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セバスチャンとお嬢さま


「セバスチャン! どこなの!」


 大きな声で名前を呼ばれて、セバスチャンは廊下を歩く足を止めた。彼はグレンへヴィン侯爵家の一人娘であるヴィクトワールの見習い執事だ。

 丁度、ヴィクトワールへの手紙を受け取りに、家令のいる部屋まで出向くところだった。体の向きを変え、こちらに走って近づくヴィクトワールへ笑顔を向けた。


「どうなされましたか、お嬢さま」


 ドレスを片手に、息を切らしながらヴィクトワールがセバスチャンの前で立ち止まる。


 鮮やかな赤毛に、上気した頬。

 息が乱れているため大きく上下する胸は非常に魅力的だ。16歳の花咲く年頃を迎えつつあるヴィクトワールは抜けきらない少女の持つあどけなさと大人の女性らしい色気を纏っている。


 一言で言えば、眼福である。セバスチャンは特に表情を変えることないが、心の中では悶えていた。ここにスマホがあれば絶対に写真にとって残しておくのに、とやや残念な思考をしていた。


「どうなされましたか、じゃないわよ! こんなドレス、何故用意したの!」


 ヴィクトワールに勢いよく顔に叩きつけられたのは明日の茶会に着ていくようにと準備したドレスだ。ぴらりと両手でそれを広げ、首をかしげる。


 上質の絹で作られた淡い青色のドレス。

 白いオーバースカートには細かに色とりどりの小花の刺繍が刺してある。16歳のヴィクトワールを清楚に見せる非常にいい品だ。


 セバスチャンの全身全霊を持って選び抜いたドレスである。似合わないわけがない。誰もがうっとりとするに違いないと自負している。だからこれほど怒りをあらわにしているヴィクトワールの気持ちがわからなかった。


「どこが気に入りませんか? 今流行りの素敵なドレスだと思いますが。これを着たお嬢さまがすべての人間の視線を攫うかと思うと胸が高鳴ります。悔しそうに顔を歪める令嬢がどれほどいるか考えるだけでもぞくぞくが止まりません。ああ、あれですか? 舐めるように見る輩が怖いですか。心配無用です。不埒な輩はすべて私が排除……」


 そこでセバスチャンの頭が強打された。


「アンナ!」

「お嬢さま、この男の穢れた妄想は聞く必要ありません」

「ひどいな。お嬢さまをこの私以上に理解している人間などどこにもいないというのに」


 ズレた眼鏡を正しい位置に押しやりながら、ヴィクトワールを守るように立っているアンナを見て薄く笑った。アンナはそんな見習い執事を睨みつけ、ヴィクトワールと共にじりじりと後ろに下がっていく。


 ヴィクトワールの侍女であるアンナはことごとくセバスチャンの邪魔をする。二人の仲にずかずかと入ってくる無神経さは気に入らないが、彼女の批判がセバスチャンを庇う行動につながる。


 主人に庇われる下僕。


 なんていいシチュエーションなんだ。ヴィクトワールの高潔さを感じる。すなわち、尊い。結果、アンナを排除してはいけない。必要枠だ。


 アンナに向けてにっと笑みを見せた。彼女に向かって両手を広げる。


「アンナ、さあ、遠慮なく罵れ!」

「はい!?」

「お嬢さまに庇われる幸せをもっと感じたい」


 アンナは男の変態的な要求に体を震わせた。セバスチャンは罵りやすいようにと、一歩前に出る。アンナは反射的に後ろに下がるが、セバスチャンはその分前に出る。


 その繰り返しをしている二人に付き合って徐々に下がっていたヴィクトワールが声を上げて笑った。


「セバスチャン、その辺にしてあげて。アンナは初心なのよ。それから、アンナ。セバスチャンは確かに変態気味だけど優秀なの。多少のことは許してあげて」

「これが多少のことだと言い切るお嬢さまに不安が募ります。それに、この男の変態さは危険です。お嬢さまに何かあってからでは遅いのです」

「……そうかしら? 職務に加えて過保護気質なだけだと思うのだけど」


 ヴィクトワールの零した言葉に、セバスチャンは嬉しそうに微笑みながら恭しく頭を下げた。


「有難き幸せ。私の幸せはお嬢さまの幸せ。どうかそのことをお忘れなきよう」

「そういう言い回しがアンナに嫌われるところだと思うのだけど」


 仕方がないわね、というような表情で言えば、アンナも渋々と引き下がる。アンナが落ち着いたところで、ヴィクトワールは本題を切り出した。


「それで、ドレスの件だけど」

「そうでしたね。お嬢さまに似合う素敵なドレスなので、変更は不可能です」

「でも、わたしに似合う色は紫だとお祖母さまが怒っていらっしゃるの」


 お祖母さま、と先代の侯爵夫人であるセーラを出されてセバスチャンは大きくため息をついた。眉間を押え、わざとらしく首を左右に振る。


「お嬢さま、セーラ様が社交界の花としてブイブイいわせていた時代と今の時代、流行りがまったく違うのです。いまどき紫を高貴な色として身に着けるのは、カビの生えた骨とう品を身に纏うのも同然。どうか私を信じてもらえませんか」

「お前、さりげなくお祖母さまを貶したわね」

「ははは。気のせいでは? 無駄に贅沢で高飛車なセーラ様とは何故か気が合いませんで。努力はしていますが、理解できても受け入れがたいというのか、こう勝手に体身も心も拒絶するというのか」


 ヴィクトワールは諦めたようにため息をついた。セーラとセバスチャンの仲の悪さはこの屋敷にいる人間なら誰でも知っていることだ。


 セーラは使用人は人間じゃないと恥ずかしげもなく言い放つ前時代の価値観を持った人間で、他人に我慢を強いることが多い人である。社交界でも強い発言力があるせいなのか、屋敷でも高慢な態度だ。

 気に入らなければ場所など気にせず叱責し、最悪な場合、感情に任せて解雇するという横暴ぶり。誰も逆らうことができず、びくびくして仕事をしていた。

 

 そんな彼女もセバスチャンは苦手な相手だ。理屈が通らないことを言い始めたり、激高するとすぐさま「年をとるとかかる病気かもしれない」と医師を呼んでしまうからだ。社交界では誇り高い貴婦人を気取っていたセーラにとって、「年を取ってかかる病気」と診断され噂になるのは耐えがたい。


 そんなやり取りが何度かあって、結果、セーラは息子の侯爵によって隠居が決まり、屋敷の人事決定権を取り上げられた。今は機嫌が悪かろうが、激高しようが、慣れた使用人たちが対応して感情を落ち着かせている。


「本当にこのドレス、変じゃないのね?」

「もちろんでございます。誰もがうっとりとお嬢さまに見とれるに違いありません。鼻血を垂れる男どもが目に浮かぶようです」

「そう。だったらいいのよ。着ていくわ」


 ヴィクトワールはドレスを受け取ると、そのままアンナに預けた。


「ところで――」

「ヴィクトワール! どこにいるの? 返事をなさい!」


 面倒くさい声が廊下中に響いた。少し苛立っているのか、いつも以上に声が甲高い。


「お祖母様、機嫌悪そうだわ」


 ヴィクトワールが天井を仰いだのを見て、セバスチャンはそっと耳打ちした。


「行ってください。ここは私が引き留めておきます」

「いいの?」

「そのかわり、絶対そのドレスを着てください。約束ですよ?」

「わかったわ! また後でね」


 セバスチャンはアンナを連れて小走りで逃げていくヴィクトワールを見送ると、天敵の女をどう返り討ちにしようか、考え始めた。



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