第十四話 過去と今1
複線回収
タバコの煙を吐き出しながら、ユヅルは一人屋上の柵に背中を預け、空を見上げていた。
本日は学園祭初日。
先日、いきなり来日した二人の母親に成績表を見せ、本日のことを告げて登校した彼は、生徒会の仕事で見回りの最中のはず。しかし、結果としてここで彼はサボタージュを決め込んでいる。
「やっぱりここにいましたね、先輩」
そんな彼の居場所にいち早く気づいたのだろう、レベッカは腰に手を当て、若干苛立ち混じりに、彼に声をかけてくる。
「ああ、お前か」
苛立ちをぶつけられた本人であるユヅルは、柳に腕押し状態。
「ああ、お前か。っじゃありませんよ、先輩」
「そうですよ、ハイドマン君」
苛立つ彼女の後ろから屋上に現れたのは、呆れているヘキル。そんな彼女に気づいたユヅルは、
「お前ら、『第六階梯』が二人して、今日本に来ていることを正しく、認識しているか?」
視線を合わせることなく、つぶやくように口にする。しかし、その瞬間、レベッカとヘキルの顔色は怒りの赤から、恐怖の青へとすぐさま変化。
「嘘ですよね、先輩?」
「それは、本当ですか、ハイドマン君?」
信じたくないのだろう。二人の声は、知らず知らずのうちに震えている。
「事実だ。一昨日、学校の帰りに襲われて、昨日、渡された成績表持って会ってきた。明日あたり、顔出すんじゃないか?」
テレジアとシムカの二人は、ホテルに泊まり、ユヅルの住んでいる神宮寺家に一度挨拶しに現れ、再びホテルに戻っていった。
「第一、チケット送ったはずのお前が何で青ざめる、情報屋」
「いえ、ですが、去年も送ったのに来なかったので。今年もてっきり来ないものだと」
送った張本人であるヘキル自身、来るものだと思っていなかったらしい。
「ううっ、あの地獄の日々から開放されたと思った矢先に」
レベッカはその場で膝を着き、震えてしまっている。
テレジアとシムカ。
前者が異能の育成、後者が白兵戦の能力底上げ。完全に育成を二分化した彼女たちに逆らえるものは、局長以外に存在しない。彼女たちとかかわりを持っていない、スカウトされて入ってきた執行官ですら、敬意を持って接する。その育成方針は苛烈にして、生かさず殺さず。文字通り、地獄の教官。
「まぁ、お前らも覚悟だけはしといたほうがいいんじゃないか?」
そんな言葉を口にして、彼は屋上を後にした。
―子どもだったから、大人じゃなかったから。俺は守ることも、抗うこともできなかった―
人気のない校舎裏へと移動し、ユヅルは自分の胸に左手を当てる。その場所にあるのは、消せるのに、決して消せない傷。傷跡自体は、治療が上手くいったので、その痕跡すら残っていない。しかし、先日の言葉が、再び彼に痛みを思い出させる。
目の前に映るのは幼かった自分。
誰にも負けることはない、そんな小さなプライドを持っていた自分。
しかし、結果は違い、彼自身、生涯で初めての敗北を味わうことになった。それも、完膚なきまでに、いい訳ができないほどの。
「本当に、なんで、今になって思い出す」
瞳を閉じ、タバコのフィルターを、悔しさで噛み千切る。残るのは後悔と、失意の苦い味。絶対に負けられない戦いで敗北したという事実。
「へぇ、こんな場所があるんだね、ユヅル?」
そんな彼に声をかけてきた人物。しかし、彼はその人物の姿を見て言葉をなくす。
そう、それはここにいてはいけないはずの人物。
自分と同じ、天禅寺高校の制服に身を包んだ一人の女性。その女性は、頬に一目でわかる蛇の刺青を入れ、黒髪を風に弄ばれている。
「ひさしぶりで、僕の顔なんて忘れてしまったのかな?」
だが、女性は、驚愕を必死に飲み込んでいるユヅルとは対照的に、とても楽しげな笑みを浮かべながら、一歩ずつゆっくりと近づいてくる。
「なんで、お前がここにいる」
「うん、いちゃいけない? ああ、一般開放は明日からだから、流石にまずいのかな?」
「そんなことを言ってるんじゃない」
声を荒立て、口に残ったフィルターを吐き出しながら、
「茶化さないで答えろ」
怒気を押さえ込んだ冷たい声色で問いかける。
「そうだね、そろそろ美味しくなってきた頃だと思って、食べに着たんだよ。本当は、もう少し熟成を待つつもりだったんだけどね」
女性は、にこやかに答える。その笑みに邪気はなく、ただ、瞳だけが奈落を体現したように淀み、一切の光を拒絶している。
「ここではじめてもいいんだけど。流石に僕も、そこまで君ほど人でなしにはなれないから、今夜、一時にこの場所で待っていてくれると嬉しいな」
「来なかった場合は?」
「わかってるくせに、質問するのは悪い癖だよ。当然、明日のこの時刻、この場所ではじめるだけのことだよ」
女性は、いよいよ楽しげに声を上げて笑い出す。しかし、それは、完全に壊れてしまった人間が成す、壊れた音楽に等しい。
「随分優しい目をするようになったよね。大切な人でもできたのかな? でも、忘れちゃいけないよ、僕らは決して購うことのできない罪を背負った重罪人で、幸せになる権利なんて、生まれながらにして持っていないんだからさ」
呪詛に似た言葉を残し、女性はその場から去っていく。
「今夜一時、か」
新たなタバコに火をつけ、ユヅルは今まで、否、日本に来る前の自分が浮かべていた、狂気に似た笑みを浮かべ、
「いいぜ、殺しあおう、壬生クレハ。俺たちは、所詮、獣でしかないんだからな」
日常を切り捨てた怪物へと再び戻っていく。
一人ほどヒロインが登場していない