第七話 真実の破片(4)
泰史が警護を離れると雪菜が聞いたのは、英樹の了承を得てからわずか二時間後だった。
雪菜は最初、また泰史がからかっていると思い相手にしていなかったが、菊花にも同じことを告げられ、思わず大声を上げてしまう。
「えーっ、それ本当なの?」
「この度、貴船殿よりお役目をいただくこととなりました。短い間ではございましたが、ありがとうございました」
「どうして急にそうなるの? あたし、なんかした? あたしの警護、いやになっちゃったの?」
「雪菜さま、よく黒川さんの話を聞いてください。貴船殿の下で働くことになったと言っているではありませんか。おめでとうございます、黒川さん。これで認められれば、また大切なお仕事につながるかもしれませんものね」
いつも通りの穏やかな笑顔で、菊花が泰史にお茶を出す。
「ありがとうございます」
「なんで?あたしの警護の方が楽じゃない。命の危険もないし」
「命の危険は無くても、髪の毛が減る危険がありましたが」
「いくらなんでも、今から禿げるわけないと思うんだけど」
「わかりませんよ、そんなの。びっくりし通しでしたから、その刺激でやばいかも」
「無表情でそんなことを言われても、あまり悪いとは思えないんだけど」
「まあまあ。だけど、お二人のじゃれあいが見れなくなるかと思うと、本当に残念です」
泰史と雪菜の会話を聞きながら笑っていた菊花が、しみじみと言う。
「あ〜あ、黒川さんともお別れかぁ。まぁ、しょうがないかぁ。次の警護の人って決まっているの?」
「はい」
「ずいぶん早く決まったのね。どんな人?」
「気のいい人みたいですよ」
「それだけ?」
「ろくに話したこともないもんで」
「……」
「不満そうですね」
「分かっているんなら、もうちょっと情報を仕入れてきてよね」
「小早川殿が自ら選ばれたそうです。雪菜さまのお好みを、十分にご考慮されたとか」
「うわあ。はずしそう……」
「雪菜さま」
率直な雪菜の感想を、菊花がたしなめる。
「そろそろ失礼いたします。新人も加わるそうですので、早く戻るようにと言われているんです」
「そうですか。寂しいですけど、お仕事頑張ってくださいね。お時間のある時には、ぜひ顔を出してくださいね」
「はい。ありがとうございます」
なんとも珍しい、泰史の笑顔。
――黒川さん、笑えるんだぁ。
雪菜がそんなことを考えている間に、泰史は次の職場へ行ってしまった。
「ねぇ、黒川さん大丈夫かなぁ。よりによって、英樹の部下。しかも直接の上司が渡部さんって、大変じゃない?渡部さん、厳しそうだしさ」
「あら。けっこう優しい方ですよ」
菊花は雪菜の部屋に飾るために、白くて優雅な大輪の花を手にしていた。
――この花は、菊花に一番似合っている。
雪菜がそう思うほど、それは菊花を艶やかに見せていた。
「菊花にはね。なーんか、あたしを見る目が厳しい気がする」
「雪菜さまが、何かやらかしたんじゃありませんか」
「やってない! ……と、思うんだけど」
「渡部さんなら、厳しくても理不尽なことはなさいませんよ。それに、黒川さんだって自分を試してみたいでしょうし、今回はとてもいい機会だと思います。これがきっかけで、春に組まれる予定の蛮族討伐隊にだって、それなりの役がつくかもしれないじゃないですか」
「そういうものなの?」
「そういうものですよ」
「ふーん」
「なんだか、緑が足りませんね。庭の枝を少しいただいてもよろしいですか?」
「いいよ。好きなだけ切って」
「ありがとうございます」
ハサミを持って、菊花は庭に出ていった。
――自分を試したい、か。直也もそういうことを思っているのかな……。
直也……。
雪菜は今朝の、直也のそっけなさを思い出す。
「あーあ。今日は落ち込むことが多いなぁ」
床に寝転り、雪菜は小声で呟いた。
菊花は庭の低木で色合いのいい葉を探したが、今の季節ではあまり気に入るものがない。辺りを見渡しながら、ゆっくりと歩き始めた。
――男の人ってのは仕事で認められたいものなのよ。今は辛くても、あの人のためだからね。
雪菜にあんなことを言ったせいか、昔、母に言われたことを思い出してしまう。
今考えると、母の言葉は間違っていなかった。あの時に思いとどまったから、今、あの人はここまでこれたのだもの。
菊花はようやく丁度いい葉を見つけ、手にとった。そして、ハサミで切り取る。切られた枝の断面に、薄茶の傷が小さくついていた。それは、自分に言い聞かせている言い訳で、幾筋もついてしまった心の傷を思わせた……。
「藤枝、雪菜さまはおいでかな」
敏郎の声で、菊花は我にかえった。
「はい、お部屋にいら……」
菊花は俊郎の後ろにいる人物を見て、言葉が止まる。
「そうか、ではお伺いいたそう」
菊花が驚くことなど、予想がついていたのだろう。俊郎はかえって菊花の反応を面白がっているようにも見えた。
「菊花」
雪菜の声で、菊花は振り向く。
「ねえねえ、あたしも一緒に葉を選ぶ。お兄さまのお部屋にも何か飾ろうと思うんだけど、まだ注文したお花、残っている……」
雪菜も敏郎の後ろにいる男を見て、驚いている。
「コバじい……?」
コバじいとは、雪菜だけが呼ぶことを許された、敏郎の呼び名だ。まだ雪菜が幼かった頃、小早川と発音できなかったので、いつの間にかこの呼び名になっていた。
雪菜のびっくりした顔を見れて、俊郎は満足したようだ。
「雪菜さま、ちょうどようございました。この者が、今度の警護の者でございます」
「……橘には珍しいタイプだね」
「青竹晴紀と申します。どうぞ、よろしく」
その男は、三十歳くらいのようだ。短く刈りこんだ髪は金色に染められていて、耳には小さなピアスが沢山ついていた。
街の中心に行けば、こういう男はそこら中にいる。
だが、橘の屋敷では、まず見かけない。
「これでも腕は中々でしてな。護衛としてお役に立つかと」
「……」
雪菜と菊花はニコニコしている晴紀の顔を、じっと見つめた。