第十二話 過去の楔(3)
あーあ。なんだか昨日から、なんにもやる気が起きないなぁ。
雪菜はため息をつきながら東屋で仰向けになり、足を上に伸ばしたり、下に向けたりしていた。
静かで小さな空間が、とても心地いい。外国風の建物も、雪菜がここを気に入っている理由のひとつだ。
こんな格好しているところを菊花に見られたら、行儀が悪いって怒られちゃうな。そういえば、そろそろ帰ってくる頃じゃない? おやつはなにかなぁ。
「ゆ……雪菜……」
あれ?
聞き覚えのある男の声が戸口から聞こえる。見ると、直也が真っ赤になりながら立っていた。
「どうしたの、直也。海神に行ってるんじゃなかったの?」
「い、いいから、足、降ろせ」
珍しく直也がどもっている。
「ん。わかった」
「し、失礼した。今のことは誰にも話さないでほしい」
「いやいや、いいもん見させてもらいました」
「正弘!」
直也に隠れて見えなかったが、戸口の外で男女の声がした。
「誰かいるの? 直也、海神は?」
「小早川殿に用事があって戻ってきたんだ。雪菜のところに寄ったら、北庭の東屋にいるって言われて、探していた。一緒に夕飯を食べてから戻ろうと思って。あ、藤枝さん、ここです。こっちの東屋でした」
「珍しい、直也がそんなことを言うなんて!」
雪菜は飛び起きて、直也にまとわりつく。
「ねえねえ、直也はなにが食べたい? それとも、今日はあたしがなにかつくろっか? 直也はあたしのつくった料理を食べたことないでしょ? あ、菊花、寒いのに探させちゃって、ごめんね」
雪菜が戸口の外をのぞくと、菊花が立ちつくしていた。視線は、さっき直也と一緒に来た女に注がれている。
「菊花お嬢さま……」
女はかすれた声で、そう呼んだ。
それを聞くと菊花は二、三歩後ずさり、背を向けて走り出す。
「菊花、どうしたの! 直也、この人達、だれ?」
「この前亡くなった原口さんの家の人に頼まれて、遺品を取りに来たと言っていた。広くて帰り道が分からないと言うから、見覚えのあるところまで一緒に行こうと思っているんだが」
――原口って、あの?
「すみません、今の方は白峰菊花さまでしょうか」
「ううん。藤枝菊花だよ」
「藤枝? 広瀬ではなくて? では、広瀬さまとはご結婚されていらっしゃらないのかしら……」
え……?
今、広瀬って……。
「彼女は独身です。それより広瀬とは、広瀬和馬のことですか? 笠原村の領主をしていた」
「ええ、そうです。広瀬さまもこちらのお屋敷にいらっしゃるのですか? 広瀬さまは、他の方とご結婚されていらっしゃるのですか?」
「いえ、広瀬さんも独身ですが」
「じゃあ、何故お二人は一緒にならないんでしょう……」
「ねえ。ちょっとその話を、中で聞かせてくれない?」
雪菜がそう言うと、女は男と目を合わせたが、すぐに頷いた。
「わたくしは三田玲子と申します。こちらは三田正弘、わたくしの夫でございます。わたくしは白峰家で、幼い頃から働いておりました」
「菊花は白峰って名前だったの?」
「はい。付近の信仰を昔から集めていた、由緒ある大きな神社の一人娘でいらっしゃいます。あの近辺の中心は笠原村でしたので、ご一家は何代も前からそこに住まわれ、村の総代もなさっていました」
「どうして菊花は逃げ出したのか、知っている?」
「さあ。わたくしにも理由が思い当たりません。でも、もしかしたら、笠原村のことを思い出されたくないのかも……」
「思い出したくないほどのことが、笠原村であったんですか?」
直也の質問に、玲子は肩をびくつかせた。
「そう……ですね。菊花さまにとって、とても辛いことがありました」
「辛いことって?」
雪菜の問いかけに、玲子はしばらくの間床に視線をさまよわせていた。
直也は黙っている。雪菜も玲子を急かさない。
そんな様子に安心したのだろう。
「あれはもう、十一年も前のことになります……」
しまいこんだ昔日を探しながら形にする。そんな目をしながら、玲子はゆっくりと話し始めた。