第二十六話 白く冷たき帝1
おとなしく待っているほど、人間出来てません
「やりづらいったらありゃしないわ、本当」
「ですから、先ほどから、手を貸しましょうかと、提案しているのですが?」
地下でアンジェリカと対峙しているクレハは、戦況の硬直状態をどうにかして打破したいところだったが、流石に彼女も、突然現れたメイドを信用することは出来ず、手詰まり状態になっていた。
「ふむ、まだまだですね」
対するアンジェリカは余裕の笑みを浮かべている。それもこれも、武器の相性という問題のせい。彼女の持つ武器はハルバート。斧と槍の複合武器であり、地下という閉鎖された空間で、使うにはあまり使い勝手の良いものではない。だが、それでも剣道三倍段という言葉があるように、刀を持つ相手に素手で挑むには、三倍の段数が必要と言われている。そして、それは、間合いの勝る相手に対して、ほとんどの場合が当てはまる。そもそも、この地下は、ほとんど使用されていない避難経路のようなもの。縦にスペースはあっても、横のスペースはそこまでない。つまり、両者共薙ぐという攻撃方法が、封印されているのに近い。そうなれば残る攻撃方法は斬ること、突くことの二つに限られ、
「もう、いい加減飽きてきましたよ、壬生クレハ」
勝ち誇るような彼女の言葉に耐えながら、クレハは後方に下がって突きを回避。そして再び、間合いを詰める行動をしなくてはならない。
攻撃には主に、面、線、点の三種が存在すると言われている。
面は、威力は大きいものの避けられ易い。
線は、威力、速度共に兼ね備えているものの、決定打にかける。
点は、威力こそ小さいものの、避けられづらい。
アンジェリカとクレハの戦いは、点と線の戦いであり、間合いという絶対的な距離を攻略できていない、クレハはすでにジリ貧の状態。
「やはり、私がお相手しましょう」
「ほう、従者風情が、面白いことを口にしますね」
クレハの前に出ると同時に、言葉を口にしたアカネに対し、アンジェリカは口の端を釣り上げる。
「そうですね、たかだが、従者風情です。ですが―――」
その言葉を途中に、アカネは力任せに左の拳を壁に対してた叩きつけ、その拳は、周囲にひびすら入れることなく、穴を穿った。それを見て、クレハは、息をのむ。彼女が今やった行動は、ひとえに、その拳が同じ大きさのライフル弾と同等の威力を持っていることの証明にほかならなかったから。
「自己紹介をさせていただきます、第八階梯。我が名は、織星アカネ。かつては、星の皇のもとに集いし、十二の使徒の第五位。今は、主人であるユヅル様に、ご主人様に使える一介の従者です」
和やかな笑みを浮かべてはいるものの、彼女の自己紹介は、アンジェリカとクレハ、両者に対して少なからず衝撃を与え、
「まだ、終わってなかったのか」
そのつぶやきは、その場にいる全員の視線を釘付けにする。
―嘘、でしょ?―
その場に現れたのは、ユヅル。彼女自身、彼がおとなしくしているとは欠片も思っていなかったが、それにしては、この場所に来ることが早すぎる。先ほどの放送にしてもそう。あらかじめ、この事態を想定していたかのように、迷いなく迅速に動いている。だが、何よりも彼女が驚いたのは、彼自身の雰囲気。そう、それは、彼女が初めて彼に会った時の、世界中の全てを、どうでもいいと、絶望と諦め、そして何より見たものの心を、どうしようもないほどの畏怖に引きずり込む。最悪と災厄を掛け合せれば、そうなり得るかもしれないもの。それが、復元されている。
「アンジェリカ・プロイツェル。間違いないな?」
「無論だ、化け物」
そんな彼女のことを気に求めず、ユヅルはタバコの煙を燻らせながら、アンジェリカへと一歩ずつ近づいていく。そうすれば、当然のように待ち構えているのは、ハルバートによる刺突。その攻撃を掻い潜ることがいかに難しいか、それを理解しているクレハからしれみれば、彼の行動は愚行以外のなにものでもない。
「鈍いな、それで、攻撃のつもりか?」
その言葉は、今までの時間の常識をいとも簡単にぶち壊した。
彼女のハルバートの先端、槍の部分は確かにユヅルの喉元へと吸い込まれるように打ち込まれている。ただ、それが、柄の部分を掴まれ、それ以上進むことができないとなれば、別。彼女の獲物は、彼に左手一本で掴まれ、引くことも押すこともできなくなってしまっている。
「アカネ、俺はこれから、もう一人の馬鹿の顔を見てから、教皇の間に行く。道中、俺が解き放った囚人共が暴れているだろうから、多少、気をつけて追いついてこい」
「かしこまりました、ご主人様」
振り返ることもせず、背中越しに口にした彼に対して、頭を垂れる。
「さて、一つ問う。死に方に、リクエストはあるか?」
アンジェリカの獲物から手を離し、それでも彼女の間合いの中にいる彼は、問いかける。ただ、それは、問いかけというよりも、勝利宣言に近い。
「ふっ、傲りは、勝利の足元を崩すと知れっ」
そう、それは、常に慎重であり、冷静を信条としていたユヅルとは、思えない行動。しかし、彼女の攻撃はもう、止まらない。その攻撃は、完全に相手の虚を付いているため、ユヅルであっても、回避はできない。そう、彼以外、その場の人間の全員の意見が一致していた。が、
「微温い、俺に攻撃を当てたければ、声はおろか、殺気すら出さず、初動を消してから。それぐらいすれば、当たった振りぐらいは、してやるかもしれない」
全員、自身の目を疑った。
彼女たちの予想は、ユヅルが槍に貫かれる姿。しかし、現実の視界は、背後から突き出された貫手で、アンジェリカの心臓を抉り出しているユヅルの姿。攻撃を受けた当の本人ですら、困惑の表情を浮かべ、胸から生え出した他人の腕を呆然と見つめている。
「なっ」
ようやく事態を理解し、消えかかりそうな命を無理やりつなぎとめ、痛みを無視して、首を回したアンジェリカの瞳に映ったのは、冷たく、今、奪い取った命すら視野にすら入れていない、虚無の瞳。
「お前の死体は、有効活用させてもらうよ」
徐々に主人公の外道レベルが上限を壊し始めてきた