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春隣  作者: 桜木結実
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第十五話 過去の楔(6)

 その年は、いつもよりはるかに多く雨が降りました。重なる大雨に村人の不安が高まった時、村一番の年寄りでさえ経験したことがないというほどの大嵐がやってきたのです。

 大木をなぎ倒す強い風、膚を破りそうな激しい雨……。

 川の水量は恐ろしい勢いで増大し、災厄をふりまこうと舌なめずりをしているかのようでした。

――やがてこの濁流は村の全てを飲み込んでしまうかもしれない。そうなったら我々はどうなるのだ。

 誰も口にはしませんでしたが、皆が同じ不安を抱えておりました。

 そんな時、雨音の隙間にもぐりこむようにして、鐘の音が鳴り出しました。

 川の決壊を知らせる警鐘でした。

 もう、なにもかもがお終いだ。我々はこの村と共に滅びるしかないのだ……。

 村人達に絶望がかけぬけたその時、村の男たちが集まった寄り合いの小屋の中で、正造がこう言い出したのです。

――これは神の怒りに違いない。神を鎮めなければ、いずれこの村は滅ぼされてしまうだろう。

――では、どうすればいいというのだ。おまえに策でもあるというのか。

――ああ。あるとも。

――なんだと! 早く言ってみろ!

――竜年の無垢な赤子を神に捧げ、怒りを鎮めていただくのだ。幸い、長年この付近を守護してきた神社の赤子は、竜年である。神も喜んでお受け取りくださるだろう。

 それを聞き、ふらりと立ち上がる男が数名いました。

 村人達の精神状態は普通ではありませんでした。いつ雨が止むともしれない孤立した村の中、不安にさいなまれた人間が負の感情に支配されていたのです。 

 希望を失い、正造の言葉にすがる男達が、他の者の制止もきかず神社へと向かいました。

 その時神社には、白峰家の方達と数名の年老いた下男しかおりませんでした。若い男達は防波堤を築く手伝いに出てしまっていたため、押し寄せる男たちを止められる者が誰もいなかったのです。

 男達は立ちはだかる下男をくわで殺し、赤子を抱えて逃げようとするだんなさまと奥さま、それに婿殿までもその手にかけたのです。わたくしは菊花さまと倉の中に入っていたため、難を逃れました。

 外の騒ぎにわたくし達が気付き、倉から飛び出してみると、男達が赤子を手にして走り去るところでした。

 視界も遮るほどの大雨の中、菊花さまは裸足で男達の後を追いました。わたくしも必死に走りました。けれども相手は村の男、複数名。女二人では、あまりに心もとない。わたくしは、全てを諦めかけました。

 その時でございます。村の会合に出ていたわたくしの夫が、事の次第をお館にお伝えし、事件を知った和馬さまが菊花さまのもとに駆けつけてくださったのです。

 和馬さまは菊花さまとわたくしを馬に乗せ、正造等を止めるために供の方達と急がれました。そして崖にいる正造のところにたどり着くと、大声で叱咤なさいました。

 けれど正造は薄笑いを浮かべたまま、嵐の中を立っていました。

 それを見て、やはり正造は白峰家を潰すつもりなのだと、わたくしは確信いたしました。

 正造がこのようなことをしでかす予兆はございました。神社の実務をやってきた正造は、ずっと白峰家の財産を狙っていたのです。確実な手段は菊花さまと結婚することでしたが、温厚なだんなさまも、さすがにそれは許されませんでした。

 奥さまは以前から正造の動きに不信感を抱かれ、実の兄上にもご相談されていたようです。

 その動きを察知した正造は、なんとかして白峰家の実権をのっとろうと画策していたのでしょう。正造はこの災害を、白峰家を葬る最大の機会だと思ったに違いありません。

 それにしても、菊花さまの懇願やわたくしの罵りですら、野望を鼓舞する歌声にでも聞こえていたのでしょうか……。正造は恍惚の表情を浮かべていました。場にそぐわないその不気味さに、全員が凍りつきました。

 しかし……。

「荒ぶる神よ、無垢な幼子を受け取りたまえ!」

 いきなりそう叫んだかと思うと、赤子を乱暴に川へ放り投げたのです。

 菊花さまは泣き叫ぶ赤子に、必死で腕を伸ばされました。和馬さまが押さえていなければ、正造もろとも濁流に身を投げかねない勢いでいらっしゃいました。

 菊花さまの絶叫、男達の怒声……。

 嵐の中ですら容易に聞き取ることのできる罵声が、正造に浴びせられました。しかし、そんなものは正造にとってなんの意味もありません。それどころか、泣き崩れる菊花さまにこう言ったのです。

「何をお嘆きになります。これでお二人の邪魔をする者が全て消えたではありませんか。むしろ私に感謝してほしいくらいですな」

 供の者が止めなければ、和馬さまは正造を斬り殺していたでしょう。

 和馬さまは放心状態の菊花さまを、お館に連れて帰られました。

 おそらく、このまま和馬さまとご一緒になるだろう。

 わたくしも村人も、そう思いました。

 正造の言葉は、今思い出しても腹がたちます。ですが、家族を失った菊花さまにとって、それが最良の選択であることは確かです。わたくしはそのつもりで、白峰家の整理を始めました。

 実際、白峰家のお葬式は和馬さまが出されたようなものでした。村人たちも、お二人の今後については、もう決定したものと思うようになったのです。 


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