罪と罰4
ちょっとだけ成長した主人公
「貴様が、私に教えるだと。先ほどから何度か口にしているが、出来ると思っているのか」
それは、怒号。その言葉だけで大気を揺るがし、その場にいる者たちの心に衝撃を与えるもの。
「ああ、だが、その前に紹介しておいてやる、ローーーーーーーック」
それでも、一歩たりとも揺るぐことなく、叫んだユヅル。それに応じるは獣の咆哮。次に襲い来るのは、大地を揺るがす衝撃。それもそのはず、彼の右隣には、三メートルを超える巨躯、長く強靭な牙と爪、優雅さと苛烈さを内包する白い体毛。白く巨大な虎が、己の存在を誇るように、彼と並び立つように鎮座していた。
「随分と長い間、俺様を封じてたと思えば、今度はいきなりこんな大勢の前に呼び出すなんて、一体全体、どういうつもりだ、兄弟?」
その巨大な白虎が言葉を口にしたとなれば、人の思考をかき乱すには十分すぎる。
「こいつの名前はロック、俺の正真正銘、もうひとつの魂」
「おいおい兄弟、それじゃ俺様に対する説明をしてねぇぞ?」
「うるせぇよ、馬鹿虎。久しぶりに呼び出してやったんだから、軽口を閉じてろ。第一、説明なんざしなくても、状況ぐらい理解できるだろ?」
「あん? しばらく会わない間に生意気な口を聞くようになったじゃねぇか」
そんなロックと口喧嘩をし始めるユヅル。周囲の人間は、一人残らず事態の急展開について行けていない。
「ふっ、そんな下等生物を見せつけて私がたじろぐとでも?」
「下等生物だぁ? 上等な口きくじゃねぇか、小娘」
呆れている教皇の挑発にいとも簡単に乗り、一歩前に出ようとするロック。それを右手で制し、
「場所を移すぞ」
左手の指をユヅルが軽く鳴らした瞬間、周囲にいたはずの人間が全て視界から消える。
「派手にやりたいからな、ギャラリーに被害が及ばないように次元をズラさせてもらった」
「なら、なんで俺様を呼ぶ前にそれをしておかなかった?」
「順序の問題だ。あと、少しの間静かにしておけ。これから少しだけ、目の前の愚人に、実感させることがある」
彼が行なったのは、次元干渉と呼ばれる高位魔術であり、以前、ドイツで敵対した執行官ですら単独で、しかも簡単に行使することはできない大掛かりなもの。
「私を愚人とは、随分と思い切った口を聞く」
「自覚していないバカは、これだから本当に手に負えない」
教皇の挑発を軽く受け流し、いつもの調子でタバコに火をつけたユヅルは、
「お前に一つ問う。完全とは何か?」
「ふっ、私のことだ」
「馬鹿につける薬がないとは、まさにこのことだな」
一瞬で肉薄し、教皇の喉に右のつま先を叩き込む。当然、彼女はそれに反応することができたが、敢えてその攻撃を受けて、ダメージを反射する。だが、結果は先ほどまでと違い、彼は不敵な笑みを浮かべ、苦痛の表情を浮かべていない。
「戦女神の反射鏡。確かに、防御機能は優秀だよ。だが、所詮は鏡。反射する対象が複数の場合、ダメージは方向性を見失い、霧散する。そりゃそうだよな、そいつは、同じ魂が複数存在することを前提として作られちゃいない」
彼が口にするのは、前提が完全に破綻した理論。ただ、この場においては正論と言える。そもそも、同一の魂は存在しないと定義されている。故に、彼女の持つ聖遺物も、そういった可能性を考慮して作られていない。ならば、定義されていないだけで、同一の魂が存在した場合はどうなるのか。その結果は、ユヅルが口にしたとおり。
「これで、完璧だったお前は、欠落したな?」
楽しげに、相手をいたぶるように、心を土足で踏みにじる彼の言葉。
「だが、まだまだだよな」
自身に起きている変化。発動しているにもかかわらず、機能しない聖遺物。教皇の頭の中はパニックを起こす一歩手前。
「完全って言うなら、そいつは感情に支配されない。そもそも、感情をもっちゃいないはずだ。なのに、あんたは、何かを求める。これは、欠落している証明じゃないのか?」
精神を揺さぶられた彼女は彼の攻撃に反応できない。それを見越したうえで、先ほど、幻術の中で披露し、オリジナルには遠く及ばないと彼女が評価した技を繰り出す。死角から彼女の体を蹴り上げ、己もそれに合わせて跳躍。続けて間髪いれずに人中、喉、鳩尾、股間、の順に容赦なく拳や蹴りを、体を回転させ、遠心力で威力を高めながら叩き込み、止めに後頭部に踵を叩き込み、地面へと撃ち込む。
「防御兵装だけで、攻撃兵装を持たない。これは果たして、完全と言えるのか?」
顔面から地面に叩きつけられ、ダメージを反射することもできない。攻撃のダメージを初めて自分自身に与えられた彼女の髪をつかみ、力任せに起き上がらせ、
「さっき、俺は言ったはずだ。完全とは、求めるものであって、体現するべきものではないと。作り手が不完全なのに、それを使えるというだけで、完全になれるとでも思っていたのか、あんたは?」
そのまま、髪を握り締めたままの状態で、彼女を壁へと投げつける。その衝撃は筆舌つくしがたく、何枚ものコンクリート、鉄でできた壁を変形、貫通してようやく止まる。
「完全、完璧。言葉としては美しいかもしれないが、それこそが失敗だ。人間ってやつは、どこまでいっても不完全で、未完成だ。だからこそ、完成されたものを、超えていく力を持ってる」
タバコを捨て、倒れ込んでいる教皇へと歩み寄るユヅル。
ここまで圧倒的な戦力差を、誰一人として、彼以外考えてはいなかった。なにせ、ダメージを反射するという防御兵装を持つ彼女を傷つけられる人間は、今まで存在していなかった。だからこそ、彼女は自身を完璧だと錯覚し、攻撃兵装をもつことなく、攻撃のすべもほとんど持たず、攻撃は自身の部下に任せていた。実戦経験の差ではない。それ以前の問題として、彼女は窮地に陥ったことがない。挫折したことがない。屈辱を味わったことがない。その為、彼女には、立ち上がる意思というものが、決定的にかけていた。
「ふざけるな、なぜ、なぜ貴様のようなものが、私を見下ろす。哀れむ。それは、教皇である、私だけの、私だけに許された特権だ」
彼女を支えているのは虚栄心に支えられたプライド。それで、肉体の限界を超えたダメージの蓄積量を無視して、立ち上がるというのだから、彼女の教皇という立場への執着心は、むしろ執念に近いかもしれない。
「俺は、あんたのおかげで、戦場っていうこの世界の地獄に叩き落とされてから、人生をスタートしてる。でも、誰からも愛されなかったあんたよりは、よっぽどましな人生を送れてる」
彼女の殺意と敵意に満ちた視線を真っ向から受けながら、彼は静かに言葉を紡ぐ。
「あんたが、誰からも愛されないのは、誰かを愛したことがないから。誰かに救ってもらえないのは、誰も救ったことがないから。誰もそばにいないのは、誰も必要としなかったから」
「黙れっ、貴様に、貴様に私の何がわかる」
「わかんねぇよ、被害者ぶってるわがままなガキのまま、大人になったヒステリーの気持ちなんざ。理解したいとも思わねぇよ」
ユヅルは、彼女の言葉を受け止め、そして否定する。今まで、かしずく者がいて、跪くものがいて、敵対者は葬り去ってきた彼女にしてみれば、それは初めての感覚。
「ありがとう、ごめんなさい。この言葉を口にできることは、幸せなことだ。自分の心を相手に伝えられるんだから。だが、あんたは、そんな小さな言葉すら、気にもとめなかったんだろうな」
右拳を彼女の腹部に深々と叩き込み、上空へと跳ね上げ、彼は口にする。
「ロック、アレ、やるぞ」
「まってたぞ、兄弟」
言葉とともに駆け出したロックは、その体を光へと変え、二つに分裂。片方は上空ヘ向い、教皇を、かつての救世主のように光で作り上げられた十字架に磔にして固定。もう片方は、ユヅルの右腕へと向かい、虎の頭部を模した白く光り輝く手甲を形成する。
「さっきの続き、完全であった神は、神話でなんども未完成であるはずの人間に討たれている。歴史が、御伽噺が、証明してるんだよ。完成ってやつは、超えるために存在するものだってな」
叩きつけるように地面へと左足を踏み出し、
「白帝迅雷――――――」
その右腕の手甲に、自身の魂の力だけでなく、今まで生きてきた思い、これから背負っていく思い、失った悲しみを込め、己の抱える闇を、明日へと繋がる光へと変え、
「――――――――虎王爆進撃」
己の魂の形、最も信頼し、常に隣にいた存在、巨大な白虎の形として放った。
「あばよ、そうなってたかもしれない、俺の可能性。夢見が悪くなりそうだから、二度と、俺の記憶にも顔出すな」
もしかしたら、そうなってしまっていたかもしれないと思うのは、
彼も思うところがあったから