*いやがらせ感
しかし、ここでこうしていてもらちがあかない。
「山を下りるか」
「賛成」
小さく手を挙げる。
「走れる?」
「高校の時は陸上部にいたわ」
「じゃあちゃんとついてきてね」
ダグラスは暗闇に気配を探りつつ軽く柔軟した。幸子もそれに続くようにあちこちの間接を伸ばして回す。
幸子に視線を送るとダグラスは無言で頷き草むらから足早に駆けていった。幸子もそれに続いて草むらを飛び出し、距離を保ちつつ追いかける。
「むしのしらせ」
ダグラスは小さく念を押すようにつぶやきながら足を進めた。
トータル百メートルほど移動しただろうか、そこで一端止まると草むらに身を潜めた。
「ねえ、どういう意味?」
落ち着いたところで幸子が訪ねる。
「何が」
「むしのしらせって言ったわよね」
「ああ、日本のことわざじゃないよ」
本来の意味は悪い予感や第六感の事を差す。
「こういう山とか森だと、虫の鳴き声が他の生き物の場所を教えてくれてるからちゃんと聞いておけって言われたの」
「へえ……」
耳を澄ませても幸子にはよく解らなかったが、傭兵にしかない感性なんだろうかと妙に納得した。
「傭兵というよりもレンジャー能力かもね」
幸子の考えを察したのか、説明するように応える。
「レンジャーってテレビでよく見る自然公園とかの?」
「まあ大体そんな感じ」
説明が面倒なのか、かなり適当な受け答えをされた感に幸子の目が吊り上がる。
こいつ絶対あたしを舐めきってるわね。怒りの念をさらに強めた。
「しばらくしたらまた移動ね」
それに頷くと、山道に例の人影が見えて幸子は思わず身を縮める。ふと左に何か見えてそちらに視線を向けた途端、蜘蛛の姿が──
「ムグッ!?」
叫びかけた幸子の口をダグラスが塞いだ。
「ご、ごめんなさい」
危うかった自分に額の汗を拭い小さく礼を述べた。
しかしすぐ、なんでそんなに反応が早かったのだろうかと疑問に感じてダグラスを見やると笑いを必死にこらえていた。
こいつ蜘蛛がいるのを知ってて黙ってたんだわ。殴りたい気持ちを抑えつつギロリとにらみつけた。
「蜘蛛とか怖がるのって女も男も可愛いよねぇ」
「は?」
なんだかジジ臭い事を言われて幸子は呆けた。
「師匠の影響で俺も平気になっちゃったからさ~、怖がる人が可愛く見えちゃうね」
「師匠?」
ぼそりと聞こえた言葉に幸子は素早く反応する。
「なに、いたらおかしいの?」
「別におかしくはないわよ。どんなことを教わるのかなってちょっと気になっただけ」
「師匠はマルチなタイプだから教わることはたくさんあったけどね」
昔を懐かしむような眼差しに幸子は胸がキュンとなる。自分はこれほど惚れっぽい人間だったろうか。
「そこに蜘蛛いるよ」
足下を差されて叫びかけた幸子の口を再び塞いだ。