*危機迫る
そうして、何度目かの移動を終えて幸子はお腹がすいたとバックパックの中身を思い起こした。
確か、もしもの時にとクッキーとチョコレートを入れていたはずだ。
「ねえ」
「なに」
「ちょっと食べていい?」
お腹すいちゃったと出来るだけ可愛い仕草で腹部に手を当てた。ダグラスはそれにも無表情な眼差しを向け、
「あんまり食べないようにね」
何があるか解らないから。
その何かが起こって今こうなってるんですけどもね。幸子は心の中で低くつぶやいてチョコレートを取り出した。
板チョコは二枚ある。一枚を仕舞い、一枚のアルミ箔を一列分だけ破いた。そうして、ひとかけを手に取り口に含む。
ほろ苦い甘さが口の中に広がり、自然と笑みが浮かぶ。
ふとダグラスに目をやると、何かを食べていた。ブロック状のシリアルだろうか。
「それなに?」
「携帯食」
食べる? と一つ差し出した。コンビニによく売っているようなシリアルっぽかったが、大きさは三センチ四方の小さいものだ。
初めて見る形状に少し緊張しつつ口に入れる。
「ん、美味しい」
しっとりとしていて、売っているシリアルよりも甘めで柔らかい。
「カロリーは高いよ」
「えっ!?」
もっと早く言ってよバカ!
「戦闘時でも食べられるようにしてるものだからね」
ああ、なるほどと幸子は納得した。
「でも──」
幸子は声を低くしてぽつりと、
「よく傭兵になったわね」
「あれ、話戻された」
「だって気になったのよ」
「ゆきちゃんはどんな仕事してるの」
「ただの事務よ」
職場に対する多少の不満が声色に含まれている。大体の職場というものはそういうものだろう、それくらいの不満で済んでいるという事でもある。
「事務にも色んな人がいるでしょ」
「うん」
「それと一緒」
同じだと言われても納得は出来ない、事務と傭兵が同じ立ち位置にあるとは思えないからだ。
「なによ」
嬉しそうに笑っているダグラスに眉を寄せた。
「いや、ハイスクールのとき同じように訊いてきた友達を思い出した」
「なんて答えたの?」
「傭兵だったから俺を殺そうとした訳じゃないって」
それはそうかもしれないけど、傭兵だったから殺す動機が出来たんじゃないのかな。幸子はそんな風に考えていた。
「全体で捉えるのは危険だ」
その本質が見えなくなってしまう。
「本質……」
どこか重みのある声に幸子は息を呑んだ。
「まあ、師匠が親父より凄い人だからっていうのもあったんだろうね」
尊敬はしていたけど、憧れていたのは親父じゃない。
「そんなに憧れてたんだ」
「そりゃあね」
ほとんどの傭兵からその名を聞けば憧れもするよ。
「へえ」
肩をすくめるダグラスに幸子はそのベリルという人物に興味を抱いた。とはいえ、根掘り葉掘りと訪ねるのも気が引ける。
少しずつでも聞き出したい。幸子の心情はあたかも、警察署の取調室で容疑者の向かいに座る刑事を彷彿させた。
とにかく、どうやって聞き出そうかと、この現状においての緊張感を吹き飛ばす作戦を練り始める。
しかし、そんな感情をダグラスが制止した。何かに警戒するように無言で幸子に合図を送り、険しい表情で周囲を探るように動かない。
「虫の声が聞こえない」
「え?」
ぽつりと口の中で発した言葉に幸子も耳をそばだてる。そういえば先ほどまで聞こえていた虫の鳴き声がまったく聞こえなくなっていた。
「まずいな」
囲まれてる。と小さく舌打ちした。
「えっ!? 見つかったの?」
「違うよ。山の入り口に近いからね」
いくらファミリー向けのハイキングコースと言っても、登山道以外から降りるのはかなり危険だ。
むしろ家族向けにしている分、山の手入れを欠かさない。
「この山は車道が沿っているから登山道以外の下山は難しいだろうね」
降りてきた時に捕まえようとしているんだろう、こちらと違って向こうは人員の入れ替えが出来る。二十四時間態勢で張り付くに違いない。
「そんな──!?」
今までの緩い雰囲気は一転、幸子は青ざめた。そんなとんでも兵器のために捕まって、もし捕まったらどうなるの何をされるの怖い。
今更ながら、自分の置かれている立場に恐怖を覚えた。