*大丈夫でしょうか
さらりと発した名前は、きっと師匠の名前なんだろう。幸子は察して続きの言葉を注意深く聞き入る。
「ホントに聞きたいの?」
「はやく」
話の腰を折られたようでダグラスをきつく睨んだ。恨むならあたしを巻き込んだ事と暇な時間を恨みなさい。
魔女さながらに心の中で高らかに笑う。
躊躇いがちに幸子を一瞥したダグラスを可愛く思い、早く話せと肘でこづいた。ダグラスは何をそんなに聞きたいんだろうと眉を寄せ、小さく溜息を吐き出す。
「大したことじゃないよ」
何よ、さっきと言ってること違うじゃない。と心の中でツッコミを入れた。
ダグラスは何から話そうかと言葉を整理しているようだ、思案するようにあごに手を当てて宙を見つめている。
「そんなに話しにくいことなの?」
「話しにくいというよりややこしいんだよ」
何がそんなにややこしいのよ。幸子は顔をしかめた。
「その人に命を助けられたんでしょ? 事故か何か?」
「親父に殺されかけたんだよ」
俺は、親父の本当の息子じゃなかったから──聞かされた言葉に幸子は唖然とした。
「なにそれ」
「ベリルは有名な傭兵だったから、同時に名声の失墜も狙って俺を会わせた」
一度話してしまうと気が楽になったのか、声に抵抗が薄れていく。
子供を死なせ、作戦も失敗すれば彼のイメージが悪くなるのは必至だ。
「なんで、そんな──」
「親父は末期ガンだったみたいでさ、傭兵を引退して長かったけど俺やおふくろの事も重なっておかしくなったんだと思う」
「お母さんがなんで?」
キョトンとしている幸子に眉を寄せる。
「俺おふくろから産まれたんだけど」
「……ああっ!? そういうことね」
父親の本当の子供じゃないってことは──そうかそうか。
「おふくろは強い男が好きだったらしいから」
名うての男たちをいつも狙っていた。
「その中に俺の本当の親父がいたんだろうね」
「あなたには悪いけど、その人もその人よね」
「そうかもね。でも父さんは女に弱かったって言うし、おふくろが嘘を吐いてたかもしれない」
小さく笑んで肩をすくめた。
誰しも母の事を知っている訳じゃない。彼氏や夫もおらず、子も産めない体と言われれば大抵の男はそこで心が傾くだろう。
「子供が出来たらって思うと躊躇うだろ」
「確かにそうだけど」
「結局、作戦は成功して俺も助かったわけ」
でも、もし助けたのがベリルじゃなかったら親に殺されかけた俺はどんな人生を送っていたか知れない。
それほどに、ベリルという存在はダグラスにとって大きなものだった。
「俺を引き取ってくれたことには感謝してるよ」
だから、道を踏み外さなかった。俺の前で、しっかりとその背中を見せてくれていたから。
若干、照れながらも誇らしげに発したダグラスに幸子も笑みを浮かべた。
こんな風に話すベリルという人はきっと、とても良い人なんだろう。引き取って育ててくれたという事は、育ての親でもある人なんだな。
聞けば、十五歳から五年間を一緒に過ごしたと言う。短いようでも、五年というのはその年頃であれば十分なものを学べるかもしれない。
「次行くよ」
「あ、うん」
先ほどの話などしなかったように切り替わっているダグラスの表情に少し悲しくなりながらも、暗闇に足を捕られないようにと暗いライトをかざして追いかける。
「転けて顔面強打しないようにねぇ~」
前から聞こえるふざけた声に幸子は蹴りを入れたくなった。