第十一話 過去の楔(2)
吉住が街を歩いていると、菊花が和菓子店の前にいた。暖簾をくぐり、店内へ入っていく。この店は雪菜が好きな菓子を何種類もおいてあるので、菊花がよく買いにくると聞いてはいたが、ここで会うのは初めてだった。
「藤枝さん」
店に入り声をかけると、菊花が驚いた顔をする。
「渡部さま。お菓子屋さんでお会いするなんて」
「藤枝さんが入っていくのを見かけたからですよ。雪菜さまのおやつですか?」
「ええ。雪菜さまも来たがっていらしたのですが、ここに来ると、あれもこれもと欲しがられるので、今回はお留守番です」
「雪菜さまは、何でも買えるご身分ですからね」
「でもお小遣いの額は、そんなに多くはないんですよ。貴船さまが厳しく監視していらっしゃるし」
「それは大変そうだ。ところで、藤枝さんは何が好きです?」
「今の季節なら、あれかしら」
菊花が指さしたのは、芋を甘く練りこんで、冷やして固めたあと蜂蜜をつけて焼いた菓子だった。
「じゃあ、それを十個包んでくれ」
吉住が店員に告げる。
「渡部さま?」
「雪菜さまには内緒ですよ。これ以上甘いものを召しあがるのは、お体によくない。侍女達で食べてください。十個で足りるかな?」
「ありがとうございます。雪菜さま付きの者で分けますから、十分です」
「今度は俺が持ち帰れる時に、沢山買っていきますよ。その代わりといってはなんですが、時間があるなら、ちょっとお茶でも付き合ってください。次の約束まで、一時間ほどあるんです」
「はい。喜んで」
菊花が注文した菓子を吉住が受け取り、店を出る。三分ほど歩くと、きつい視線を感じた。気配を探ると、和馬が武具店の軒先に立ち、こちらを見ている。
背の高い吉住が大通側を歩いているせいだろうか。菊花は和馬に全く気付いていない。吉住は何も気付かないふりをして、菊花と談笑した。
「落ち着いていて、いいお店ですね。」
「やっぱり女性は、こういう店が好きですか?」
「ええ。食器もすごく可愛いい。渡部さまは、色々なお店をご存知ですね」
「商人は、こういう店にも詳しくてね。彼等に教えてもらうんですよ。ここに入った時は、藤枝さんを連れてきたら喜ぶだろうと思っていました。ところで、まだ顔色が良くありませんね」
「そうですか?」
「ええ。元気もありませんよ」
「まだよく眠れないからだと思います。だけど、大丈夫です」
「大丈夫、ですか……」
「渡部さま?」
「俺の母も、よく大丈夫と言っていました」
「お母さまが?」
「俺の母は地方の豪族の娘でね。父は下級貴族でした。母が御所に勤めていて、知り合ったようです」
菊花の手の動きが止まっている。吉住がこんな話をするのは初めてなので、驚いているのだろう。しかし吉住は、かまわずに話を続けた。
「身分違いの結婚でね。母はずいぶんと苦労したそうです。結局、俺が十歳の時に両親は離婚し、母は実家に戻りました。裕福な家だったので生活には不自由しませんでしたが、やはり肩身が狭かったのでしょう。よく大丈夫、大丈夫と言っていました。あれは俺にではなく、自分にいいきかせていたんでしょうね」
「渡部さま……」
「だから俺は、女性の大丈夫が心配なんですよ。藤枝さんも、無理をしないでください。辛ければ、いつでも俺を頼って欲しい。そう思っています」
「ありがとう……ございます」
「っと、そろそろ時間だ。誘っておきながら慌しくて、申し訳ない」
「いいえ。渡部さまの意外なお話も聞けましたから」
吉住は勘定を済まし、菊花と外に出た。
「荷物が重いから、本当は屋敷まで送りたかったんですが」
「お心遣い、ありがとうございます。ねえ、渡部さま……」
「なんですか?」
「お仕事にやりがいを感じていらっしゃいますか? 充実されていらっしゃいますか?」
「充実はしていますよ。登り進む橘の家臣ですからね」
「そうですよね……。あ、ごめんなさい。お約束があるのに。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。よかったら、またつきあってください」
「はい」
菊花は手を振って帰り道についた。菊花のその姿が、とても可愛らしい。
吉住も小さく手を振りかえした。
だが、道を歩くうちに、吉住の雰囲気が変わり始める。
あらゆるもの全ての隙を狙うかのような目付きになり、口元が引き締まり、そして戦いを挑む顔付きへと変貌する。
その表情のまま吉住は路地裏へと入り、細い道を歩き続け、生垣に囲まれた小さな家の前で止まった。人目がないことを確認すると、吉住は玄関を開ける。
昼だというのに、家の中は薄暗い。その家は、雑踏から切り離された空間に存在していた。
「魚沼さま。ご足労をおかけしまして、申し訳ございません」
吉住は恭しく頭を下げて、挨拶をした。相手は豪奢な衣裳を身につけた、上流貴族の男だった――。