茶会という名の見合い
美しく着飾ったヴィクトワールにセバスチャンは感動のあまり、涙が止まらなかった。瞬きもせず、溢れる涙はハンカチで拭きとる。だがその目は決してヴィクトワールから離れることはない。
王家主催の茶会という名の第二王子とのお見合いに参加するために支度を終えたヴィクトワールはこの世のものではないのではないかと思うほど美しかった。
セバスチャンが選びに選び抜いたドレスは、華奢なヴィクトワールを柔らかく包み込み、淡い青色と白の組み合わせはとても爽やかだ。この色味だけでは寂しいところもあるのだが、ヴィクトワールの鮮やかな美しく結い上げられた赤い髪が華やかな雰囲気を作り出している。
大ぶりの雫型の紫の宝石と控えめに連なるパールによってできたネックレスが魅力的に膨らんだ胸元を飾る。ヴィクトワールの赤とドレスの淡い青を繋ぐ色を胸元に置くことで、違和感なく仕上がっていた。
スマホが欲しい、そんな切実な思いを抱きながら、少しでも記憶に焼き付けようとガン見し続ける。その必死な様子がおかしくて、ついにヴィクトワールは鈴のような声を立てて笑った。
「……セバスチャン、そろそろ涙を止めなさい」
「ああ、お嬢さまが楽しそうに笑っている……!」
「笑うわよ。これからどんどん茶会や夜会に参加していくというのに、貴方ったらこの世の最後とばかりに泣くのだもの」
「そうでした。今後もお嬢さまをさらに魅力的に見せるドレスを開拓せねば」
感動から我に返ったセバスチャンは涙を流しながらきりっとした顔つきになった。そんなセバスチャンにアンナがひどく冷たい目を向けていた。
「お嬢様、あまりセバスチャンに近寄らないでください」
「あら、何故?」
「涙でドレスが汚れます」
きっぱりと言われ、セバスチャンは目を大きく見開いた。
「アンナが正論過ぎる……!」
「お前達は本当に仲がいいな」
笑いを含んだ声に三人は扉の方へと顔を向ける。そこにいたのはヴィクトワールの父と家令だった。
「二人がいるからいつも楽しいのよ」
「わかっているよ」
侯爵は笑いながら中まで入ってきた。ヴィクトワールは父親にドレスを見せるように、くるりとその場で一回転する。
「お父さま、どうですか?」
「素晴らしいね。ますますお前の母に似て。外に出すのが心配だ」
近寄ってきた父親に軽く抱きついた後、ヴィクトワールは幸せそうに笑う。父親に褒められたことが純粋に嬉しいのだろう。
セバスチャンは物語の中のヴィクトワールを思い出して、またもや涙腺が崩壊した。
物語のヴィクトワールは性格が悪く、癇癪持ちであったため、父親にも愛情を向けられていなかった。ただの政略の駒のような扱いをされていたのだ。それがこのように微笑ましい親子関係を築いている。泣かずにはいられない。
「そうだ、セバスチャン。今すぐお前も支度をしてくるんだ」
「支度、ですか?」
意味が分からず、言葉を繰り返した。侯爵はニヤリと笑う。
「どうせならヴィクトワールの茶会デビューを見ておきたいと思わないか?」
「だ、旦那様……まさかお許しくださるのですか!?」
興奮にセバスチャンの頬が上気した。その様子を見ていた家令がため息をつく。
「旦那様、我が息子ではありますが……このような者を王城に連れていくのはどうかと」
「いいじゃないか。セバスチャンはいずれお前の跡を継いで家令になるのだし、貴族たちに隙をつかせないだろう?」
「もちろんでございます。このセバスチャン、絶対にお嬢様の害になるようなことはいたしません。支度をしてまいりますので、失礼いたします」
セバスチャンは表情を戻すと、急いで部屋を出て行った。残されたヴィクトワールと侯爵はくすくすと笑い合う。それに対して、家令とアンナの顔色は非常に悪かった。
「旦那様、本当に連れていかれるのですか?」
「アンナ、心配はいらない。徹底的に教育してある。ヴィクトワールに不利なことはしないだろう」
主人にそう言われてしまえば、引かざる得ない。不安そうな顔をしながらも、アンナは頭を下げた。
******
王城で開かれた茶会は手入れの行き届いた庭で行われていた。丸いテーブルに6人ほどが座り、それぞれのテーブルを第二王子が好きに回る。必ず一度は挨拶をする機会がある。
ヴィクトワールは侯爵にエスコートされ、セバスチャンとアンナは少し離れた場所で控える。
「ああ、夢のようだ」
美しい花であふれる庭に涼やかな表情で立つヴィクトワール。
笑顔で父親の腕にそっと手を預け、寄り添う姿は仲の良い親子そのもの。侯爵の表情もいつも以上に柔らかいのがいい。
二人の姿に再び強い感動が押し寄せ、セバスチャンの胸を一杯にする。
「ここでは泣かないでくださいね。鼻水が出ます」
「わかっている。わかっているが、この感動はどうにもこうにも抑え込めない……!」
「セバスチャン」
小さく名前を呼ばれて、セバスチャンは表情を引き締めた。
「心配しなくても大丈夫だ」
「そうだといいのですが。ほら王族の方々が入場されます」
二人は前を向き、頭を下げた。頭を下げる前、ちらりと王子の顔を見る。
金髪に鮮やかな緑色の瞳。体も鍛えられているのか、すっとしていて姿勢が良い。顔つきも柔らかく微笑んでいるが、目に隙はない。
とりあえず合格だ。
第二王子があまりにもお花畑ビューティーだったら速やかに刈り取ろうと思っていたのだが、その心配は必要ないようだ。
セバスチャンは王子を直接見るのは初めてであるが、ヴィクトワールとは幼馴染の関係で、よく城の方へと招待されていた。城から帰ってくるたびに聞いていた限りでは、性格に問題もなさそうではあった。
だがやはり自分の目で確かめたいと思うのが人というものだ。セバスチャンのこの世で一番大切な人を預けるのだ。妥協などあるわけがない。
王子はお手本のような穏やかな表情でテーブルを回り、会話をしていく。そのうち、ヴィクトワールのいるテーブルへやってきた。王子は嬉しさを隠さない柔らかな表情になり、ヴィクトワールの手を取る。少し身をかがめればキスをしてしまうのではないかというほどの近さに、セバスチャンは眉を寄せた。
「……馴れ馴れしくないか?」
「そうですね。いつもはあのような態度は取られないのですが」
アンナも驚いたのか、セバスチャンの呟きに答えた。ヴィクトワールは驚きつつも、嬉しそうな笑顔を見せている。二人のこのやり取りだけで、嫉妬の眼差しがヴィクトワールに集中した。彼女は気がついているはずなのだが、気にする様子を見せない。王子も耳元で何かを囁くと、彼女は思わせぶりに微笑んだ。
「――演技ですね」
「そうだな。見事な仮面だ」
二人の目にはわざとらしく映っていた。この茶番じみたやり取りはきっと王子に頼まれてやっているのだろう。なんだか釈然としない。もやもやする気持ちを抱きつつ、二人の様子を見守った。
何を話しているのか、この距離からはわからなかった。読唇術を身に着けておけばよかったと、セバスチャンは歯噛みした。将来、家令になるために様々な教育をこなしていたが、読唇術は入っていなかったのだ。
「あっ」
アンナが小さく声を上げた。セバスチャンは彼女の声にはっとして注意をヴィクトワールの方へと向ける。いつの間に近寄っていたのか、一人のピンクブロンドの女が手に持っていたカップをひっくり返していた。
ヴィクトワールのドレスに紅茶がぶちまけられ、淡い色のドレスに茶色のシミがじわりと広がる。
「お嬢さま……!」
アンナが小さく悲鳴を上げた。そして飛び出していこうとしたのをセバスチャンが慌てて止めた。何故止めるのかという目を向けられたが、セバスチャンは首を左右に振る。
「あのピンク頭、恐らく隣国の王女だ」
「何ですって?」
「あの様子からすると、殿下がお嬢さまに笑顔を向けたのが気に入らなかったのだろうな」
使用人である二人にはあの中に入って行くことはできない。セバスチャンは悔しさにぐっと手を握りしめる。こんな時に立ちふさがる身分差が忌々しい。
「それにしても……」
あんな王女、隣国にいたか?
この茶会に隣国の王女が参加するのは聞いていた。セバスチャンはこの国の令嬢令息含めた貴族たちと隣国の王族の顔をすべて記憶している。それが家令になるための教育の一部だ。その中にあの女の顔はない。消去法的に事前情報から彼女が王女だと判断したのだが。
「……」
ピンクブロンド。そして王女。
この二つのキーワードを持つ人物は「あなたにただ恋をして」の世界にも一人だけいる。
ヴィクトワールが破滅する原因を作るドアマットヒロインだ。
彼女は侯爵家に連れ子としてやってくるが、実は母親が隣国の隠された王女でドアマットヒロインはその血筋が認められ、隣国の王族に連なることになる。
ドアマットヒロインの母親が再婚したことは知っていたが、どこに嫁いだかまでは調べていなかった。だから油断していたのだ。すでにストーリーを改変しており、ヴィクトワールも愛される淑女となっている。もうあのようなストーリーにはならないと思い込んでいた。
世界の強制力。
セバスチャンは嫌な予感がしてならなかった。