生贄と夜4
神様もビックリ
「人間、貴様、何をした?」
「何をした? おいおい、仮にも神様なんだから、それぐらいすぐに理解しろよ。ついでに言っておくと、まだ、何もしてねぇよ。今からするけど」
彼女は、空気が一変したことにいち早く気づいたが、それが何を持って変化したのかは理解できていない。そんな彼女を愉快そうに見つめながら、彼は呪詛をつむぐ。
『 無限書庫へのアクセス開始
第二六九幻想領域座標固定
並びに、封殺結界を固定座標に接続
執行官権限により、厳重封印指定の十三を開放 』
「さぁ、踊ってくれよ、神様」
それは勝利を確信したものが、敗者を嘲笑する為に放つ言葉と、同じ響き。
次の瞬間、彼女の違和感は現実のものとなる。
彼女の視界に映っているのは、先ほどと対して変わらない光景。だが、決定的に違う点が一つ。そう、カナミが映っている。先ほどまで、彼女は、カナミの目を通して世界を近くしていた。なら、カナミの姿を、己自身の姿を自分の目で見るはずなどない。
「馬鹿な、我を生贄の体内から引きずり出したというのか?」
「ご名答。まぁ、厳密に言えば、完全に引きずり出したわけじゃないが、同じようなもんだろ」
驚愕の次に沸きあがってくるのは、怒り。自分の食事を邪魔した者への、自分を嘲笑する者への。
「人間、貴様、無事で済むとは思っていないだろうな?」
「上から目線はやめておいたほうがいいぞ。ここは既に、俺の領域。あんたが神様だろうが、この中じゃ、関係ない」
「ぬかせ」
そうして彼女は力を行使する。
神通力。
人間に力を貸し与えるとき、神の力は劣化してしまう為、このような言葉で度々口にされる。しかし、現在の彼女は人間に力を貸しているわけでも、体内にいるわけでもない。故に、本来の力を振るう事ができる。その力は、映画やドラマなどのフィクションではない。現実の力。人間からしてみれば、魔法という言葉が、一番しっくり来るかもしれない。
だが、彼女の力がなぜか発動しない。
「貴様、一体何をしたっ」
「少しは自分で考えろよ、神様」
相手を小馬鹿にしたように、ユヅルは笑みを浮かべる。それが、彼女には非常に気に食わない。すぐにでも、殺してしまいたい。そう思いながら、力をこめるものの、肝心の力はまったく発動の兆しすら見せない。
「どうした? 立ってるだけじゃ、俺は殺せないぜ、神様」
「ふん、それは貴様とて同じこと。もうすぐ半刻経つ。生贄を助ける時間はもうないに等しいぞ」
「ああ、そいつはもう心配ない」
彼女は切り札をちらつかせるが、ユヅルはそれに対してほぼ無反応。それが、彼女の違和感をより大きなものへと、膨らませていく。
「これだけヒント出してやってるのに、まだ気づかないのか。なら、出血大サービスだ。俺のじゃねぇけど」
いつの間にか、彼は右手に刀を握っていて、それを振るう。刃は、彼女の頬をうっすらと切り裂き、再び鞘へと戻る。
「血、だと。我が、血を流しているだと」
彼女の声は今度こそ、驚愕していた。そして、彼女が今まで抱いていた違和感の正体をようやく理解する。
「まさか、貴様っ」
「ようやく理解できたみたいだな。答えあわせだ。あんたが考えているとおり、俺の領域内では、俺が拒絶したものは、すべて否定される。それが、時間だろうが、神だろうが、関係ない」
「馬鹿なっ、そんな神の領域に足も踏み入れることのできない人間が。できるはずがない」
「ああ、当然、俺一人の力じゃ無理だよ」
そう、ユヅルが話していることが本当だとすれば、彼女が力を使えなかったのは当然。そして、この領域の中であれば、神であるはずの彼女を殺すこともできる。
「俺は、魂吸収者って、呼ばれる能力を持ってる。そんで、俺が手に入れた魂の力を使って、この領域を形成してる」
魂吸収者。
それは、異端審問局でも存在を完全に肯定できなかった、異能の力。この能力を有するものは、自身の魂以外に、他の魂を己の体内に取り込み、その力を自由に行使することができる。そう、彼らの力には個人差があり、能力者によって発現する力が違う。一概に、結果をはじき出すことができない。不確定要素が多い能力なのだ。
「さぁ、ようやく自分の愚かさに気づいたようだな、神様。なら、次は、立場って奴を理解してもらおうか」
『 厳重封印との魂接続開始
肉体および魂の封印を開放
物理的干渉および精神的干渉に異常なし 』
「こうやって、いちいち名乗りを上げるのは、どうも慣れないが、折角だから、あんたには自己紹介をしておくよ。異端審問局所属、異端殲滅執行官、階梯、第七階梯、席次は十三、与えられた称号は『死神』。これが、俺、ユヅル・ハイドマンの肩書きだ」
淡々と口にする彼だが、その表情はとても楽しげ、そして、彼は最後に決定的な一言を口にする。
『 起きろ、もう一つの俺の魂
悪魔皇イレイザー 』
それは、異端審問局に所属するものが、決して口にしてはいけない言葉。その言葉を放つのとほぼ同時、彼の体は銀色に光に包まる。
光が収まると、そこに立っていたのは、変貌を遂げたユヅル。黒髪は、銀へと色を変え、獅子の鬣を連想させる長さに。黒の法衣を纏い、右と左、両方の腰にはそれぞれ三本の刀、背中には身の丈ほどの大きな刀。そして、彼の右頬には、蛇の刺青が出現していた。
「悪魔、だと」
この答えだけは、彼女も予想していなかった。信じるものは違えど、彼もまた、神を信じるものに違いないと、異端審問局に所属しているだからと、彼女は勝手に、彼のことを決め付けていた。だが、結果は違う。目の前にいるのは、紛れもなく、悪魔の力を有した、人間ではないなにか。
「ああ、俺の魂の在り方に最も近く、欲しかった力を持ってたからな。殺して、その魂を吸収した」
その言葉を、彼女は信じるわけにはいかない。悪魔、言い方は違えど、在り方は違えど、似たような存在を殺した。その言葉を、信じるわけには、決していかない。
「どうして、こんな話してる余裕があるのか、理解してるか、神様?」
右手を刀の柄へ移動させながら、歌うように彼は口にする。
「簡単な話、勝者の余裕って奴だ。おっと、卑怯とか、いまさら陳腐な言葉を使うなよ? 俺はきちんと、あんたにも、チャンスをやったんだからさ」
「機会だと?」
「ああ、俺の長話になんて付き合わずに、俺をあの場ですぐに殺していれば、今、あんたは、俺の死体を肴に、勝利って酒に酔っててもおかしくなかった。それをしなかった。それが、あんたの敗因だ。余裕見せ付けて、人間見下してるからそうなるんだよ」
「たかだが、力を手に入れた人間が偉そうに」
彼女は侮蔑の言葉を吐くものの、彼の心にはそよ風ほども波風が立たない。
「その力も、汚いまねをして手に入れたのだろうがっ」
「ああ、そうだよ。策をめぐらすことに、何の躊躇いがある」
彼女の侮蔑を賛辞として受け取り、さらに彼は続ける。
「卑怯、汚い、そんなものは戦場じゃ褒め言葉でしかない。自分よりも強い相手が敵なら尚更。殺し方に、勝ち方に美学を求めるなんて三流以下。力を誇示したいだけの馬鹿がプライドひけらかすようなもんだ。どんな手段を使おうが、誰に罵られようが、生き残った奴が勝者だ」
ゆっくりと刀を抜き放ち、その切っ先を彼女の喉元にユヅルは突きつける。
「貴様がやっていること、我と何が違う」
「違わねぇよ。俺も、わがままなんでね。まぁ、そうだな、一番近い言葉があるとすれば、同属嫌悪って奴だ。そんじゃ、精精、苦しんで死ね」
「待て、貴様は抵抗もしない我を、殺すというのか」
「ああ」
珍しくも命乞いをする彼女に対して、ユヅルは即答。
「さっき言っただろ、俺と魂の在り方が似てるって。悪魔に命乞いなんてしても、意味なんてない」
そして、彼は、氷のような冷たく鋭い瞳で、
「あんたは、今まで何人も食ってきたんだろ。それが、自分の番になったってだけだ。命乞いをする前に、自分の行動を振り返るべきだったな。あんたがもし、少しでも、善行を人間に施したって、嘘でも口にしてたら、少しぐらいためらう振りをしてやっただろうよ」
刀の切っ先を、彼女の喉に押し込んだ。想像を超える絶叫。今まで、彼女が味わったことのない痛み。刀を引き抜くと同時に、赤い血が噴出し、彼女はそれを抑えようと両手を伸ばすが、その両腕は、彼の刀によって床に縫い付けられてしまう。そして、次の彼の行動によって、彼女の表情は、生まれて始めて恐怖に凍りつく。ユヅルは、自由の利かない彼女の左手を両手で取り、小指から順番に、その爪を剥いでいく。ただでさえ、喉の傷、両手の傷で致命傷。それなのに、目の前の少年はそれ以上の傷を、彼女の肉体と心に刻み付けていく。
「我が、我がいったい、貴様に対して、何をしたという」
「うん? 何もされてないよ、俺は。ただ、あんたが食ってきた人間の肉親は、これよりも痛かったんだと思うんだよな。だからさ、少しは、その痛みも勉強してから死ね。爪の次は、皮を剥いでいく。その次は目を抉り出し、臓器を一つずつ取り出していく。ああ、途中で死ねると思うなよ。全部終わるまで、お前が死ぬことを、俺は拒絶し続けるから」
日常会話のように口にするユヅル。それが、彼女の精神をこの上ないほどに壊していく。
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「おわったぞ、馬鹿女」
元の姿に戻り、力の痕跡すら消した彼は、カナミの頬を軽くたたき、彼女を起こす。
「えっ、本当に終わったんですか?」
「ああ、終わった」
彼は床に腰を下ろし、タバコにマッチで火をつける。そんな彼に対して、カナミは、正座し、頭を下げる。
「ありがとう、ございました」
その言葉は、震えていた。だが、それは恐怖ではなく、明日を迎えられる、日常に戻れる喜びによって。
「頭上げろ。そんで、礼なら、ジジイに言え。俺は仕事を請けて、それをこなしただけだ」
「でも、実際に助けてくれたのは、あなたです」
尚も食い下がってくるカナミに対して、
「ユヅル」
「えっ?」
「俺の名前はユヅルだ、これから不本意だろうが、一緒に生活するんだ。あなたなんて、他人行儀な呼び方するんじゃねぇよ」
つまらなそうに彼は口にする。それが、よほど予想外だったのか、彼女はキョトンとしている。
「なら、私も、お前じゃなくって、カナミです。神宮寺は三人いるので、名前をきちんと覚えて、名前で呼んでください」
「面倒だな」
「今、何か言いましたか?」
「腹減ったっていったんだよ。恩義を少しでも、かすかにでも感じてるなら、上手い飯でも食わせろ。それで、貸し借りなしだ」
そう口にして立ち上がるユヅル。そんな彼に対し、
「はい」
元気良く、カナミは返事をして立ち上がった。
そして、その後、ユヅルにダメだしされ、彼の舌をうならせる為、学校生活で、お弁当を作り続けることを決めたカナミだった。
ようやく、複線を少し回収。
次から、再びラブコメに戻ります。