変化する戦況Ⅷ
引き金へと掛けられた指は確実に力を込められ、そのまま弾丸は薬室から銃口を通って幸の頭へと飛んで行く。本当の一瞬だ。銃口から頭までの距離は五十センチも無い。一直線に飛んでくる弾は頭へと吸い込まれるように空気を裂きながら飛んでくる。
何かを考える余裕なんてそんな一瞬では何もない。
そのまま頭を撃たれ、幸は救護施設へと飛ばされる。飛ばされる……はずだった。
何故、はずだったのか……。それは何かが遮るように幸と敵とのたった五十センチの間に何かを滑り込ませたのだ。
「―――――――――――――ッ!」
驚きが隠せないでいる緑城の生徒は一歩食い下がると遮っている物を注視した。
「…………黒い……翼?」
目の前に突然現れた黒よりも深い漆黒の片翼が幸を庇うかのように五人の生徒達から守っていた。注視していた目の視点を末端の羽から根本まで移動させれば、そこには人の姿をしたものが身体に片翼だけ生やして立っているのだ。しかも、その人の姿は赤城学園の特別クラスの制服を身に纏っているのだ。
「……天使がなんでここにいるんだよ……戦争には加勢できないルールだろうが!」
驚愕に憤怒、その二つが入り混じる声が放たれると同時に銃口が制服を纏った天使へと向けられ、五人の生徒たちが一挙に発砲を繰り返す。何十、何百と発砲音は幸の耳を劈くように鳴り響く。
一方的な射撃に対して、天使の翼を右肩一方から生やした学生は何も動じることなく幸の方へと一歩、二歩と近づき顔を近づけた。でも、髪とかは一昨日とは打って変わり、長く伸びきっている。そして、そんな彼の表情はこの前のような迷いがあるようなものではない。
自分がどんな存在かをこれまで知らなかった彼が、まるで自分の存在を理解したように
清々しい顔をして戻ってきたのだ。
「久しぶり……元気にしてたか?」
激しい発砲音が彼の背中側から聞こえてくるのに笑顔でこっちに近づいてくる。
逞しくなった……でも、もう人間じゃないみたい……。
「……そう思うなって、俺だってまだ人間なんだからさ」
「―――――っ!?」
まるで学園長みたいに思考を読んだの……?
「まぁ、好きで読んでるわけじゃないんだけどな……」
微苦笑を浮かべながら近づいてくる彼だが、姿が少しだけ変わっただけで、内面は全くもって変わってない。そのまま私の近くまで歩み寄ってきた彼は抱きかかえるようにそっと私の体を持ち上げれば、
「歯に力入れておけよ? 舌咬むから」
その一声を掛けてから数秒後、景色が流れるように変わっていく。
森の中に居たはずの私が一直線に空へと翔けあがり、森を見下ろす形になっていた。
「…………凄い景色」
無意識のうちに口にしていた言葉。自分たちがいる天高い空から眺めるこの景色は圧巻的なのだ。下では激しい銃撃戦を繰り返しているのにも関わらず、それは距離があり音も小さくなっていて、鳥の囀りのように弱い。そして、二つの巨大なクレーター以外を除けば、どこまでも続いているんじゃないかと思わせる大自然が支配している大地。
「学園長、あれを使ってもいいんだよな?」
大自然を目の当たりにしていた幸を余所に、片翼だけで飛翔している彼は襟元の無線を使って学園長ことミカエルへと連絡を取っていた。
『いいわよ。もう負けそうになってるし……一気に留め、いっちゃいなさい』
「わかった。それじゃぁ、使うからな」
そこで一度通信が切れると、次に
「先輩、聞こえますか?」
『一樹君なのかいっ!?』
勾坂の方からは銃撃戦の音が轟くように聞こえてくるが、帰ってきた一樹は、
「俺がこの戦争を終わらせますから、先輩たちは少し戦線から距離を取ってください。巻き添えを喰らうかもしれないですから」
「それってどういう……」
「いいから早く下がってください。先輩たちのいる位置から巨人がいるところまで一瞬で消しますから、だから早く下がって」
『どういうことなんだい? ちゃんと説明をしてくれないと……』
勾坂の何度もしてくる質問に何かが切れた音が幸の耳元には届いた。
「……いいから早く下がれって言ってんだろう……このままお前たちも消してやってもいいんだぞ……」
『――――ッ! …………わかった。撤退するように伝えるね……』
予想以上だった……。
体を抱えられている幸は目の前にいる一樹の表情を窺うことができたが、それは普段の一樹とは一線を越えたもので、身体の芯から震えが出てきた。
そんな一樹の身体から溢れてきているドス黒い雰囲気。それが具現化したかのように体を包んでいる黒いオーラが一気に噴き出してきたのだ。一樹が纏っている黒いものは、まるで闇そのものだ。心の奥底から湧き出てくる負の感情が大きすぎるかのように思わせる。
「…………………怖いか?」
怒りや焦燥、孤独感といった感情が交じっているその表情が幸の方へと向けられると、一瞬だけ体が強張る。
「ごめんな…………力を使おうとすると、こうなるんだ……」
申し訳なさそうに、だけど表情には負の感情が混じらせた一樹は片方の目の色を変える。瞳は茶色から漆黒の黒へと、そして眼球までもが漆黒へと染められていく。
『一樹君…………僕たちは後退したから、好きにやってもいいよ……』
さっきの一言が印象に残ってしまったのだろう勾坂は無線から声を響かせた。それに合わせるかのように、
「さっきはごめん、先輩。後で謝るから……」
の一言を残し、一樹は瞼をゆっくりと閉じる。
数秒間、一樹は瞼を閉じながら何かを口にしていた。その声は幸には聞こえずに、そのまま口は閉ざされ、瞼をもう一度開ける。身体中からは先程よりも数十倍ほどの闇が溢れ出した、それは空を覆うかのようにして太陽の光を阻害する。緑城の生徒達も無いが起きたのか分からずに空を見上げれば、そこには片翼の天使がいるのだ。
『なんで天使が戦線に出て来ている? お前は出てはいけないはずだぞ』
「俺は天使じゃないからな……関係ない」
『なら、消すまでだっ!』
巨人を操っている緑城の指揮官である九曜が目の前に聳え立つ巨人の右腕が振り上がらせ、一直線の右ストレートを幸を抱えている一樹へと伸ばしてくる。その一発は先ほどの大地を抉り、クレーターを作り出した時よりも早く、それをまともに喰らえば、恐らく死ぬ。たとえ死なないと言われていても死ぬ確率が大きくなる。
一樹の身長よりも数十倍と大きい巨大な腕が空気を裂きながら一直線に伸びてくる。
でも、空中で一向に動こうとしない一樹は幸を抱えている両手を左手だけに替え、空いた右手を前へと突き出す。
近づいてくる巨大な右手に、巨人からしたら豆粒以上に小さい右手が触れた途端、
体は吹っ飛んでいく。大きく、遠くへと飛んで行く。しかし、それは一樹の事ではない。
相手の巨人が空中へと投げ出され、遠くへと飛んで行っていた。
「もう、終わりにしよう……」
そう口にして、最後に一樹が小声で呟いた言葉が、
「…………………ごめん」
その言葉は誰に対して言われたのか……確かめるにしても、その表情は何とも寂しそうで聞くに聞けない。
そして、空からは黒い闇を裂きながら巨大な岩石が降ってくる。赤々と燃え滾っている巨人と大差変わりない程の岩石は隕石となって緑城へと向かって行く。ゆっくりに見えるその光景は、実はそんなに遅いわけではない。隕石が巨大すぎるが故にそう見えているだけ。
もういちど一樹は瞼を閉じて、開くなり戦場として使われている大地に漆黒の膜のようなものが覆い、次いで赤城の生徒たちを巨大なドーム状の闇が覆い尽くす。
「その中は絶対に安全だから、静かに待ってろ……」
それだけ無線で言い残すと、一樹はより天高く空へと翔けあがる。
「安全圏まで上がるから苦しくなったら言って……」
片翼で一気に空へと翔けあがって行く一樹を見つめていると、どうしてもその表情が気になってしまう。
「一樹…………何でそんな辛そうな顔してるの?」
酷く誰かを憎んでいるような、それでもその気持ちを押し切ろうとしているような、相反する感情を一樹は浮かべている。見ているだけでも辛くなるほど痛切な表情。
「黙ってろっ!」
激情が表へと露わになると、それと同時に
「ご、ごめん! そんなこと言うつもりはないんだ……でも、少しだけ集中させてくれるか? もう少しで戦争も終わるからさ」
と、私が知っているいつもの一樹がいた。一樹の言う通り、戦争はもう決着への道筋を辿っている。上空から飛んでくる隕石はすでに地面の数百メートル上空。あと十秒もすれば敵陣は愚か、大地を抉る勢いで地球の一遍へと墜落する。その威力は如何ほどのものか……。何万年と昔は隕石が原因で地球上を支配していた恐竜たちを絶滅へと追いやったと言われている。そして、それを再現でもするかのように地上へと降ってくる隕石は緑城の大地へと激突した……。
音という音は耳には届かない。その代わりに体を衝撃波が襲ってくる。内臓器官に響くような轟音が衝撃となって体の中を駆けずり回り、多少の痛みを要する。
「学園長、戦争は……これで終わったのか?」
体を襲った衝撃は私の身体の中から抜けていて、そのおかげで痛みのせいで瞑っていた瞳を開けることができた。目を開けば、先までの漆黒の瞳は消え失せ、いつものような瞳の色へと戻っている一樹がいた。
『ルーシィ、戦争は今の一発で終戦。相手校を統括してるウリエルから「どういうことよっ!」って抗議の連絡が入って来てるぐらいだから、もう赤城に帰る準備しておいてね』
「わかった。それじゃぁ、先輩にも伝えて先に帰ってますね」
『よろしくね、ルーシィ』
「はいはい……」
溜息交じりの生返事を返せば、その視線は幸へと向けられる。殺気を孕んだ視線ではなく、いつものような友達としての視線が幸へと向けられているのだ。
「戦争も終わったことだし、俺達は帰る準備するか」
「…………うん」
目の色がドス黒いものになっていた時の一樹が頭の中で再生されるのと同時に、口は無意識のうちに言わなければいけなかった言葉を紡いでいた。
「……お帰り、一樹君」
お帰りと言葉を紡いだ先は覚えてない。もうその時には視界の中は真っ暗闇に呑まれてしまっていたのだから……。




