第二十八話 罪と罰1
相容れない姉弟の対決
『終わりを呼ぶ声は近く、遠く、始まりを告げる鐘は未だ鳴ることはない』
彼の足元に、言葉とともに複雑に描かれた紋様と文字が、円を描きながら回転し始める。
『嘆きの天使はラッパを鳴らし、哀れな悪魔は涙を流す』
紅い涙を拭いながら、彼は続ける。
『砕けた男には静寂を、壊れた女には安息を、愚者には滅びを、聖者には弔いを』
生まれた記憶、両親の顔すら知らない彼が、ずっと、覚えていた言葉。
『我は奪う者、壊す者、砕く者、我は茨の冠を戴き、ただただ、血と骸で彩られた道を進む」
足元の円の回転は徐々に早まり、
『そこに続くものはおらず、一人、導べとなって、我は朽ち果てる』
光が、世界の色を全て喰らい尽くした。
「随分と、悠長に構えてるんだな、あんた。自分を殺そうとしている相手が、準備している間に手を出さないなんて」
「ふっ、小虫が何をしようと、私にたどり着くことなんてない」
「そうか、そうだよな。それだからこそあんたで、俺は遠慮なく、殺意を向けることができる」
光が収まり、現れたのは、神滅兵装を発動させ、白い法衣に身を包んだユヅル。その言霊を唱える彼の姿を、教皇は楽しげに見つめていただけ。
「リクエストを聞いておこうか、苦しんで死ぬのと、潔く死ぬ。どっちがいい?」
「小虫が、図に乗るなっ」
そう、憤りと共に口にした彼女が右手を上げれば、黒の法衣を身に纏ったものたちが数人、音もなく姿を現す。
「第八階梯」
「そう、貴様が以前、私に対して挑発した、私の武力だ。さきほどの、哀れな女も、私に届くことなく、こいつらに阻まれた。わかるか、貴様の力を奪って、強化されていたはずのあの女でさえも、私には届かなかった」
単純に考えれば、彼の力の大半を手にし、強化されたアンネが、手に負えなかった相手に、彼が勝てるどうりはない。
「見栄を張るのはいいが、どうしてこいつらは俺に攻撃を仕掛けてこない?」
「ふっ、私に、貴様ごときのスキをつけというのか?」
「なるほど、あんたが号令を下すまで、こいつらは動かない、っと。随分と躾のいい犬だな。感心するよ」
それでも、彼に焦った様子は微塵もない。
「ただ、躾がよすぎるのも、問題だよな」
「完璧なものに良いも悪いもありはしない」
「そこだよ、問題は。試しに、俺を誰でもいいから、攻撃させてみろよ。どうせ、誰一人として、俺には届かないし、触れられない」
「ならば、その傲慢さ、死を持って悔いるがいい」
彼女の言葉と同時に振り下ろされてる右手。それが攻撃の相図として間違いない。ただ、その場にいるものは、彼女の命令に背くように、誰一人動こうとはしない。
「何を、何をしている、貴様ら」
「動こうとはしているんだろうな、ただ、動けないだけだ」
その言葉を、教皇は事実通りに受け止めることができない。しかし、相手が動くことを待つほど、ユヅルはお人好しでも泣ければ、愚鈍でもない。それに、彼は今、憎しみを刃として戦っている。彼の背後、銀色に輝く翼が、一瞬だけ動いた時、それは起きる。
「最初は、お前だ」
彼は目の前にいる人物に対して指を指し、
「クローデル・ハイドマン。彼女は、両手両足を潰されたあと、両目を潰され、喉を潰され、その後、首を落とされた。再現、してやるよ」
彼は動いていない。だが、彼の言葉通り、目の前の人物は、一瞬で両手両足があらぬ方向へとねじ曲がり、地面へと体を預ける。そして、続けるように鈍い音が響き、四肢が関節を起点に粉砕されていく。だが、その喉から声が響くことはない。続けて、両目が潰され、喉が潰され、のたうちまわった後、首が体から分離していた。
「次に、エカテリーナ・フォルダン。彼女は、内蔵を一つずつ抜き取られ、それを目の前でひとつずつ焼き捨てられて、ショック死。酷いことをする。ホラー映画でも、このレベルの演出は敬遠されるぞ」
そんなことを口にしながら、彼はまた一人の人物を指さす。
そうなれば、先ほどの言葉の再現が待っている。最初に姿を現したのは、胃。それが、目の前で見えざる手によってえぐり出され、ゆっくりと鑑賞できるように目線まで上昇し、焼け落ちる。続けて、腎臓、肝臓、肺、膵臓、次々と臓器が強引に摘出され、同じように焼け落ちていく。その激痛、精神的ダメージを与えられながらも、倒れることすら許しはしない。
「続けて、イスカリオテ・シャムシールにマリーシャ・シャムシール。二人は四肢の腱を切られた後、強姦され、精神を破壊した後、首を切り落とした。ああ、人間を壊すには、最も適した方法だ。惚れ惚れするよ」
同じように彼は二人の人物を指さし、
「好きにしていいぞ、ただ、決して殺せといわれてもころすな。お前らが飽きて、いらなくなったら、殺していい」
あっという間に、二人の人物、女性は悪魔たちに取り囲まれ、衣服を剥がされ、腕を食われ、足を砕かれ、悲鳴を上げ、嬌声を上げ、少し経てば、声すらあげなくなる。
「なぁ、あんたの自慢の武力ってやつはこの程度なのか? こんなんじゃ、俺が満足するよりも早く、あんたら全員が死んで終わり。つまらない幕引きになる。まぁ、そんなことは、俺がさせないけどな」
そこにあるのは、紅蓮に燃える怒りではなく、静謐でありながら、全てを否定する冷たい怒り。
「何をしている、貴様らは。とっとと、こいつを血祭りに上げろ」
「人任せにしておいて、自分が完璧だとか、笑い話にすらなりゃしない」
ヒステリックな声を上げる教皇に対し、彼女に彼は近づくことすらせず、
「完璧ってやつは求めるものであって、体現するべきものじゃない。人間ってやつは、誰一人として、完璧にはなれない。なれたとすれば、それは死んだ時だけ。完璧ってやつは、停止だ。それ以上にはなれない諦め。そんなことも知らないんだろ、あんたは」
先ほどとは打って変わり、教皇のように、虫でも見つめるように、道端の石ころを見るような視線を彼女に対して向ける。
「あんたは、完璧なんだろ? なら、一人でしかない。そんなやつが、あの人たちの生き様を笑うなんざ、俺が許さない」
吹き出したのは、言葉とともに乗せられた激情。それと同時に、六枚の翼が羽ばたき、設立以来、誰一人破壊することの出来なかった教皇の間を、いとも簡単に更地へと変化させる。
「俺が許せないって言うなら、思うなら、自分でかかってこい」
「ふっ、図に乗るなよ、小虫。そして、吐いた唾は飲みこんぞ」
「うるせぇよ。お前はいつだって独りだ。どうせ、完璧だから、他者なんて必要ないんだろ?」
「それがどうした」
「俺は、一人だけど、孤独じゃない。背中を押してくれる奴がいる。帰りを待ってくれてる奴がいる。泣いてくれる奴がいる。怒ってくれる奴がいる。命すら投げ出す奴もいる。テメェと違って、俺はいつだって一人で戦っていない。いつだって、誰かの言葉に支えられて、いろんなやつの思いを背負って足を踏み出してる」
「一人で立てぬ、弱者の戯言でしかない」
その言葉を彼女が口にした瞬間、彼女の体が宙に舞う。原因は、急速に接近し、彼の右足に顎を真下から蹴り上げられたため。
「俺の一撃は、重いぞ。いろんなやつの思いや、願いが詰まってるからな。テメェが勘違いしてるなら、テメェの背負うべき罪、贖うべき罰を、その体に叩き込んでやる」
次回、マジギレ主人公が暴れます