Life:19
夕食前のひと時、愛華は飼い猫を膝に抱いてなでくりまわしていた。
場所は自宅のリビングだ。
3人掛けのソファーの前に投げ出されたビーズクッションに沈み込みながら、夕方のニュース番組を横目に毛並みを堪能する。
愛猫もいつもなら起きている時間なのだが、今日は定期検診に行ってきたとかで、お昼寝できなかったらしい。
仰向けでお腹を見せた猫らしからぬというか、逆に猫らしいと言うべきかな寝相で寝ている。
なでてっ!と言わんばかりなぽんぽこおなかを撫でる。
あ~、そうそう、猫のおなかってこんなんだなぁ。
さすがに『べるちぇるくっ!』ちゃんのおなかはなでられなかったが、寝ていた時のお腹はとても手触りが良さそうだった。
「愛華~、電話よ~」
ひとしきり愛猫の毛並みを堪能していると、夕餉を作っていたはずの母から声をかけられた。
猫に夢中で気付かなかったが、電話が鳴っていたらしい。
「香ちゃんよ」
電話の子機を手渡しながら母が言い添える。
「ありがと」
香と名のつく知人は1人しかいない。愛華が通う道場の1人娘である五香香だ。
五香家とは、奥方である所の五香茜が華道師範をしている事もあり、我が家の母とも面識が深い。
愛華の家がある町内のご近所さんだし、男の子なら五香流道場、女の子なら茜のひらく華道教室というのがこの界隈では常識になりつつある。
年末の防犯防災の夜回りなんぞは、道場の猛者が集まってなかなかの効果をあげている。
華道教室も好評で、愛華の様な例外を除けば、近所の女の子のほとんどが通っている。ここいら近辺で女の子が『教室』といったら大体は茜の華道教室の事だった。
「やほ~カオちゃん。携帯にかけてくれてもよかったのに」
『かけたよ、アイちゃん。留守電だったよ』
携帯は部屋におきっぱだった。
「あ、携帯部屋だった。ゴメンゴメン。で、どしたの?」
『うん、ほら、ケイちゃん入院しちゃったじゃない?遺伝子疾患で。でさ、どうやら始業式にギリッギリ間に合わなそうらしいのよ』
蛍の年子の妹は兄をケイちゃんと呼ぶのだ。兄妹仲は良好らしい。
「あら、皆勤賞狙ってたみたいなのに。伸びたの?」
「いや~、それが予定通りらしいのよ。きっかり1か月で30日。始業式の日の午後退院だってさ」
1か月。長いか短いかでいえば、格段に短いのだろうな。なんせ、遺伝子疾患の治療は全身とっかえと言われるほど大掛かりなものだ。最近でこそ『サナトリウム』でリハビリも併用できているが、以前はタンクの性能の低さとリハビリの難度で復帰には1年以上はかかっていた。
そのリハビリも、巧く身体が動かせない事例も多々あったとかで、リハビリ中の怪我なんて珍しくなかったとか。本末転倒だね。
遺伝子治療後は体格が変わってしまう事も珍しくは無い。
以前と同じ様に動いていては新しい身体は巧く動かせない。軽自動車と同じ運転操作でダンプカーを運転することはできないという事だ。
「そっか、まぁしょうがないねぇ」
こういう点、愛華は達観している。どっかで折り合いをつけれる事ばかりではない。どころか折り合いのつかないのが世の中だ。
『でね、落ち込んでると思うからさぁ、陣中見舞いしてやってよ。ケイちゃんTLOやってるみたいだし、今はBAで会えるでしょ?』
「ふ~ん、ケイちゃんTLOやってたんだ。まぁ、BA参加予定だったから、TLOもやるか」
ちなみに愛華も蛍と『ケイちゃん』『アイちゃん』と呼び交わす間柄だ。幼馴染故の惰性の結果だが。
「でも、会えるかなぁ」
『なんで?』
「いやさ、相手は入院患者な訳で、個人情報が規制されてるのよ。肉親ならともかく、友人だと伝言して打診してもらってからだから、すぐには会えないかも」
『そっか~』
電話の向こうで香が残念そうな声を上げる。
「カオちゃんもBAやればいいじゃない。肉親なら療養所側にも入れるよ」
『VRメットもBAのソフトも無いよ。今日問い合わせたら、2週間待ちだってさ~。一応注文したけど、もっと早めに頼んどけばよかった』
「ケイちゃんの使えばいいじゃん」
『…はい?』
「ケイちゃんがBAやろうとしてた一揃いがあるんでしょ?ケイちゃん退院してきたら返すなり新しく注文したのを渡すなりすれば?」
『その手があったかぁ!すっかり忘れてた』
「じゃ、今夜INする?0時までなら私も入ってるよ。INしたら呼んでね、IDは…」
連絡を取り合う事を約束して電話を切る。BAにINする為の設定項目、特にキャラクター設定は従来の同様のゲームに比べると驚くほど少ない。なんせスキャニング情報まんまだ。決めるのは通称くらいか。
しかし、あのケイちゃんが入院ってだけでも信じられないのにそのお見舞いとはねぇ。
手土産は何がいいだろう。
「な~~ごっ」
そんな事を考えていると、膝の上の愛猫がやっと目覚めた様だ。
「お、護民官殿、お目覚めですな」
有名なSFから付けられた名をもつ愛猫は、大きく伸びをすると台所の母の方へ歩いて行った。料理中の足元にすり寄り、おこぼれを強請るのだろう。
ここは母の負担を分担しますか。
「おかぁさん、テーブル拭いとくよ。あと手伝う事ない?」
「それじゃぁねぇ…」
宵は和やかに更けて行った。




