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春隣  作者: 桜木結実
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第二話 不安の萌芽(2)

 将一は大きな足音を立てて中に入り、雪菜の前に座った。雪菜の周りにいた者たちは、慌てて廊下近くに移っていく。するとまた障子が開き、顔立ちの整った男が入ってきた。

「貴船殿、これはいったい何事ですか」

「どうやら、雪菜が御所にまで噂が届くような何かをやらかしたらしい」

「……」

 直也が沈黙し、吉住が眉を寄せる。

「そりゃ、まずいですな」

 和馬は、どことなく面白がっているようだ。

「お前たちは部屋から出ていろ」

 貴船殿と呼ばれた男の命令に、全員が従う。

 直也は心配そうに雪菜を見ていたが、和馬に促され、一緒に部屋から出て行った。

 それを待っていたかのように将一が声を低め、雪菜に質問をする。

「おまえ、神原の次女と街で取っ組み合いをしたというのは、本当か」

「さすが、お兄さま。お耳が速い」

「ということは、本当なんだな」

 雪菜は、首を縦に振った。

「雪菜……。原因はなんだ。なぜ、よりによって今、神原と争いを起こす」

 神原とは古くから御所の警護を担ってきた中流貴族である。橘の台頭によりその地位が脅かされ始め、現在では犬猿の仲となっていた。討伐隊の総指揮官が決まらない今、余計なことで神原に足を引っ張られたくない、というのが将一の本音だ。

「……」

「言いなさい、雪菜」

 静かに言う時の将一は、本気で怒っている。

「お兄さま、気落ちしないで聞いてくださる?」

「言ってみなさい」

「神原の由美がね、お兄さまの赤い着物を見たらしくて、さすが成り上がり者だ、趣味が悪いと言ったの」

「そうか。若い女には受けが悪い着物なのかもしれんな」

「あんな着物を着ているから、歌い女にすら相手にされないんだって言われた」

「……」

 将一が神原専属の歌い女を口説いているのは、都中で知らない者はいないほどの有名な噂だ。

「ね? 腹がたつでしょ?」

「うーむ……。まあ、愉快な気分ではないな」

 そう言いながらも、将一の顔は引きつっている。

「あたしは腹がたったわ。それまでもね、あたしのこと山ザルとか、育ちが悪いとか散々言ってきたのよ」

「なに!あの女、そんなことを言うのか」

「でもね、あたし、我慢して相手にしてなかったの」

「うむ」

「だけどね、お兄さまの悪口まで言われて、あたし、我慢できなくなっちゃって。だって、橘の龍とまで言われる、あたしの自慢のお兄さまなのに……」

 雪菜はその時のことを思い出し、悔しさで涙が滲んできた。

「そうかそうか、可哀想に。ひどい目にあったな。よしよし、雪菜は悪くないではないか。なあ?」

 そう言って将一は、下を向いて涙ぐむ雪菜の頭を撫でた。

「将一。説教はどうなった」

「なあに、また上院になにか言われたら、橘は女子までもが勇ましいのです、とでも答えればよい」

「そのように甘やかすから、わがまま放題の山ザルなどと言われるのだ。よい、私が諭そう。雪菜、こちらを向きなさい」

 この男の本名は橘英樹という。将一と雪菜の従兄弟にあたり、親族以外からは故郷の地名、つまり「貴船」と呼ばれている。英樹は、一族の中でも将一の右腕として大きな存在感を示しているので、雪菜に大甘な将一に代わって説教ができる、数少ない一人なのだ。

「おいおい、わがまま放題とは言われていないぞ」

「これのどこが、わがまま放題でないというのだ。よいか、雪菜。おまえは現在の橘があるのは、何故だと思っておる」

「お父さまが蛮族制圧の功績をたてられたので、宮中の参内が認められたからです……」

「そうだ。それを足がかりとし、岩塩の利益で軍備を増強した結果、橘は貴族達が面とむかって馬鹿にできないまでに大きくなった。それも叔父上亡き後、将一を中心とした家臣一同が、血の滲むような努力をしたからである。だが、貴族の心の内までもが変わったわけではない。それは雪菜とて身に染みて分かっているはずだ」

「はい……」

「その皆の努力を、惣領の妹姫たるおまえが台無しにするとは、なにごとだ。貴族どもは、何を口実に足を引っ張るのか分からんのだぞ。それすらも理解できぬのか」

「……」

「英樹、もうよいではないか。雪菜とて、もう同じことは繰り返すまい。なあ、雪菜」

「はい。ごめんなさい」

 しゅんとしおれてしまった雪菜の頭を、将一はまた二、三度撫でた。

「だが、俺は嬉しかったぞ。雪菜が俺のことで、そんなに怒ってくれるとは」

「お兄さま、ホント?」

「おまえがそうだから、雪菜がいつまでも子供のようなのだ」

「仲のいい兄妹で、結構ではないか。亡き父母も、草場の陰で喜んでおられるに違いない。雪菜。もうこのような短気は起こさんな?」

「はい」

 英樹はため息をつく。

――甘すぎる。

 将一を見る目が、そう言っていた。

「まあ、よい。雪菜も反省しているようだしな。おまえ達、もう入ってきてもよいぞ」

 英樹がそう言うと、廊下で待っていた直也達が、部屋に入ってきた。その中には冷めたお茶を持った菊花の姿もあった。将一は菊花からその茶を二杯もらい、一気に飲み干している。一息つくと、何かを思い出したらしい。吉住を手招きした。

「渡部、俺達はこれから大倉家に向かうので、岩塩の件は明日にする。あの男は待たせておけ」

「はい。承知いたしました」

 二人が行ってしまうと、全員の視線が雪菜に集中する。

「えっと……。心配かけて、すみませんでした」

 ペコリと頭を下げて謝る雪菜に、皆から苦笑がもれた。


「菊花、いる?」

 青白い冬の月が冴えわたる夜半過ぎに、雪菜はそっと菊花の部屋を訪れた。

「雪菜さま? どうなさったんです、こんな時間に」

「見て見て。これ、作ったんだ」

 雪菜の手には小袋が二つ、握られていた。

「まあ、かわいい。雪菜さまが作られたのですか?」

「うん。明日から直也と広瀬さんが討伐隊の準備で、海神に行くじゃない?今日買ってきたアメを、これに入れようと思って。よくできているでしょ?」

 海神とは都に運び込まれる荷物を主に扱う、大栄一の港である。屋敷からは一時間もかからないで行けるが、商人とのつきあいで夜遅くなることも多いので、橘の者が使う簡単な宿舎が用意されていた。

「ええ。直也さま、きっと喜ばれます。広瀬さまの分まであるなんて。広瀬さま、甘いものがお好きですし」

 あれ?

 菊花、いつもと違う……?

「ねえ。菊花、顔色が悪いよ。具合が悪いの?」

 小袋を手に取って眺めている菊花の顔は、青ざめていて血の気がない。

「あ……。はい、頭が痛くて……」

「そうなの? 大丈夫? あたし、薬をもらってきてあげる。ちょっと待っててね」

 雪菜はそう言うと、菊花の部屋から出ていった。

 真冬の廊下は足元から寒さが這い上がってきて、体の中にまで冷気が侵入しようとする。雪菜は冷たい空気を振り払おうと、足早に歩いた。

「あ……。野犬の遠吠えが聞こえる」

 雪菜は足を止めた。 

 それは闇の粒子を揺らしながら、雪菜の耳に届く。

 いつもは遥か遠くで聞こえるのに、今夜はやけに声が近い。遠吠えは、ひとつ、またひとつと増えていく。

「やだな。気味が悪い」

 耳が痛くなるほどの冷えた闇の中で、それはいつまでもこだまして、雪菜の耳を震わせていた。

 

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