死んで怨みます
「貴様もこれでおしまいだな」
銃を突きつけている男の顔に見覚えはなかったが、明らかにプロだった。
殺し屋は今、「伝説の男」を追い詰め、その命を我が手に握ったという陶酔感にひたっているに違いない。さもなければ、直ぐにでも引き金を引いて仕事を終わらせるところだ。 裏社会で誰一人知らぬ者ないこの俺に命乞いをさせて自分が新しい伝説をつくる、そんなことでも考えているのだろう。
「最後に何か言い残すことはないのか」
お決まりだが無用なセリフ、さっさと始末をつけるべきだ。
引き金を引くのを遅らせることで、それだけ逆転の危険を冒しているのだ。確かに俺は、並みの殺し屋に常識を忘れさせるほどすごい獲物には違いないが。
「一応、聞いておこう。誰の差し金だ。お前が俺に恨みを持つ理由はないだろう」
その男は無言のまま、銃を構え直した。
いい面構えだ。今度こそ俺も最後かもしれない。
「殺してもらえるとはありがたい」
俺は続けた。
「しかし、俺を殺してもお前のためにならないぞ」
相手は思いがけない言葉に驚いたように標的を見直した。
「貴様に何が出来る。丸腰なのは分かっているんだ」
「その通り。俺は仕事の時以外、銃は持たない。おおかたさっきの女に手を回して調べたのだろう。ご丁寧なことだな」
「負け惜しみを言うな」
「もう一度言う。俺を殺すと、ろくなことはないぞ」
「一体、何を企んでいる。この引き金を引けばそれでお前は終りだ」
「信用しないのは勝手だが俺を殺すと、化けて出るぞ」
男は伝説の男の思いがけない返答に目を丸くし、声を失ったかのように間を置いたが、やがてせせら笑いながら口を開いた。
「不死身のジョーとうたわれたあんたが何を言うかと思ったら。往生際が悪すぎるぜ」
男は獲物の最後のあがきを楽しむかのように、続きを待った。
「俺も随分人を殺してきた。殆どは何の恨みもない奴等だった。以前はお前のように獲物の前で講釈を垂れたりしたものさ。必死で命乞いする奴を散々いたぶって、恐怖と絶望の淵に追いやってから、ズドン。思えば残酷なことをしていたものだ。
ところが、或る時、一人の男がどうしても助からないと悟って、俺を憎々しげに睨んで叫んだ。
『呪ってやるぞ。お前に一生付きまとって、地獄の苦しみを味わせてやる』
もちろん、俺は無視して殺ったよ。
しかし奴の怨み節は本当だった。その後、どこからか突然毒づく声が聞こえてきたり、血だらけの首が俺の周りを飛び回ったりし始めたのだ。それが単なる妄想でない証拠には路上で本物の猛犬に襲われたり、暴走車が突っ込んできたこともあった。全て、俺に取りついた怨霊の仕業だった。
直接俺に手出しはしなかったが幻を見せたり、幻聴を聞かせたり、とにかく寝ても覚めて休みなしだ。本当に気が狂いそうになったよ。女と一緒のベッドの中まで現れて呪っていやがる。お陰でちっともアレが役に立たなくなってしまった。
辛うじて正気を保っていられたのも奴が手加減したからだ。俺が本当におかしくなっては脅し甲斐がないからな。怨霊の呪いに耐えながら俺は、そいつだけがとびきり執念深いんだ、そのうちやつも諦めて成仏すると自分に言い聞かせていた。
ところがそれから俺が仕事をするたびに、同じような怨み言を吐きながら死んだ奴が俺に取り憑き始めたのだ。奴が仲間に誘ったんだよ。一人だけでも気が狂いそうだったのに、これはもう地獄だよ。よくも今まで生きてこられたもんだと思う」
殺し屋の顔からいつの間にかニヤニヤ笑いが消え、気味悪そうに獲物であった筈の相手を見つめていた。
「俺はもう疲れ果てた。ずっと死にたいと思っていた。でも、自殺は俺のスタイルじゃあない。だからちょうどよかったぜ。お前さんが殺ってくれれば願ったり叶ったりだ」
「馬鹿なこと、言いやがって。何が幽霊だよ」
そう言う男の腕は微かに震え始めていた。
「死にたかった、と言っても俺も殺してくれた奴に礼をするほどお人好じゃない。今までの仕返しに死んだ後は俺もたっぷりお前に化けて出てやる。俺と俺に取り憑いている怨霊が全部、お前に取り憑くんだ。いつまで耐えられるかな」
男は錯乱しかけていた。幽霊なんて信じられない、でももし、本当だったら。
「そんなふざけた話で騙せると思っているのか。俺はそんな甘ちゃんじゃないぞ。覚悟しろ」
「ああ、有り難いね。これで俺もようやく成仏できるって訳さ。さあ、やってくれ」
そう言うと俺は相手の前に大きく胸を広げて向き合った。
そのまま沈黙の時間が過ぎていった。
『信じられない話だが、銃口を前にしてびくともしない態度には何か、得体の知れない不気味さがある。何も自分が無理して奴を殺して、万が一でも怨霊を背負いこむことはない。しかし、幽霊が怖くて、殺すのをやめたなんて決して誰にも言えない……』
男は迷い、そこに一瞬の隙ができた。
殺し屋は伝説の男を前にしていると言うことを忘れるという、致命的なミスを犯したのだ。
俺の身体は自然に反応し、奴の拳銃を奪い取っていた。
「畜生、騙したな」
「余計なことを喋りすぎるぞ。チャンスは一度だ。殺らなければ、殺られる。それが俺たちの掟じゃあないか」
「お前を呪ってやる」
往生際悪く叫ぶ殺し屋に向かって、俺は銃弾を打ちこんだ。
「やれやれ」
また死に損ねてしまった。
伝説の男は拳銃を暗闇に向かって投げ捨てた。
そして、肩の上に新しい青白い顔の幽霊を見つけると大きくため息をつき、背中の雑音を無視して歩き始めた。