第三話 不安の萌芽(3)
「直也、おはよっ!」
「おはよう。朝から元気だな」
雪菜は、母屋の裏にある小さな池のほとりで、直也と待ち合わせをしていた。朝食をとったら、直也はすぐに海神へ出発する。その前にちょっと会いたい、と雪菜が直也に言ったのだ。
「はい。これ、疲れた時に食べてね」
雪菜は、昨夜作った小袋を渡した。
「これは?」
「アメだよ。こっちの、青葉色の小袋が、直也の分ね。これには、直也の好きな味のアメだけが入ってるから。こっちの柳模様の小袋は、広瀬さんに渡してね。なにが好きなのかよく分かんなかったから、いろんな味のが入ってるよ」
「小袋まで作ってくれたんだ。ありがとう」
直也は、雪菜が作った小袋をずっと見ている。動く指の間から、アメの転がる音がした。
――あ。すごく喜んでる。
雪菜は直也の嬉しそうな顔を見て、ほわほわとした幸せな気分になる。
「ねえねえ」
「ん?」
手をつないでいい?
そう聞こうとした時――。
「俺の分まで用意してくださったんですか。いや、嬉しいなあ」
和馬の声だった。
「広瀬さん〜……」
「二人の邪魔して、すみませんなぁ。あれ、直也。なんか文句……」
「どうしたんですか、こんなに朝早く!」
「恐いなあ。なんか怒られているみたいだし。散歩だよ、ただの」
「本当ですか?」
「本当、本当」
和馬は笑って言う。だが、どうも信じられない。
「広瀬さんは、毎日こんなに朝早く散歩しているの?」
一緒に歩き出した和馬に、雪菜は訊いた。
「いや、ここまで早くはないんですけど、なんか目が覚めちゃいまして」
「ああ。それはマズイですね」
「なにがマズイって?俺を年寄り扱いしたいのかな、直也」
「大体、わざとらしく邪魔するところが、すでに若くない証拠ですよ」
「ほぉぉ。邪魔されんかったら、一体なにをするつもりだったのかな、直也くんは」
「何もしませんよ」
「じゃあ、そんなに不満そうな顔することないだろ。ねえ、お姫さん」
しかし、雪菜の興味は既に別へ移っていた。
「ね。なんか、あっちが騒がしくない?」
雪菜が指さす方向から、みすぼらしい格好の男が二人、歩いてきた。彼等の背後には生垣があるのだが、その奥から数人の声が聞こえてくる。
「そうだな。男の声が複数する。俺がみてくるから、雪菜はここで待っていろ」
だが、直也がそう言った時にはもう、雪菜は歩いてきた男達に声をかけていた。
「ねえねえ、何があったの」
男達は最初、雪菜が誰だか分からなかったようだが、すぐに主人の妹だと気付き、背筋を伸ばして答える。
「はっ!昨日、真砂から到着した原口という男が、屋敷のはずれにある竹林で死んでいるそうです!」
「原口……」
――原口って、昨日広瀬さんが言っていた……。
雪菜は後ろを振り返った。直也も和馬を見ている。
そして、和馬は笑みを浮かべていた。嬉しい時に見せる笑顔ではない。
負の感情だけを練り合わせて作ったような、冷たい笑顔……。
「仕方ないでしょうな。天罰というやつですよ。それじゃあ、俺は失礼しようかな。直也、時間に遅れるなよ」
和馬は、そう言うと、背中を向けた。そして、何事もなかったかのように歩いていく。
今のは……。
今のは、本当に広瀬さん……?さっきまで直也をからかっていた広瀬さんなの……?
雪菜は、直也の腕を掴んだ。そして、直也を見上げる。直也の顔もこわばっていた。雪菜も直也も、全身に緊張感がまとわりついている。
まさか、広瀬さん……。
まさか……。
「戻ろう、雪菜」
直也の手が、雪菜の頭にぽん、とのせられた。
「うん……」
雪菜は自分の手を重ねて、うなずいた。