準備の日々4
残念でした
「まったく、人の都合ってものを考えて欲しいもんだ」
タバコの煙を吐き出しながら、ユヅルは一人帰り道を歩いていた。軽音楽部でステージのセットリストを作成したあと、生徒会に半ば強制的に連れて行かされ、書類の整理を開始。その後、各部活を回って、違反物の持込がないか、規定時間を越えて生徒が残っていないか、そういったことを確認する為に残り、時間は既に午後八時を回っている。
「それに付き合う、俺も俺だが、な」
自嘲し、夜空を見上げた彼は、少しだけ、過去へと思いを馳せる。
自分が最初に見上げた夜空の印象は、恐怖。光が飲み込まれ、いつ、どこで、敵に襲われるかもしれない。
次に見上げた夜空は、静寂。異端審問局に入り、力や知識を身につけていくたびに、誰かしら、自分に対する悪態、罵倒を投げつけてくる。それがなくなる瞬間。
だが、今、見上げた夜空に感想が持てない。それは、今の自分が満たされているのか、それとも飢えているのか。自分の足元が落ち着かない感覚に似ている。
そんな考え事をしていた数秒後、彼の背後からいきなりの強襲。無論、考え事をしていたとしても、周囲への警戒を緩めていない彼のこと。半歩、体を左にずらして攻撃を回避。そのまま相手の攻撃が空を切る瞬間を狙って、体を反転。勢いの乗せた蹴りをカウンターで腹部へと叩き込む。そして、その一撃では終わらない。体勢を崩した襲撃者に対し、前進した彼は、落ちてきた顔に対して右膝を叩き込み、呼吸を阻害。重ねて、両手で頭を掴み、投げの要領で、相手をアスファルトへと叩きつける。
「ふむ、やはりこういう結果になりましたか」
背後からかけられた声に対し、既に彼は制服越しに銃口を向けている。しかし、かけられた声は、澱みのない英語であり、慣れ親しんだ声に非常によく似ていた。それでも、相手への警戒心を解かない為、あえて振り向こうとはしない。
「だから言ったじゃないか。こいつに、こういった手は意味がないって」
その瞬間、彼の体は宙を待っていた。ガードが間に合ったのは、殆ど勘の域に近い。後方へと意識を集中させた瞬間、前方からの攻撃。しかも、相手を無力化し、警戒心が薄くなり始めている瞬間を狙った襲撃。
―面倒だな、本当に―
彼の着地と共に、左右の両方向から仕掛けられる攻撃。それは、挟撃を警戒し、絶妙のタイミングで、ズレを作り出している。まさに、二人で戦うことに慣れているといっていい。
「雑なコンビネーションだ」
それでも、ユヅルはあわてることなく、片方ずつ、相手の攻撃を捌いて、脱出。それとほぼ同時に、取り出した数本の刀を相手に対して投擲。それで、相手がひるんだことを確認した瞬間、彼が過去呼ばれていた、『攻城弩』の名を意味する攻撃が飛来する。彼が両手で掴んだ刀の数は全部で八本。しかし、それを彼が投擲した瞬間、その次の八本が彼の両手には握られ、それが投擲。その繰り返しにして、威力は繰り返されるたびに飛躍的に上がっていく。故に、ウインドは彼をこう名づけた、バリスタ、っと。たった一人で城を攻め落とす、遠距離攻撃のスペシャリストであり、その射程圏からは誰一人として逃さない。
数秒後には、無数の刀が彼の周囲に突き刺さっている。
「流石に、戦闘能力だけは伊達ではありませんね」
「しかし、周囲への警戒心が足りない。攻撃に集中力を割きすぎた結果だ」
そんな彼の着地とほぼ同時に、背後から突きつけられる刃。これでは、回避のしようがない。
「攻撃は最大の防御、しかし、最大の隙を生む。そう教えたはずなんだが」
「けれども、並外れた殲滅力は褒めるべきですよ」
絶対の勝利を確信しているが故の二人の会話。しかし、その瞬間、ユヅルの姿が消える。
「それは、分身だ。入れ替わりのタイミングぐらい見抜くべきだと思うぜ、俺は」
そんな二人の背後、タバコの煙を吐き出し、地面に落としてしまったカバンのほこりを払っているユヅルがいた。
「そんで、あんたらはいったい何しに来たんだ? 『第六階梯』、テレジアにシムカ」
敵意を完全に収め、二人が振り返るのを悠然と待つユヅル。そんな彼に対して、一切埃を纏っていない尼僧服の女性、柔和な笑顔を浮かべた女性、テレジアは、
「聞いていませんか? ヘキルから、学園祭の招待チケットをいただいたことを」
不可解なことを口にし、
「愛弟子がどれほど成長したのか、見に着てやったわけだよ、はるばると」
筋骨隆々な女性、シムカは豪快な笑顔を浮かべる。
「初耳だ。それで、あんたらの目から見て、俺は?」
タバコを地面へと捨て、必要とあれば、続けての戦闘に移れるように。
「私としては、もう少し能力の底を見てみたいと思いますが。これ以上は、完全な殺し合いとなってしまうと判断します。あなたは?」
「ふんっ、私としては、白兵戦闘は及第点。ただ、殺すつもりのない戦闘をこれ以上行ったところで無駄でしかないだろうよ」
それぞれの意見を耳に、彼はため息をつく。
『第六階梯』。
それは、執行官を指導する立場であり、その能力、戦闘技術を育成する教官に与えられる階梯。故に、途中参入、スカウトされてきたもの以外は、例外なく彼女たち二人の教育を受けていることになる。そして、その例外には、彼は含まれていない。
「なら、殺すつもりでやればいいのか?」
試すのではなく、彼は正直に、カバンを地面へと落とし、再び刀を手に取る。しかし、そんな彼に歩み寄り、テレジアは、
「ダメですよ、ユヅル。あなたは、必要以上に自分の心を傷つけすぎる。それも、無意識のうちに。やりたくないのなら、やりたくないと。はっきり、口に出していいのです。あなたは、まだ子どもなのですから」
自分に向けられる殺意と共に彼の体を抱きしめる。
「そうそう、お前はまだ、自分の心を治す術を知らないんだから、大人に甘えていいんだよ」
後ろから、二人を抱きしめるシムカ。
そんな二人に対して、
「口うるさい母親を二人も持って、俺は、必要以上な不幸ものだよ」
照れくさそうに悪態をつくのであった。
母親というものは、とても強いのです。
力ではなく、心が、器が