第十七話 からまる鎖(2)
「足の早い娘さんですなぁ」
「追いかけなくてよろしいのですか?」
「いえ、追いかけます。すみませんが、ここでちょっと待っていてください」
「わたくし共は別の方に道を聞きますよ。いやいや、若いとはいいですなあ」
「じゃあ、俺はこれで。時間をとらせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいえ、とんでもございません。頑張ってくださいね」
夫婦の励ましに、直也は苦笑いを返す。
急いで道をくだると、雪菜が坂の下で立っていた。隣には泰史がいる。
――なんで、あいつが。
雪菜は泰史の袖を掴みながら、一生懸命に何かを話していた。雪菜は意識していないが、あれは甘えている時によくやる仕草だ。
いきなり泰史がかがんで、雪菜の口もとに耳を近付けた。きっと、雪菜の言葉が聞き取れなかったのだろう。すぐに姿勢を戻した。だが、雪菜は泰史の袖を離そうとはしない。なおも話し続けている。
「雪菜!」
思った以上に、大声が出てしまった。
雪菜がびっくりした顔をして、直也を見る。
「雪菜、話をちゃんと聞けよ」
「命令しないでよ。直也に振り回されるのはもう、うんざり!」
「雪菜!」
こんな雪菜を見たことがない。
こんなにも全身で拒否されたのは、初めてだった。
「あたし、菊花のところに行かなきゃ。直也は海神に行くんでしょ。じゃあ、気を付けてね。さようなら。ほら、行くわよ黒川さん」
そう言って、雪菜は泰史の袖を引っ張った。
「え? 俺もですか?」
「当たり前じゃない。惣領の妹姫を一人で歩かせる気?」
「さっき、一人で坂をくだってきたじゃないですか」
「なんで意地悪ばっかり言うの……!」
「はいはい、分かりましたよ。すみません、水越さん。失礼します」
雪菜は直也に背を向けて、早足で歩いていく。
その後ろ姿を見ながら、以前、和馬に言われたことを思い出した。
――おまえ、お姫さんの好意に寄りかかり過ぎじゃないのか。
泣き出しそうだった雪菜の顔。
「やっぱり、そうなのかなぁ……」
直也は独り言を言いながら、ため息をついた。
「変な意地を張らないほうが、いいと思いますよ」
泰史が、しょうがないな、といった顔をしている。
「意地を張っているんじゃないもん。怒っているんだもん!」
「まあ、ちょうどいいか。これ、あげますよ」
泰史が手渡したのは、「ゆかり神社」と書かれたお守りだった。
「恋愛成就の神社ですよ。これをいつも身につけていると、想う相手と結ばれるそうです」
「……黒川さん、これに願掛けしていたの? 相手は、どこの誰?」
「違いますよ。これは、雪菜さまのために手に入れたんです。水越さんの気持ちが分からないって、この前言っていましたからね」
「わざわざ手に入れてくれたの? ありがとう、黒川さん!」
「いいですか。これはいつも身につけていて下さい」
「うん。わかった」
「そうしないと効かないそうですから」
「うん。じゃあ、そうする」
雪菜はお守りを胸元にいれた。
「これでいい?」
「いいですけど……。男の前ではそういうことをしない方が、身のためですよ」
「そういうものなの? じゃあ、気をつけるよ」
「ほら、部屋の前に着きましたよ。俺はこれでお役御免ですね」
「あたしから逃げたいように見える……」
「気のせいです」
「そっかなあ」
「かんべんしてくださいよ。俺、すぐに渡部さんと外回りに行かなきゃいけないんですから、ごねないでください」
「直也も黒川さんも、冷たい……」
「その分、惣領殿が大甘じゃないですか。これで収支が合いますね」
「雪菜さま、どうなさったんですか。黒川さんとご一緒ですか? 黒川さん、上がってお茶でもいかがです?」
青白い顔をした菊花が、雪菜の部屋から顔を出した。
「こんにちは、藤枝さん。ゆっくりしている時間がないので、すみませんが失礼します」
「そうなんですか? 残念だわ」
泰史は菊花に軽く頭を下げると、足早に去っていった。
「なんだか、皆に冷たくされている気がする」
「なにをおっしゃっているんですか。気のせいですよ」
雪菜が部屋に入ると、菊花はお茶の用意をしていた。