第十六話 からまる鎖(1)
やがて村の復興が本格的に始まりました。あのようなことをしでかしたとはいえ、村で一番金策に秀でていたのは正造です。和馬さまは正造を資金運用係に任命されました。正造はそらみたことか、と村中に触れ回っておりました。
しかし今にして思えば、あれは和馬さまの仕掛けた罠だったのではないでしょうか。
お金に汚い正造は、復興資金を横領したのです。和馬さまは正造の全財産を没収し、村から追放いたしました。
村人は誰も同情いたしませんでした。
しかし、正造が追放された翌日のことです。菊花さまのお姿までもが、和馬さまのお館から消えてしまいました。
和馬さまは必死に探されました。そして数日後に、白峰家と親交のあった藤枝さまから、菊花さまを預かっているとの連絡があったのです。
和馬さまは直ちにそこへ向かわれました。わたくし共は菊花さまをお迎えする準備を整え、お二人のお帰りを待っていました。
けれど、和馬さまはお一人で戻っていらっしゃいました。村人は、和馬さまが白峰家の菊花さまを妻にされ、名実ともにこの村の支配者になるだろうと思っておりましたので、皆驚きましたが、和馬様は淡々とおっしゃいました。
菊花はもうこの村には戻らない。神社は総大社からしかるべき神官にきていただき、村を守ってほしい。
それが伝言だとおっしゃるのみです。
腑に落ちない話でしたが、あのようなことがあったからにはそれも無理からぬこと。時が経てば菊花さまも落ち着かれるだろうと話し合い、和馬さまに全てをお任せすることになったのでございます。
その後、わたくしは夫と共に都へと出てまいりました。なかなか商売がうまくゆかず困っていた時に、正造の新しい奥さんが「主人の同郷なら」と、正造に内緒で助けてくれたのです。正造のことは今でも憎んでおりますが、何も知らない奥さんに罪はなく、また、わたくしどもを助けてくれた恩もあります。今回の事件で動転している奥さんに代わり、わたくしどもがこのお屋敷に伺いましたのは、そういった理由からでございます。
「わたくしが知っておりますのは、ここまででございます。わたくしが村を離れた後のお二人については、何も存じません。けれど、菊花さまのご無事なお姿を拝見できて、本当にようございました。菊花さまのことは、ずっと気掛かりでございましたので」
雪菜はなんと言っていいのか、分からなかった。
母の静養先だった森代という避暑地で、雪菜は菊花と出会った。
その頃、父と兄が討伐隊に参加していたため、雪菜は毎日神社へ出かけては無事を祈っていた。そこに菊花がお参りに来ていて、雪菜が話しかけたのだ。それが、知り合ったきっかけだった。
母は病気で、父と兄は戦に出かけている。
幼い雪菜は不安を抱えながらも、日に日に弱っていく母を安心させるために、いつも元気なふりをしていた。雪菜が泣ける場所は、菊花のところだけだった。
じゃあ、菊花は……?
菊花が泣ける場所ってどこだったんだろう。ずっと独りで耐えていたんだろうか。あんなに辛い目にあったのに……。
「すみませんが、原口さんの遺品を見せてもらえますか」
直也の声で、雪菜はハッとした。いつの間にか泣いていたらしい。頬が濡れていて、言葉がとっさに出てこない。
正弘が荷物を開いている間に、直也の指先が雪菜の頬をぬぐう。
「直也……」
直也は袖を持って、もう一度雪菜の涙を拭いた。
「そうしていらっしゃいますと、昔の菊花さまと広瀬さまを思い出します……」
玲子の目も潤んでいた。
「ですが、未だにお二人がご一緒になられない理由が、何かあるんでしょうねぇ。本当に男女の仲は難しいこと……」
「遺品といっても、こちらへは旅に必要なものしか持ってきておりませんから、こんなものしかありませんが」
正弘が広げた風呂敷には、簡単な日用品と安い脇差が一本あるだけだ。
「脇差に触ってもいいか?」
「どうぞ」
直也が鞘を取り、刃先を眺めている。
「ありがとう。使った跡がないな」
「原口はこういった方面はさっぱりでしたんで、形だけの護身用でしょう」
「そうらしいな。ああ、門まで一緒に行こう。雪菜、悪い。このまま海神へ帰るから」
「えぇっ! さっき、夕飯を一緒に食べるって言ったのに! それに、こんな話を聞いても菊花に何も言わないの? 一言くらい、声をかけてあげないの?」
「ごめん、急用ができた」
「信じらんない!」
近付いたかと思うと、突き放される。その繰り返しじゃない。
「どうしても確かめたいことがあるんだ」
「もう、いい! 直也の好きにしたら?」
それだけ言うと、雪菜は駆け出して坂道をくだる。
「雪菜!」
後ろから直也の声が聞こえた。
だが、雪菜に足を止めるつもりは、これっぽちもなかった。