罪と罰2
さぁ、はじめよう
彼の攻撃は、そのまま自身も飛び上がり、右拳で顔面を捉え、その勢いを殺すことなく利用して、自身の体を回転。そのまま左足に力を込め、遠心力を加えた踵を教皇の後頭部へと叩き込む。地面へと叩きつけた衝撃で砂埃が舞い、彼はその場所から少し距離をとって着地。
「立てよ、このぐらいで気絶するはずないだろ」
「ふっ、憎しみで刃を握ると口にした割に、冷静だな」
軽く手を振っただけで、砂埃が消し飛び、そこから無傷の状態で教皇が姿を現す。
「今の攻撃、なかなかのものだ。及第点ぐらいはやろう」
「鴉翔連撃、局長の得意としていた技だ」
「ほう、アレグリオの。だが、オリジナルには、遠く及ばないようだな」
彼女の言葉は事実、的を射ている。この技は、空中にいる間に、鼻の下の急所、人中、喉、鳩尾、股間、計四箇所に攻撃を加え、最後に止めとして、踵を相手の後頭部に叩きつけて終わる。そして、ユヅルが模倣できたのは、最初と最後だけ。
「そして、中途半端に攻めるから、命を奪えない。まぁ、貴様としては、僥倖だったな」
その言葉とほぼ同時、ユヅルは腹部に重い衝撃を感じ、口から胃の中身を盛大に外へとぶちまける。それだけではなく、そこには大量の血液も混じっている。
「貴様だけが、特別な力を持っているとは思わないことだ。そして、貴様の力は、完全である私よりも劣っている」
「戦女神の反射鏡」
「ふむ、知識だけはあるようだな。なら、これを前にして、どのような攻撃も無意味であることも知っているな?」
勝ち誇るように、教皇は口にする。
戦女神の反射鏡。
代々、教皇が受け継ぐ聖遺物の一つであり、他の聖遺物と違い、常に携帯が許されている。その能力は、反射。斬撃、打撃、物理的な質量を持つ攻撃、エネルギーとして実体を持たない攻撃であっても、使用者に向けられたものであれば、問答無用で反射する。究極の防御兵装。
「お前は、無意味って言葉の意味を理解していないみたいだな」
「ほうっ、聞いてやろう」
余裕を隠すこともしない彼女に対し、口元に残った血を乱暴に腕で拭い、彼は短く口にする。
「数秘術、癒しの三」
「時間逆行、いや、修正回復の類か」
そして、彼の体は白煙を上げながら、損傷した箇所の修復が開始されている。
「こいつは、クローデルが得意としていた数秘術の一つ。さっきの技、本来の攻撃は上空へ蹴り上げる一撃、空中での四撃、そしてトドメの一撃。計六回の攻撃。それだと、こいつは発動しないから、わざと手を抜いた」
口に残った異物を血液と共に吐き出し、
「第一、あんたは誤解している。憎しみで刃を握るといっても、感情任せに突っ込んでいくのは、バカのすることだ。二つ目、俺は、あんたを楽に死なせてやるつもりはない」
軽く左手の指を鳴らす。
すると、二人は、最初に対面した位置から動いておらず、無残に殺された第八階梯も、全員が首を跳ね飛ばされ、息絶えており、拷問めいた行いをされた形跡が見当たらない。
「エカテリーナの十八番、幻術。俺は、アンタらに声をかける前に、翼を軽く動かした。その瞬間から、この場にいた全員、俺の幻術空間に囚われていただけだ」
「あの一瞬で、だと」
「時間経過を確認してみろ。あれから、一分も経過しちゃいない。ついでに言えば、こいつら全員の首を飛ばしたのは、イジーの拡大とマリーの波形、二人の能力の複合技」
これみよがしに彼は懐から取り出した懐中時計の蓋を開く。当然のように視界に飛び込んでくるのは時計の長針と短針。それが、戦闘が開始されてから微動だにしていない。
「さぁ、準備運動も、すんだことだし。あの人たちの人生も、有効性が示せた。なら、ここからは、我慢しなくってもいいんだよな?」
それは、誰に問いかけた言葉だったのか。
彼は口の両端を釣り上げ、彼女へと肉薄する。しかし、彼女への攻撃の無意味さを彼は、先ほどの幻術によって、情報として引き出している。ならば、それを打ち破る方法を実行するはず。そう、彼女は考えていたのだが、次の瞬間突き出されたのは、なんの工夫もない体重を乗せた右拳。不意を疲れた彼女は、拳を顔面に受け、体制を崩すものの、それ以外にダメージはない。むしろ、ダメージを受けたとしても、それを反射してしまえばいいのだから。そのことを、彼も重々理解していると彼女は思っていた。先ほど、幻術をかけ、相手の出方を見ていた冷静さを持つ人間であれば、そのような蛮行に走ることはないと、彼女自身決めつけていた。そして、当然のように彼女はユヅルへとダメージを反射。そのダメージで彼の鼻は折れ曲がり、血を撒き散らすものの、彼の勢いを削ぐには至らない。彼は、ダメージの反射で自分がダメージを受けることを度外視して攻撃を仕掛けている。
右の拳が彼女の肩を捉え、粉砕。そのダメージが反射され、彼の右肩が粉砕される。それでも、右拳が使えないならと、左の拳が肋骨を粉砕して、敗に突き刺さる。そのダメージも反射され、口から血液を大量に吐き出しながらも、彼の攻撃は止まることを知らない。自身の攻撃が、全て、自分の体を破壊しているというのにも関わらず、彼は顔に笑みを貼り付けていた。
「貴様、正気か?」
ユヅルから距離を取り、ほとんど立っているのがやっとの状態の彼に疑問をぶつける。この時、彼女は自分から攻撃を一度も繰り出していない。攻撃をすれば、それこそが彼の策に嵌るという疑心暗鬼に駆られてしまっている。
「正気、正気って言ったか? あいにく、そんなつまらないものを戦いに持ち込むような、酔狂な人間じゃねぇよ、俺は」
ユヅルは笑っている。
額が割れ、顔の右半分が血液に染まり、視界は通常の半分。右肩は砕け、肘から先はかろうじて繋がっている状態。左の拳は砕け、内部の損傷に至っては、既に致命傷というレベルを超えてしまっているかもしれない。かろうじて立っているだけの重病人。風が吹けば倒れてしまいそうなほど、彼は自分自身を痛め続けていた。
「俺は傲慢なんだよ」
不意に口に出した彼の言葉。完全に彼は隙だらけであり、攻撃を加えるなら、絶好の好機だというのに、彼女は動けない。
「あの人たちが死んだのが、自分の責任って思い込むぐらいに。だから、恨み言の一つでも聞いてやるかわりに、痛みぐらいは同じぐらい、味わってやらないと、苦しみを理解するなんて、上から目線なセリフ、口に出来ねぇだろ」
言葉を口にする度、言葉とともに、血液が地面へと落ち、今では小さな水たまりを形作っている。彼は、死んでいった者たちが、自分のせいで死んだと思い込んでいる。その思いすら、傲慢であると、彼自身理解もしている。それでも、自分の攻撃が自身を痛めつけ、与えたダメージが反射されようとも、彼は攻撃の手を緩めなかった。自責の念でも、後悔でもない。ただ、どれほど愚かな行いだと馬鹿にされたとしても、死者の受けた苦しみを、痛みを、少しでも共有したいと願っただけのこと。
「俺は、あの人たちの、殺していった人たちの、奪っていった人たちの、人生を背負って生きる。それが、俺の人生だ。誰かの過去を背負うこともできず、目をそらすだけのあんたが、俺の明日を奪えるなんて思うんじゃねぇよ」
さぁ、逆転しよう