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毎日、王宮と軍詰め所を往復する日々が続いていた。何故かミーシャも訓練に参加することになったため、訓練用の着替えを用意して通っていた。
訓練しては治療し、経過を観察するという毎日である。
ミーシャは、気がつけばいつの間にか軍の若い者達から『姐さん』と呼ばれていた。
「何ででしょう?」
「強いからじゃないのか?」
「私、ジル中隊長や小隊長達に勝てたことないんですけど」
「こないだウィスパー小隊長には勝ってただろ」
「あれ、完全にマグレですよ」
「そうなのか」
「はい」
「まぁ、もう暫く通うから頑張れよ『姐さん』」
「……はぁい」
ルート先輩はなんだか面白がっているが、ミーシャはちょっと複雑な気持ちである。軍詰め所に行く度に『お疲れ様です!姐さん!』と頭を下げられるのだ。
なんとなくノリについていけない。
ミーシャは軽く溜め息を吐いた。
ーーーーーー
「次っ!」
「お願いします!!」
「脇が甘いっ!……腹が隙だらけでしょうがっ」
「……ぐはっ……」
相手の隙だらけの脇腹に蹴りを叩き込み、ぶっ飛ばすと、ミーシャは額の汗を手で拭って次を見据えた。
「次っ!」
「はいっ!!」
ミーシャは軍詰め所に連日通っている間に、気がつけば軍に入って年の浅い者達の指導のようなことをさせられていた。
ジル中隊長も時々やって来ては、面白そうに見物したり、時にはミーシャと立会することもあった。
軍人は剣使いが殆どの中、珍しく、ジル中隊長は棒術と体術に秀でていた。得物は身の丈ほどもある棍である。
ジル中隊長は戦時中、徴兵の一兵卒からその腕一本で中隊長にまで成り上がった人物だと聞いている。恵まれた体躯を駆使して振るわれる棍は速さも重さもあり、ミーシャは彼と立ち会うと、いつも翻弄されて遊ばれていた。
体術に関しても、一応領軍の者達に鍛えてもらっていたので少しは自信があったが、ジル中隊長にはてんで敵わなかった。それが悔しくて、次第にミーシャはジル中隊長が現れると立ち会いをお願いするようになった。
本来の目的が二の次になってしまっているが、ミーシャとジル中隊長が本気でやり合うと、周りも触発され、訓練に気合いが入るので怪我人が増える。
マルクス先輩達は新薬を試せるからいいか、と静観していた。
訓練終了の鐘がなると、礼をして解散になる。ジル中隊長相手に体術の稽古をしていたミーシャもジル中隊長に礼をした。
自分の手当てより先に、既に治療を始めている先輩方を手伝う。
患部を診て、患者から話を聞き、薬を塗って記録をつける。
中には経過観察中の者もいるので、そちらも特に注意深く観察させてもらい、使用感を聞かせてもらう。
今のところ『薬臭いがよく効く』という意見が多い。中には効くけど臭いが苦手という人もいる。そういったことも記録紙に書き連ねていく。
軍人達はこの後も仕事があるため、手早く、でもしっかりと怪我人全員を診た。
訓練に参加していた軍人皆の治療が終わると、最後にミーシャを診てもらった。
今日は腹や腕、足に何度か打撲をくらったので、シャツをめくって、ズボンの裾をまくりあげ、打撲痕を2人に見せた。
「折れてはないです」
「うぅ……でも痛そう……大丈夫?」
「薬を塗るぞ」
「お願いします」
「昨日の怪我は?」
「もう完全に治ってます。痕もないですよ」
「ちょっと見せてみろ」
「はい」
ミーシャはシャツを完全に脱いで上半身下着姿になった。運動用の簡素で色気のない下着が晒されるが、男2人は気にもとめない。薬師だから当然のことではあるが……。
「本当だ。昨日、背中のここらへんに紫色の痣ができてたよね?」
「怪我の治りが早い体質なんです」
「にしても早すぎるな。やっぱりお前じゃデータは取れないな」
「あー……でしょうね。でも普段使ってる傷薬より効いてる感覚はありますよ」
「ふーん。先輩、データの集まりはどうですか?」
「ミーシャちゃん達が頑張ってくれてるお陰で十分たまったよ。今日治療した人たちを最後に試用試験は切り上げようか」
「はい」
「分かりました」
「ミーシャちゃんが着替えたらジル中隊長のところに行こうか」
「はい」
「急いで着替えますね」
ミーシャはその場でブーツもズボンも脱いだ。ルート先輩が持ってきてくれた荷物の中からタオルを取りだし、ざっと体の治療した所以外を拭くと、そのまま薬師局の制服に袖を通した。
「ミーシャ。また破れてるぞ」
ミーシャの訓練着を手にとったルート先輩が言った。
「げっ!またですか」
「帰ったら縫っとく」
「いつもすいません。お願いします」
「ルート君縫い物できるのかい?」
「年明けくらいから刺繍を始めました」
「ルート先輩、手先が器用だから上達早くて羨ましいです」
「ミーシャちゃんも刺繍やるの?」
「残念ながら不器用なんです。昔挑戦して挫折しました」
「あらまぁ。でも他にできること沢山あるからいいよね」
「はい」
「ミーシャちゃん、着替え終わったようだし、そろそろ行こうか」
「「はい」」
3人で食堂にいるジル中隊長のもとへ向かう。
ジル中隊長は書類片手に食事をしている所だった。
「お食事中すいません。少々よろしいですか?」
「あぁ。構わない。お三方とも食事はまだだろう?食べながら話さないか?」
「では、ありがたく、そうさせていただきます」
マルクス先輩がペコリと頭を下げたのでミーシャとルート先輩もそれにならう。
今日のランチは鶏の唐揚げがメインであった。少し冷めてたが、外はカリッと中は肉汁ジューシーでとても美味しい。
山盛りにしてもらったご飯がすすむ。
「ミーシャ殿。腕は大丈夫だったか?つい手加減しそこねたんだが」
「大丈夫です。後ろに下がって衝撃を逃がしたので痣にはなりましたが、折れてはいません」
「それは良かった。マルクス殿。お話は何かな」
「新薬試用のデータが皆様のご協力のお陰で十分集まりました。現在経過を観察中の方で終わりにしようと思います。ご協力、本当にありがとうございました」
「そうか。こちらこそ世話になった。礼を言う」
ジル中隊長が朗らかに笑ってマルクス先輩と握手した。
「あ、そうだ。ミーシャ殿。仕事じゃなくても何時でもうちに来ていいぞ」
「えっ?」
「うちの若いのが喜ぶ。俺も貴女とやりあうのは楽しいからな。休みの日にでもまた顔を出してくれ」
ジル中隊長がニッと笑った。
「えー……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらってもいいですか?普段は家で同じ相手とばかり稽古しているので 」
「おお!是非来てくれ。若い奴らのいい刺激になる」
「はい。事前に連絡を差し上げた方がよろしいですか?」
「いや、いちいち面倒だから、来たいときに来てくれたらいい。俺は独り身だからな。休みの日はたいてい訓練場で暇潰ししてるんだよ」
「分かりました。じゃあ、次の休みの時にでもお邪魔させてもらいます」
「あぁ。楽しみにしとこう」
ジル中隊長がニカッと笑った。
そのタイミングでジル中隊長を部下が呼びに来たため、食堂でそのままジル中隊長とは別れた。
ミーシャ達は3人とも食べ終えてから、軍詰め所を出て、王宮へと向かった。
「ミーシャちゃん。ジル中隊長に気に入られたみたいだね」
「忙しいでしょうに、ちょくちょく顔を出しに来てらっしゃいましたからね」
「ミーシャちゃん、ジル中隊長はどうなの?」
「どうなの?とは……?」
「気に入ってるのか?」
「うーん。そうですね。ジル中隊長に限らず、ジル中隊の方々って、うちの領軍と雰囲気が少し似てるんですよね。なんか落ち着きます」
「へぇ……ってそうじゃなくて。一人の異性としてはどうなの?」
「強くて面白そうな方だと思います」
「恋人や伴侶を視野にいれて考えてみたりとかは……」
「えぇ~。……うーん。そういうの考えたことないです。あんまり興味ないんです」
「もしかして初恋もまだか?」
「はい」
「そうなんだ。そのうち好い人見つかるといいね」
「家とか狙いじゃない限り、私を嫁に貰おうなんて人、早々いませんよ」
「お前、規格外に背が高いものなぁ。並みの男より逞しいし」
「はい」
「大丈夫だよ。世の中には背の高い女性や逞しい女性が好きな人もいるからさ」
「いるんですかねぇ……?仮にいたとしても一人前の薬師になるまでは結婚する気ありませんから、まだまだずっと先の話ですね」
「ミーシャちゃんなら、すぐに一人前になれるよ。頑張りやさんだから」
マルクス先輩がミーシャを見上げて、優しくにっこり笑った。