*出会ったのは
都心から離れた山の中腹、年の頃は二十代後半の女が道から外れた草むらで息を潜めていた。
「なんであたしがこんな目に遭わなきゃならないのよ」
口の中でぶちぶちと文句を垂れる。
山といってもさほど高くはない、家族連れがハイキングに来る程度の簡単な道のりだ。そのため、女性の服装もかなりの軽装である。
ハニーブラウンに染めた髪を肩まで伸ばし、左を髪留めで固定していた。
そろそろ陽も傾きかけ、夏も終わりにさしかかる季節は少々、肌寒さを感じさせる。
「なんか言った?」
「なんでもないわよ」
腹立たしげに応える。
隣にいる青年は小首をかしげて再び周囲の気配を探った。
この青年と出会った時は、自分はなんて幸運なんだろうと思ったものだが、いまでは不運としか思えない。
背中までのシルヴァブロンドの髪を一つに束ね、赤茶色の可愛い目元に整った顔立ち。にこりと微笑めばまるで天使のようだ。
日本人ではないため、はっきりとした年齢は解らないがたぶん二十代の終わり、二十八か二十九といったところだろう。
彼女の名は、野上 幸子。ごくごく普通の小さな会社で事務をしている。
なんとなく山に登りたくなってスニーカーに軽装で、クローゼットから引っ張り出したバックパックにはうちにあったお菓子を詰め込んで適当に検索をかけた近場のハイキングコースを訪れた。
もうすぐ秋とはいえ、まだ蒸し暑さが残る都心とは違い山は清々しく幸子を迎えた。
人混みばかりで忘れていた鳥の鳴き声が耳に心地よい。久しぶりに落ち着いた時間を過ごした気がした。
都会の喧噪など、まるで夢の中の出来事のようにも感じられた。
お昼には山に入る途中のコンビニで買ったお弁当を食べて、眼下に見える町や木々や空をひとしきり眺めて下山の支度を始めた。
そうして下山を開始してすぐ、
「キャ!?」
「あ、ごめん」
草むらから突然、大きな影が飛び出して幸子は熊かイノシシでも現れたのかと叫びを上げた。
しかし、そこにいたのは見目麗しい外国の青年──さらりと流れるシルヴァブロンドの髪は太陽の光りに照らされてキラキラと輝き、赤茶色の瞳が大きく幸子を見下ろしていた。
まるで天使のような人が本当にいるなんて……。と、数秒ほど彼を見つめてしまった。
「大丈夫?」
日本語で尋ねられて幸子は我に返り、
「は、はいっ」
思わず声がうわずる。
そしてふと、青年の服装に目が移った。深緑のカーゴパンツに群青色のベスト、その下には厚手の長袖を着ている。
腰には麻のウエストポーチが巻かれていて、小さめの黒いリュックを背負っていた。
このハイキングコースではさして珍しくもない格好だが、幸子は何故だか少しの違和感を覚えた。
電話番号を訊きたい気分だったが、相手が妙に急いでる素振りだったので残念がりながら離れようとしたとき──
「きゃあ!?」
「ごめん!」
いきなり腰の辺りを抱きつかれてそのまま抱えられ、道から外れて倒れ込んだ。
こんな展開ありなの!?
幸子はトキメキが一瞬にして恐怖へと代わり血の気が引く。
身長だって百八十センチ近くあって、いま抱きつかれたので解ったけど、凄くがっしりしてた。
勝てない! あたしこんなとこでやられちゃうの!?
「キャー!? いやっ! だめえ!」
「盛り上がってるとこ悪いんだけど静かにして」
「えっ?」
襲われると思った幸子は力の限り叫んだが、青年は冷たくそれを制止した。
そして、身をかがめて見つめている方向を同じように見やる。そこには、暗いスーツを着た男三人ほどが誰かを捜していた。
この状況からして捜されているのは明らかにこの青年だ。
「あなた、なにしたの?」
「なんにも」
そう言ってまた天使の微笑みを幸子に向けた。