅々まで届いた。コツコツと靴の音を鳴らして二人の方へと歩み寄るのは第二王子だ。二人が彼に気が付いたところで、彼はその場に立ち止まった。ヴィクトワールと王女の目が王子に注がれる。
彼は安心させるようにヴィクトワールににこりと笑みを向けた。その笑みにはいたわりの気持ちだけがあり、小説のような蔑む色は見えない。
自分が選ばれると思っていたのか、ヴィクトワールに向けた笑みを見て王女は目を剥いた。
「何故、その女に優しくするのです!?」
「何故って……。王女にそう言われるいわれがないのだが。何度も説明したと思うが、理解できるほどの頭がないのだろうか?」
「王子殿下、それはちょっと直接的過ぎますわ。女性は信じたくないと思えばいくらでも無視することができるのです。特に恋愛に関しては、ね?」
「なおさら悪いじゃないか」
王子は疲れたように呟くが、すぐに表情を繕って怒りで顔を赤く染めている王女の方へと視線を向けた。
「わからなかったようなので、もう一度説明しよう。私の婚約者になる相手はこの国の貴族だと法で決まっている。だから、元々はこの国の貴族令嬢だったとしても、他国の王族の血を持つ王女とは結婚はありえない。わからなかったところ、あるかな?」
子供に言い聞かせるような優しい口調だ。それにもかかわらず、隠しようのない突き放した冷たさが声に滲んだ。王女はその声音に怯んだ様子を見せたが、彼女は強く訴えるようにヴィクトワールを睨みつけて指さした。
「だけど、この女が! わたしに無礼を働いたのは事実よ!」
「無礼、ですか? 覚えはないのですが……」
ヴィクトワールは困ったような表情で少しだけ首を傾けた。王女は憎々し気にヴィクトワールを睨み続けた。
「……本当はこのようなさらし者にするような行為は控えるべきだと思うのだ。でも、この状態で場所を変えるとヴィクトワール嬢の名誉が傷つく」
そこで言葉を切ってから、気持ちを切り替えるように姿勢を正した。空気が変わったことを感じ取ったのか、王女が顔色を悪くする。握りしめた扇がぎしりと音を鳴らした。
「王女が言っている無礼というのは、私に抱きつこうとして壁になったことや、私の名前で宝石類を購入しようとしてヴィクトワール嬢に差し止められたこと、他にもあるのかな?」
「わたしだけお茶会に誘わなかったわ! それに、それに……」
「お茶会は招待しないよう私が指示をした。当然だろう? 貴女はいつもヴィクトワール嬢を見れば、突っ掛かる。さらにはわざと茶をかけたり、足を引っかけたりするのだから」
そんなことをしていたのか。
アンナたちが大変だったという言葉を思い出した。王女のあまりの品のなさに頭が痛くなってくる。
原作はどうだったか。
セバスチャンは無表情を保ちながら、断罪シーンを思い出す。王家主催の夜会で、沢山の貴族が嫌悪の目でヴィクトワールを見ていた。そんな中、王子はドアマットヒロインを庇いながら事実を明らかにしていく。その証拠として騎士団が出張っていた。追い詰められたヴィクトワールは扇子の軸に仕込んでいた短剣を――。
ヴィクトワールの最後のあがきを思い出したのと、王女の手の中にあるものを見つけたのは同時だった。
セバスチャンは無意識のうちに動いた。
ヴィクトワールの側へ大股で走り寄ると、自分の体を盾にして彼女の前に回り込み体を胸に強く抱き寄せた。すぐに体に衝撃が走った。息を呑むほどの鋭い痛みが背中を襲う。体当たりするように突き立てられた短剣はかなり深いところまで彼の体を傷つけた。
「きゃああああ」
どこからともなく、甲高い悲鳴が聞こえる。
「王女を取り押さえろ!」
指示を出す王子の声と会場の騒然とした声が聞こえた。セバスチャンは背中の痛みを感じながら少しだけ腕の力を緩め、痛みに顔をしかめながらヴィクトワールを見下ろした。
ヴィクトワールは茫然とした顔で瞬きもせずセバスチャンを見ていた。何があったか、理解したくない、そんな顔をしている。
少しでも安心させたくて、いつもと変わらぬ態度を意識して尋ねた。
「お怪我は……ありませんか? お嬢さま」
「え、ええ。貴方のおかげで」
「それはよかった」
小さく微笑むと、セバスチャンはヴィクトワールを抱きしめたまま、側にいるはずの王子を探す。王子を見れば、眉間にしわを寄せ、唇をぎゅっと引き絞っていた。
「このように出しゃばりまして申し訳ありません。お嬢さまの顔色も悪いので、退出の許可を頂けないでしょうか」
「もちろんだ。今、部屋を用意させる。その前に短剣を抜け。止血をしよう」
すぐに王子の指示で騎士が近寄ってきた。手には布が握られていた。セバスチャンは首を左右に振る。
「いえ、このままで。ここで抜いたら血で汚してしまう」
「そうならないように彼がいる」
「ですが」
「……そのまま短剣が突き刺さっていると、つい押し込んでしまいそうだ」
恐ろしいことを笑顔で言った。思わず血の気が引く。彼の真剣な目が冗談とは思えなかった。
「殿下、セバスチャンを脅さないでください」
「反応が素直でいいな。私の周りにはいないタイプだ」
「……セバスチャンはわたしのですから、あげません」
なんだかよくわからない会話をしている。セバスチャンは理解するのを放棄すると、側で様子を見ている騎士に顔を向けた。
「あの、手当てをお願いしていいですか」
騎士は頷くと、セバスチャンをその場に座らせた。慣れた手つきで手早く短剣を抜き、止血を行う。ひどい痛みがあるが、ここで気を失うわけにはいかないので気合を入れた。最低限の処置が終わったことを見た王子はひどく優しい笑みをセバスチャンに向けた。
「ヴィクトワール嬢の名誉は今まで通りで、少しも傷などないのだから安心してほしい」
「ありがとうございます」
それがセバスチャンにとって一番大切なことだ。少しの陰りもあってはならない。
「セバスチャン、行きましょう」
ヴィクトワールは手を差し出した。立場が全く逆転してしまっている。差し出されたほっそりとした手を見つめた。黒のレースの手袋に包まれた手はわずかに震えていた。
その震えに気がついて、ヴィクトワールの顔を座ったまま見上げた。彼女の顔は今にも泣きだしそうだった。彼女を助けたことはよかったが、セバスチャンが怪我をしたことで心配させてしまったようだ。
差し出された手に自分の手を重ね、ヴィクトワールに負担をかけないようにして立ち上がる。ひどい痛みが体を突き抜けたが、それを無視していつもと変わらぬ笑みを浮かべた。
「ご心配おかけして、申し訳ありません」
「こんな時にそんな風に言わないで。控室に行きましょう」
ヴィクトワールは怒ったように呟くと、セバスチャンを連れて会場を後にした。
こうして原作は最後まで終えた。世界の強制力はこれで終わる。
背中の痛みと共に何とも苦い思いがいつまでも残りつづけた。