イライラの花嫁修業
結納式。
それすなわち「婚約」を公にするために行う、伝統的な儀式のこと。
名前は知っていたけれど、どんなものかは知らなかった。
そもそも自分には縁のないものだと思っていたし、興味も無かった。
「よろしいですか姫様、この後に殿方から結納の品が贈られます。そうしましたら、姫様は国王様に結納品をあらためていただき、受書を受け取ります。このような向きで持ちますよ。礼の角度は45度を保って……」
私の作法教育係に任命された、ちょっと小太りのおばちゃん先生が、目の前で熱弁をふるっている。
結納の儀式では何をしたらいいのか、それにはどんな意味があるのか等々、事細かく語ってくれているのだが、私の頭には全く入ってこない。
色々面倒くさすぎる。もう結納式自体を全力でパスしたい。
大体からして、結納式は東独自の風習だ。西には婚約式はあるけれど、結納式はないと聞いている。
「西にはない風習なんだから、もうやらなくてもいいんじゃ……」
思わずそう呟いてしまったら、おばちゃん先生の目が三角になった。
「姫様! 何を仰るのですか! 第一王女の婚約に際して、結納式が省略されるなんてことはあり得ませんですのよ?!」
「でも先生、西の大国側もこちらの作法に則って色々と覚えなくてはいけなくなるのでしょう? ただでさえ多忙な先方に、そんなことをお願いするのは気が引けますわ」
頬に手を当てて憂うような表情を作った後、もっともらしい理由付けをしてみる。
おばちゃん先生は途端に笑顔を深めた。
「その件につきましては問題ございません。全てクリアでございますのよ」
「はい?」
「わたくし、つい1週間前まで、作法の教師としてプロントウィーグルに赴き、アレクシス王太子殿下に結納式の全てをご説明差し上げて参りました」
「……マ……いえ、本当ですか?」
「もちろんです。殿下はご理解が早い上、大変熱心に学ばれて、半日かからずに結納式の全てをご習得されました。立ち居振る舞いも目を瞠る美麗さですし、あのように素晴らしい殿方の隣に並ばれるのですから、姫様ももっと真摯な姿勢でお式に望まれませんと」
マジか。
やってられねーとしか思ってなかったのに。
私より先にアレクがこのしち面倒臭い結納式を覚えたなんて聞いてしまっては、もう「やらなくていいよ」とは言えないじゃないか。
「お分かりいただけたのでしたら、もう一度復習いたしましょう。お立ちになって二礼するところからどうぞ」
「……はい」
ものすごく不本意ながら、私は結納式の作法について学ぶしかないのだった。
およそ10日ほど前にアレクから正式な婚約申し込みが届いて、兄様がそれを内々に承諾したところから厄介なことが始まった。
その名も「正妃教育」、いわゆる花嫁修業だ。
8歳から全く勉強しなくなった私は、読み書きに問題はないものの、15歳までにやっておかなくてはいけない、王女に対して行われる教育の数々がすこーんと抜け落ちている。
作法や各儀式の知識、宮廷でのマストスキルであるダンスもそのひとつ。
正妃になった時にどのように振る舞えばいいのかなど、要するにでかい国に嫁に行った時に必要となる知識を今からかなり覚えなきゃいけないのだ。
元々勉強が嫌いな私にとって、この環境が喜ばしいわけがない。
朝食のすぐ後に始まるマナー教育、西の大国についての詳しい座学を一通り学んでから昼食。
一息つけるかと思ったところでダンス練習、結納式の事前準備、その他諸々……
こんなことがずっと続けば、私でなくともうんざりすると思う。
「姫様は日頃から所作が大変に美しくてらっしゃいますね。ああ、そこのステップをもう少し軽やかに、はい、1、2、3……はい、ターン……エクセレントです、姫様」
ダンス担当のちょっと女っぽいヒゲの先生が、パチパチと拍手して私のステップを絶賛してくれる。
剣舞と比べるのもおかしいけどさ、こんなのんびりした動きのダンスなんて朝飯前に決まってるよな。
2~3度見たらコピーできるレベルだし、練習なんてむしろ不要だろう。
「先生、ダンスはもう覚えましたから、明日からこの時間は剣の稽古に回したいのですが……」
「ノーノー、いけません、姫様。これはまだ序盤です。無事に結婚の儀が執り行われるまで、毎日練習あるのみです。明日からは別のステップを練習しましょう」
……やってられん。
ダンスとかどうでもいい。私の場合、剣舞が舞えればもうそれでいいじゃないか。
それでなくともこのところ、まともに剣の稽古が出来ていなかった。
早朝練習しようと、部屋着のままバルコニーから飛び出して木刀振ってたら「着替えないで部屋から出ちゃダメ!」と兄様に叱られるし。
ちゃんと身支度してから出ろって……朝の5時前から侍女達を叩き起こすのは気が引けるよ。
本当ならもっと剣の稽古に時間を費やしたかった。丸一日剣と魔法の稽古だけでもかまわないくらいだ。
何でって、最強の魔法剣・神楽を無くした私は、魔法剣を使わずして魔法をコントロールしなければならないという、課題を抱えていたからだ。
召喚士クラスでないと扱えない冥界の炎は、私が持つ最大の攻撃魔法だ。
剣がなくても具現化には困らないけど、神楽を介していたときのように楽に扱うことは出来なくなってしまった。
ぶっちゃけ、細かい魔法制御ができないのだ。
さらに雷魔法と風魔法はもっとうまくいかない。
今までは、魔法を使いたければ神楽に方向性を与えた魔力を流せばいいだけだったので、コントロールに困るなんてことはなかった。
剣を介して魔法を使うことが出来ないから、魔法そのものの制御を覚えなくてはいけないなんて、剣士として不本意としか言いようがない。
多分、剣と魔法に関して言えば、今の私はちょっとスランプ気味なんだと思う。
ここを乗り越えないと「最強の剣士」は、名乗れそうにないな。
「武の女神」なんてなおさらだ。まあ、そっちはどうでもいいんだけど。
(へらへらとダンスなんて、踊ってる場合じゃないのに……)
そんな焦りもあって、日々私の中にはストレスが蓄積されていった。
兄様は紗里真が復国してからも、毎日かなり忙しそうにしている。つい先日も、私とお茶をする暇もないと嘆いていた。
それを見ていると、申し訳ないけれど、色んな意味で私が国王にならなくて良かったと思ってしまう。
だって私には無理だ、あんなに頭を使う激務なんて……
もしかしたら昨日は睡眠をとっていないかもしれない、と余戸から聞いて少し心配になり、私は休憩時間を使って兄様の様子を見に来た。
玉座の間の隣にある制御室で、兄様は新しく設置された遠距離双方向通信システムとやらを、学士達とともにテスト中だった。
「兄様、それはもう完成したのですか?」
「飛那姫、来てたのかい?」
制御室に入って作業中の兄様に声をかけると、うれしそうに振り向いた。
疲労が顔に滲んでいるけれど、本当に大丈夫なんだろうか。
「通信機自体は9割方完成していてテスト通信も順調だよ。完成間近というところかな」
「ではそれほどまでに根を詰めなくてもよろしいのでは? 余戸も心配していますよ」
「ああ……忙しいのはまた別件でね。肝心なものがうまくいってないんだ……製造を始める段階で、現代の魔法力学や魔法錬成学では解決出来ない問題がいくつも出てきて、頭が痛いというか。抜本的な発想の転換が必要かなと、痛感しているところだよ」
「兄様が、解決出来ない問題……ですか?」
「うん、ここを乗り越えても一番は材料が問題なんだ。純度の高い核を精製することには成功したんだけれど、そこから先が僕だけではどうにもならなくて」
そう言って兄様はため息をついた。
また何の便利魔道具を作っているのかは分からなかったけど、相当に難しい問題に直面しているようだ。
寝る間も惜しんで何かをやっていると余戸が言っていたのは、嘘ではないらしい。
「でも飛那姫のために僕は頑張るからね」
それだけ言うと、兄様はまた通信機のテストに戻ってしまった。
私や国のために一生懸命なのは分かるから「ほどほどにしてくださいね」としか言えないけれど。
実のところ、かまってもらえないのはちょっとさみしかった。
「結納のお品は特別な装飾品です。殿方が相手に最も相応しいと思われる装飾品を選び、贈るのですよ。そうですわね、一般的なのは首飾り、指輪のどちらか。髪飾りやサークレットなどを贈られる方もいらっしゃいますけれど、普段から身につけていられるものを選ぶとしたら、やはり指輪でしょうか……姫様、聞いていらっしゃいますか?」
「はぁ……」
何回目か数えるのも忘れた結納式の事前準備。
結納品の説明は一応耳に入っていた。もらったところで、大してうれしくなさそうなものばかりだな。というのが偽りのない感想だ。
「相手の殿方が自分に似合う装飾品をどんな形で贈って下さるのか、想像しただけで胸が高鳴りませんか?」
「はぁ……」
生返事の私を見て、先生は深いため息をついた。
疲れるばかりの日々に耐え、いよいよ結納式の前日になった。
今日はアレクが西の大国からやってくる。午後には到着するっていうから、着いたら一緒にお茶しようっと。
最近美威に会いに行くのもままならなくて、本当にストレスがたまっていたから、今日アレクの顔を見れると思ったらすごくうれしかった。
それなのに。
「意味が分かりません。もう一度仰っていただけますか?」
午前中早々にやって来た、作法のおばちゃん先生に向かって、私は険しい顔で尋ねた。
「ですから、既にご説明差し上げてあった通り、本日の予定は衣装合わせのみです。姫様のお部屋の近くからは男性を人払いをしておりますし、護衛も女性一人です。ご自身もお部屋から出てはなりませんよ」
「男性と会っちゃダメだって……兄様もですか?」
「無論、お身内であってもなりません。本日は身と心を清めて、明日の儀式に望まれるお支度をされてください」
結納式前日は、異性との接触が一切NGだというしきたりがあるそうだ。
冗談だろう、もう勘弁してくれ。そんな言葉を飲み込んだ。
釘を刺しに来た先生と入れ違いで、ジャクリーンが部屋に入ってきた。
女傭兵だったジャクリーンは、最近騎士団の精鋭隊に昇格したことで、ロイヤルガードとして私の部屋に常駐する特権を得ている。
「飛那姫様、大丈夫ですか?」
ソファーに突っ伏して頭を抱える私に、ジャクリーンは気遣うような声をかけてきた。
顔を上げると、相変わらずのクマみたいに筋肉隆々な腕が目に飛び込んでくる。
ひょいと抱え上げられて、ソファーに座り直させられた。
「しっかりなさってください……と言いたいところですけれど、無理もありませんわね。結納式は結婚式と違うとはいえ、お気持ちが沈みがちになるのは分かります」
「……何の話?」
「正式にご婚約されるにあたって、色々と思うところがあるのでしょう? 私にもそういうことがありましたから、分かります」
見た目に似合わない乙女の顔をしたジャクリーンが、頷きながらそう理解を示してくる。
マキシムと結婚した時のことを思い出しているんだろうか。それって、あれか。マリッジブルーってやつ。
「いや、ちょっと待て。多分、全然違う」
「結婚することを考えると、花曇りの空のように気分が晴れなかったり、落ち着かなかったりするのですよね?」
だからそうじゃなくて。
何にこんなにイライラしてるのかまで勘違いされたらたまらない。私の中で張り詰めていた何かがプツン、と切れたような気がした。
「そうじゃない! もう結納式とか結婚式とかどうでもいいって話だよ!!」
「飛那姫様?」
そうだよ、結納式の準備なんかより、マトモに魔法制御が出来るようになって、普通の剣がちゃんと扱えるようになるのが私にとっての最優先事項だ。
丸1日顔を合わせないことも多くなった兄様や美威や、正妃教育に息が詰まりそうなことを思い出したら余計に腹が立ってきた。
このところ指折り数えていたアレクと会える機会までお預けにされたことを思えば、さすがにもう我慢ならない。
溜まりに溜まったストレスは、とうとう爆発した。
「こんなに面倒なことばかりなら、もう結婚なんてしなくていい! 王女教育も正妃教育も受けなくていいよ!!」
そう叫んでもちっともスカッとしなかったけど。
ジャクリーンや令蕾が、至極困った様子で私をなだめようとしていた。彼女たちは何にも悪くないけど、本当にもう何もかもがどうでもいいとすら思えた。
煩わしいことの全部を投げ出して、1日でいいから傭兵に戻って、好き勝手やりたい。
元を辿れば、神楽が無くなったことで感じている喪失感や焦燥感を、ぬぐい去るだけの何かが生活の中にないのがいけなかったのだろう。
とにかく、ひたすらおとなしくしているのに嫌気がさした。うんざりだ。
午後からの衣装合わせも、もちろんボイコット。
部屋から飛び出たいのをかろうじて我慢しただけ私はえらい。ふて寝していたら、兄様からお茶とスイーツが届いた。
縁にフルレースの装飾が入った大皿に、色鮮やかなスイーツが何種類も盛り付けられている。
こんなもので機嫌が直るとでも?
そう思いながらも完食はした。
でもやっぱり、イライラは収まらなかった。
そんなこんなで翌日。
朝っぱらから禊だと湯殿で磨き上げられ、侍女達によっててきぱきと飾り立てられていくのに、もう抵抗する気も起きなかった。
気持ち的にはまだ「やってられるか!」と叫びたい気分だったけど、わざわざ西からやって来たアレクにそれを言うわけにもいかない。
私の意思とは無関係に結納式は始まった。
儀式用のホールは、伝統的な東の装飾に彩られていた。
正面に白木造りの几帳が2対。向かい合った2つの長テーブルは、釘や接着剤を一切使わない東独自の技法を使って、椅子とともに職人が手作りしているものだ。
下座の方に私が座り、その隣に兄様が座った。
職人手作りは良いけど、この椅子、着物のせいで座りづらいんだよな。
そう、この結納式用の正装がとにかく動きづらいのだ。
いつもの袴スタイルの時みたいな、純白の袿だけならまだいい。
同じ正絹の生地を朱に染めて作った打掛には、手仕事で大きな花模様の刺繍が施されている。綺麗だけどこれがえらい重い。そしてドレスのトレーンのように裾が長く伸びているから、侍女が後ろから裾部分を持ち上げてくれないと歩くことすらままならないという不便さだ。
あと、暑い。夏だぞ今。温度調節機能のある魔道具が作動しているとはいえ、何枚着せる気だ?
紅白の着物に、金色のこれまた長い帯が派手派手しい東の寿正装は、他国の人間にどう見えるのだろうか。綺麗に髪を結い上げた私を、兄様は褒めちぎっていたけれど、この人の評価は全くアテにならないしな……
楽士達が末席で奏でている音楽を聞いていたら、西の一行が入場してきた。
私と同じ布地でも、アレクの着ている着物は白一色だ。帯飾りだけが紅い。おそらく東の正装を着せられたのも始めてだろうし、あの長身に着物とか、かなり違和感がありそうだと思っていたけれど、意外にもよく似合っていた。
アレクに続いて入ってきたのは兄弟だろうか。確か、身内の代表が一人ついてくると言っていた。
同じ色の銀髪に、薄青い目。穏やかそうに見えて、アレクの丸い雰囲気とは違った鋭い感じを受けた。以前に見た弟より、年は上に見えた。
真向かいの席に腰掛けたことで、濃い緑の瞳と視線が合う。
着飾った私を瞬きもしないで見ていると思ったら、ほころぶように微笑まれてどきりとした。
久しぶりに見たアレクの笑顔がやばい。じわじわうれしい……
「ではこれより、結納の儀を執り行います」
進行人が口上を述べて、祝いの音楽が奏でられる。
笙、龍笛、篳篥の三管楽器は、こんな時でもないと聞く機会がない分、特別な響きを持ってホールの中にこだました。
美しい音色が、つらつらと並べられる両国への賛辞や祝いの言葉に変わった時は白けた気分になったけど、一応おとなしく聞いておいた。
「では、結納の品をお納め下さい」
進行人がそう声をかけたところで、私とアレクは立ち上がって前に進み出た。
着物の裾が邪魔すぎる。令蕾が持ち上げてくれたのを確認してからのそのそと進んで、いちいち立ち姿を整えてもらう。
アレクの背後に跪いた侍従が、西華蘭織の黄色い包みをほどいて恭しく持ち上げた。アレクが手に取ったのは、装飾の凝った宝石箱だった。
箱自体に緑と青の宝石が散りばめられていて、キラキラ光っている。一目で高価だと分かる造りだ。
「婚約の印として結納の品を持参いたしました。幾久しくお納めください」
中身を確認出来るように、開けて差し出された宝石箱を受け取って、私は一瞬考えこんだ。
「……ありがとうございます」
もらった宝石箱に入っていたのは、首飾りでも指輪でもなく、デカくて透き通ったただの宝石だった。
チェーンも何もついていない、子供の握り拳大もありそうな透明な光を放つ宝石。
どう見ても、身を飾る装飾品には見えない。
(そりゃまぁ……確かに装飾品なんて欲しくないとは思ったけど。いくらなんでも何の形にもなっていないただの宝石もらってもな。身につけようがないし、意味分からん)
結納品についての説明、間違って伝わってるんじゃないだろうか。
装飾品なんて、と思いながらもひそかにどんなものが贈られるのか期待していたのかもしれない。思いの外がっかりした気分になっている自分に驚いた。
兄様は私から宝石の小箱を受け取ると、侍従経由で受け取った目録書に目を通して、置いてあった羽ペンを取った。
横に長細い紙に「無属性オーバルプリンセスカット グレードSS」などと書き込んでいく。
なんだろう、私より兄様がものすごく満足そうだ。そんなに高価な物なんだろうか。
よく分からないまま「受書」と書かれた畳んだ紙を渡されると、私はもう一度アレクの前に戻った。
「結納の品、幾久しくお受けいたしました」
笑顔を貼り付けてはいるものの、私の不満が伝わったのだろう。
流れるような所作で紙を受け取って、アレクは困った様に微笑んだ。
こうして結納の儀式自体は、滞りなく終わった。
ほっとしたというか、ただただ疲れた。
結納式後の会食時にも、表面上は笑顔を保っていたもの、見る人が見れば私の不機嫌ぶりは一目瞭然だったろう。
私がそんななので、アレクの表情も微妙だ。控えている侍従達にもそれが伝わるのか、会食の雰囲気は決していいものとは言えなかった。
本気でニコニコしてるの、兄様くらいじゃないだろうか。
何を食べたかもよく覚えていない、料理長渾身のコース料理に申し訳ない気分にはなった。
でも、このイライラの出所は、私のせいだけじゃないはずだ。
「お茶会用のバンケットルームで、彼とゆっくり話でもしてきたらどうだい?」
会食後、兄様がそう気を遣ってくるくらい、多分私はブスッとしていた。
ゆっくりね……そりゃアレクと話したいこともあったけど。どうせ侍従や侍女や護衛がもれなくくっついてくるし。気兼ねない話が出来るわけじゃないし、これ以上気疲れるのも嫌だ。
「結構です。私、今日は部屋で休みますから」
「飛那姫……」
「これから少し体を動かして、湯浴みしたら部屋で休む予定なんです」
それ以外動く気はないという無言の圧力が伝わったらしい。兄様は苦笑いで「分かったよ」と返した。
「でもね飛那姫、多分夕食前になると思うんだけれど、後で呼ぶと思うから。そうしたら僕の部屋に来てくれないかな? 見せたいものがあるんだ」
「……分かりました」
カリカリしている自分が嫌だと思いつつ、相手が兄様だとさらに甘えが出る。
王女に戻る前は何でも我慢出来ると思っていたのに、このところずっとイライラしていて人にまであたって、馬鹿みたいじゃないか。そんな自分にさらにイライラがつのる。
鍛錬場で木刀を振って、剣舞の型稽古を一通り終えた。
今日はなんだかもう、剣術の練習にも身が入らない。
私がやりたい剣術は、こんなんじゃない。そう感じてしまう。
混沌から目覚めて、神楽がなくなったことを実感した時、それでもいいと思えた。
後悔はしていないし、今また同じ状況になったとしても、私は同じことをするだろう。
でも、剣を振るう度に物足りなさを感じるのだけは、どうしようもない。魔力を乗せたところで、木刀も真剣も魔法剣とは違う。
風魔法を乗せた緑の剣も、冥界の炎を乗せた青白い剣も、もう使うことは出来ない。
その事実を思い知るたびに、感情の部分で割り切れない虚しさが広がった。
魂の一部と一緒に、私は本当に半身を失ってしまったのだ。その傷が癒えるのには、相当な時間がかかるだろうと思えた。
部屋に戻って湯浴みをすませたところで、兄様の侍従が呼びに来た。
用意は出来ていたので、すぐに行くと言って、軽装で部屋を出た。
見せたいものってなんだろう。私の機嫌が悪いから、新作のお菓子でも作ったのかな。
そんなことを思いながら、兄様の部屋の扉をくぐった。
「兄様、お呼びとあって参りまし、た……」
一歩踏み込んで、はたと足を止めた。部屋の中に兄様と立つ人物に目を留める。
簡易な正装に着替えたアレクが、こちらを見て微笑んでいた。
「アレク? なんでここに……」
「僕が呼んだんだよ」
兄様がそう言って軽く手を挙げると、侍従や侍女達がそろそろと扉を出て行った。人払いされた部屋の中には、私と兄様とアレクの3人だけになった。
「兄様? 何なんです?」
「見せたいものがあるって言っただろう? おいで、飛那姫」
手招きされて、私は青いビロードの布がかかった細長いテーブルの前に立った。
なんだろう、二人とも変にニコニコしてるけど、なんか企んでないか?
「きっと驚くよ」
そう言って、兄様が青い布を取り去った。
「……これ」
白いテーブルの上に、一振りの美しい長剣が置かれていた。
うっすらと魔力が滲み出ていることから、魔道具なのだと分かる。
長さは神楽と似ているけれど少し細身で、柄と刃をつなぐ中心に、透明な輝きが見てとれた。
この宝石、もしかして……
「属性が4つもつくような魔法剣はどうしても製造不可能でね。これ1つを組み込むのが限界だけれど……気に入ってくれるとうれしいな」
「兄様、これ、この剣……」
声が、震えた。
「うん、いわゆる魔道具としての魔法剣だよ。ああ、魂と一体になるような構造にはしてないから。普通の剣と同じように持ち歩いてね。小国から希少な鉱物を集めたり、材料集めには苦労したけれど、僕にもなんとか満足いく土台が作れたんだ」
兄様はアレクと顔を見合わせて、楽しそうに笑うと続けた。
「でも火か風か雷か……どの属性をつけようか迷ってね。飛那姫と言ったらやっぱり冥界の炎だろう? そうなると属性の無い媒介が必要なんだ。でも無属性で純度の高い原石は、東ではまず採れなくてね。西から北にかけた霊山の一部に、稀に見られるから、彼に頼んでいたんだよ。本当にこんなに質の良い石が手に入るとは、正直思っていなかったけれど」
説明を聞きながら、私の目はテーブル上の長剣に釘付けだった。
柄も握りやすそうだし、金属部分の装飾もすごく細かくて綺麗だ。
これ、私の剣なのか? 本当に魔法を乗せて使えるのか??
「飛那姫」
呼ばれて、ぼうっと血の上った頭で隣に立つアレクを見上げた。
「君は、これが一番うれしいかと思ったんだ。その、ちゃんとした装飾品を贈れなくて、すまなかったと思っている。今度、必ず君に似合いのものを贈るから許して欲しい」
真剣にそう謝罪されて、つくづく自分が嫌になった。私は一体、何が不満だったんだ。
思うように剣が使えないことに苛立って、自分で選んだはずなのに、やりたくないことばかりやらされているような気分になって、美威と会えないとか、兄様がかまってくれないとか、わがままな考え方しか出来なくなっていたみたいだ。
アレクはこんなに私の事を考えて、一番喜ぶだろうものを選んでくれたのに。
感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいになって、手を伸ばすとその胸に勢いよく抱き付いた。
「私こそごめん。もう十分だよ……ありがとう、アレク」
「飛那姫……」
肩に添えられた大きな手が温かかった。
イライラは、もう全部どこかに消し飛んでしまっていた。
私、この人と婚約して良かった。
「大元を作ったのは、僕なんだけどな……」
泣きそうな兄様の声が背後から聞こえてきて、私はそうだったと振り返った。
しょぼんとした兄様の首に手を回して、ぎゅっと抱き付く。
「兄様も、ありがとうございます。すごくうれしいです」
とても満足そうに笑った兄様に、最近の多忙の理由が片付いたことを知った。
どこまで私に甘いんだろう、この人は……
あと、私の背後に向けてその勝ち誇ったような顔は止めて欲しい。
「兄様、この剣試してみてもいいですか?」
「もちろん、周囲の安全が確保出来るところでなら」
「じゃあ、ちょっとだけ行ってきますね」
テーブルの上の長剣を取り上げて、私は満面の笑顔になった。
軽く魔力を流すと、剣自体が青白く発光する。久しぶりの感覚に、ゾクゾクした。
「わぁ……見た目より全然軽い……」
「どこで試すつもりなんだい?」
「あら、決まっています。人相手には試せませんから」
にっこり微笑むと、私はバルコニーへと続く大窓を開け放った。
「飛那姫、まさか……」
「近くの森に、異形狩りに行ってきますね」
「だっ、ダメダメ!! そういう格好でそういうところから飛んだら……」
「夕食までには戻りますから」
「そういうことじゃなくて!!」
止めに走って来た兄様に笑顔で手を振ると、私はバルコニーの柵を跳び越えて外へと飛び出した。
背後で何か叫んでいるのが聞こえたけれど、お説教は帰ってから聞くとしよう。
「……色々と苦労するかもしれないけれど、妹をよろしくね」
「はい……」
部屋の中に取り残された二人は、苦く笑いながら、そう言葉を交わした。
『没落の王女』番外編。結納式にまつわるお話でした。
内容は恋愛ものですが、本編に合わせてハイファンタジージャンルを選択しています。
本編は第2章から恋愛要素入り。
本編読者の皆様、完結後までお付き合い下さいましてありがとうございます!