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気がつきたくない気持ち


 王城で行われた茶会の日から1か月。


 ヴィクトワールは王城から屋敷に帰ってこなかった。なんでも王子によって引き留められ、王族の居住区に部屋を与えられているらしい。


 その話を聞いて、ヴィクトワールと王子の婚約に向けた準備だとセバスチャンは納得した。想像を超えるドアマットもどきがいるのだから、ここは引くことなく戦うべきだと思う。あのような腐った王女に遠慮はいらない。喧嘩を売ってきたのはあちらの方だ。


 残念なのはヴィクトワールと離れてしまう事だった。アンナは侍女なので一緒にいることができるが、セバスチャンは護衛ではないため、側にいることは許されなかった。


 慌ただしくヴィクトワールの荷物を用意し、送り出してからは一切の連絡がない。


 一体どうなっているのだろう。王女も城に滞在しているので、時間が経つほど心配になる。セバスチャンがねじ曲げたシナリオはどのようになっているのかも気になる。


 何よりもヴィクトワールに会えないことが思いのほか心に堪えていた。火が消えたような静かな屋敷にいると、ヴィクトワールの存在の大きさを知る。

 目を瞑れば、いつだって彼女の顔が浮かんだ。笑っている顔、怒っている顔、拗ねている顔……。普段は思い出しもしないような表情まで次から次へと浮かんでは消えた。


 初めて会ったあの日から、大切に大切に守ってきた。セバスチャンの全てだ。


「お嬢さま……」


 ついため息がこぼれる。これほど長く顔を合わせないことがなく、自分の中から何かが抜け落ちてしまったかのようだ。


 仕方がないと諦めのため息を吐いて、仕事をするためによたよたと廊下を歩いた。家令としての仕事を学ぶためにいつものように侯爵の執務室に入る。執務室には父親である家令だけがいた。どうやら侯爵は今出かけているようだ。


「よろしくお願いします」


 ぼそぼそと挨拶をすれば、家令は咎めるような眼差しを向けてきた。


「情けない」

「父上。仕方がありません。お嬢さまは私のすべてだったのです。どうしても、ここがすうすうしてしまうのです」


 そう言って胸を押さえれば、大きくため息をつかれた。


「お前は……その感情がなんであるかわかっているのか?」

「敬愛の気持ちですが?」

「敬愛の気持ちでそこまで心が持っていかれると思っているのか?」


 真顔で問われて、セバスチャンは家令の顔を凝視した。言われた意味をゆっくりと咀嚼して飲み込む。その時間は長く感じた。


「……敬愛でしかありえません」

「では、想像しろ。お嬢さまが王子と一緒にいて幸せそうな顔をしているところを」


 そんなことはいつだって、想像している。

 不思議に思いつつ、仲良く笑い合っている二人を思い浮かべた。どろりとした何かが心の内側から溢れ出し、思わず眉を寄せた。


「わかったか。お前のはすでに愛情だ」

「しかし、私ではお嬢さまを幸せには」


 受け入れがたく、自分の中で形になりつつある感情を押しつぶす。溢れ出した気持ちも綺麗に心に隠す。


「セバスチャン……もし望むのなら」

「それ以上は言わないでください。私は少しも望んでいません」


 父親が何を言おうとしているのか察したセバスチャンは平坦な声で制した。家令はじっと息子を見つめていたが、最後には諦めたように目を伏せた。


「お前の覚悟が決まった時に言いなさい。どうにでもなる。お前が何を選んでも祝福しよう」


 決まった未来だと言わんばかりの言葉に、セバスチャンはきつく手を握り閉めた。


 ――お嬢さまの幸せが私の幸せ。


 お嬢さまの手を取った自分が彼女を幸せにできる可能性は一つもない。彼女に相応しいものなど、何一つ持っていない。だから、彼女の幸せの手伝いをするだけだ。


 ――お嬢さまは王子さまと結ばれて幸せになりました。


 これが正しい物語の終わり方なのだから。


 ずきりと胸が痛む。こんな痛みを感じていては、これからもずっと側にいることができない、と自分を戒める。


「それから、今夜、王城で夜会がある。お前はお嬢さまを迎えに行ってくれ」

「夜会? 私が迎え、ですか?」


 意味が分からず目を瞬けば、家令はセバスチャンに手紙を差し出す。何も考えずに受け取る。すでに封が切られていた。


「お嬢さまからの指示だ」


 手紙を広げれば、夜会のあと屋敷に帰るから、セバスチャンに迎えに来てほしいと書かれていた。久しぶりのヴィクトワールの文字に頭の中が一気に晴れ上がる。そっと鼻を近づければ、仄かに甘い香りがした。


「はあああああ、お嬢さまの匂い!」

「……お前の教育は間違ってしまったのではないかと思うことがある」

「父上には感謝しております。こうしてお嬢さまの側にいられるのも父上が私を跡取りに推薦しようと考えたおかげですから」


 にこにこと笑みを浮かべ、夜会に迎えに行く準備をするためにとりあえず目の前の仕事を片付けることにした。


******


 音楽が流れてきた。

 夜会が始まる前であるが、すでに会場は紳士淑女で埋め尽くされていた。今日は王都にいる貴族のほとんどが参加しており、その数は大層なものだった。


 セバスチャンはヴィクトワールの迎えのために来ているため、夜会会場を横目に貴族の付き人に与えられる控室にいた。侯爵家のため、個室だ。一人でそこでじっと待っていれば、扉がノックされた。顔を上げれば、返事をする前にアンナが入ってくる。

 アンナはいつもと同じようにお仕着せを着ており、あまり変わりはないようだ。


「アンナ」

「お嬢さまから伝言です。会場の見える場所で控えていてほしいと」

「会場の見える場所?」


 よくわからず首をひねった。いつもなら夜会が終わった後、馬車の方で待つ。わざわざ会場の見える場所を指定されたのは初めてだ。


「これは王子も了承しております。どうやら嫌な空気があるのです」


 声を潜めアンナは不穏な言葉を紡ぐ。セバスチャンは厳しい表情でアンナを見た。先ほどは変わらない様子だと思っていたが、近くで見るアンナは非常に疲れた顔をしていた。


「何があった?」

「説明しきれないぐらい色々と。何とかすべてを阻止したのでお嬢さまは無事です」

「そうか」


 どうやら王女は予想を裏切らず色々としてくれたらしい。王子狙いの王女にとって、婚約者候補のような顔をしているヴィクトワールはさぞかし邪魔だっただろう。


 案内された場所は大広間が良く見渡せる小部屋だった。使用人達に指示をするために設けられた裏方のための場所。王城でもかなり信頼されている人間しか入れない。


 このような場所に案内されたことに不安が込み上げてきた。忙しく会場を見渡した。会場の中央にヴィクトワールを見つけた。


「お、お嬢さま!?」


 驚愕のあまり、目を見開いた。


 燃えるような赤い髪をゴージャスな巻き髪ツインテールにして、どす黒く見えるドレープとフリルを重ねた重厚な作りの紫のドレス。手には黒鳥の羽を使った黒の扇子。

 形の良い唇を混じりけのない赤で染め上げ、浮かべた笑みは清楚さよりも、意地の悪さを表現していた。


 まさに世界を震撼させた悪役令嬢である。


 信じられなくて何度も瞬いてみたが、どこにも清楚なヴィクトワールは現れない。


「何故、あんなドレスを……!」


 現実が受け入れられず、くらりと目眩がした。何故だと問いただしたい気持ちを抑えるように大きく息を吸った。


「はじまります。セバスチャン、準備を」

「は?」

「は、ではありません。ほら、さっさと行ってください。お嬢さまを救い出すのです」


 訳がわからないまま、アンナに押し出されて会場に出た。お仕着せを着たセバスチャンは周囲に不審がられることはなかった。何をどう救い出すのか分からなかったが、とりあえず戸惑いは使用人としての仮面の下に隠す。


「とにかくお嬢さまのところへ……」


 伝言を預かっている使用人を装いながら人を掻き分け、ヴィクトワールの方へと進んだ。

 ヴィクトワールの背中が見えたことで、ほっと息を吐く。


 ヴィクトワールに声をかけようと一歩、足を踏み出した。


「ヴィクトワール・グレイへヴィン! ここで貴女を断罪します!」


 そんなヒステリックな女の声が響いた。

 夜会会場はしんと静まり返った。



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