A4二枚分
初投稿です。読んでもらえたら嬉しいです。
設定間違えたので再投稿します。
「社長、お客さんへのメールの返信書いたのでチェックしてもらえますか?」
「んー、もう少し自分のキャラクターを出した文面にした方が
お客さんも気軽に来店してくれるんじゃないかな?」
「社長、こちらのメールも見てもらえますか?」
「これはもうちょっと楽しそうに書いてみようよ。
一緒に楽しくお部屋探ししたいと思ってもらおうぜ」
「入居者へのお知らせ確認お願いします」
「おお、よく書けてるじゃん。やるね」
「すみません、これら全部AIです」
これから更に加速度的にAIが文章を作る時代がやってくる。
もうギリギリかもしれないけど
このご時世に自称第一線で仕事をする年代で良かったのかも知れない。
賃貸がメインの小さな不動産会社を経営している。
仕事上のやり取りは電話かメール、たまにSNS。
オレは電話はあまり得意ではないのでメールに頼りがち。
メール相手の顔を思い浮かべながら文面を作成するのは嫌いではない。
お客さんの感情を想像しながらとか、
こう言ったらどう思ってもらえるかなど推敲しながらメール文を作成する。
半期に一度くらいは顧客に向けて手紙を送る。
内容は一律だけど全ての顧客に自分が伝わるように、
または当社のことを少しでも理解してもらえるように。
メールより更に私書感は増す。
多少時間はかかるけどこういった作業も苦ではない。
最近は読書などと言ったインプットは全然できていないけど、
学生時代のインプットとアウトプットの成果だと思う。
モラトリアムだとかワンダーランドなどと言われていた世代真っただ中に
学生時代を過ごした唯一の成果。
自分の書く文章から、自分の声が聞こえてくるように。
そんな風に読んでもらえる一文を綴りたい。
名前だけは有名校であるが故にレベルも知られてしまうという大学。
当時の仲間たちとは「一流の三流大学」と笑いあっていた。
卒論を書く時にそこそこ厚い一冊の洋書を渡されて、
「この本を英訳しろ」が卒論の課題。
何の自分の考察も無し、あるのは枚数の指定だけ。
A4のレポートで30枚だったか40枚だったかやったら完了。
洋書の途中までしか訳されなくて問題なし。
それでもゼミは優の成績で卒業した。
それでも枚数が足りなくて留年する人がいる。
美穂はその中の一人だった。
確か二枚不足だった。
就職活動でようやくパソコンを触り始めるような時代で、
多くの人が枚数カウントの方法すら覚束なかった。
短大を卒業して編入してきた美穂と
その大学のサークルで知り合ったのは大学二年の時だった。
早いうちからお互い本を読むことが好きという共通項から話すようになり、
時には手紙のやり取りで会話を重ねた。
自分が書く手紙の文章を楽しんでくれて誉めてくれた。
20歳の男子学生の自己肯定感がくすぐられ、結構な回数文章を綴った記憶がある。
時には腕試しをいうことで文学部である美穂のレポートを書いてみてよと言われ、
実際に彼女のレポートをオレの文章で提出したこともある。
教授に褒められたよという評価も正直嬉しかった。
気分を良くして自分自身のレポートもそんな調子で提出していた。
思い返すと、結果としてオレは学生時代のレポートを
論文ではなくただのエッセイに落とし込んで単位を取る術を身につけていた。
ちなみに残念ながらオレは美穂の書く文章はあまり好みではなかった。
無理やりにでも明るく振舞おうとしてたのが鼻についていたからだ。
蓮っ葉とでも言えばいいのか。
よく美穂の文章はネットアイドルの文章みたいだと正直に伝えていた。
思考は肯定できるのに。文章にする難しさだ。
「世の中何でも楽しんだ方がトクだよ」
美穂がよく言っていたことだ。
「芸術と言ってしまうと芸術がわかる人しか楽しめないじゃん?
でもさ、それをエンターテインメントと言って楽しめば
知識が無くったって自分が楽しめるものになるじゃない。
ゴッホの絵が好きだでいいの。
文学もそう。
夏目漱石だって、猫に思考があるとおもしろそうと思いついて
『吾輩は猫である』を書いたと思って読んでごらん。
きっと違う楽しさがあるよ」
オレがサークル内の人間関係で愚痴っぽくなった時には
その相手の言動を「おもしろい!!」と笑い飛ばしてもくれた。
彼女自身の悩みなどは時には無理して面白がってるなと感じることはあったが、
処世術としてよく理解できるものだった。
社会人になってからも付き合いは続いた。
休みの日も違ったしお互い実家暮らしで
住んでいるところが少し離れていたので
週末の度にデートという訳にはいかなかった。
彼女は友人から中距離恋愛と揶揄われていたそうだ。
オレに毎月一回連休があったので
その日は美穂の実家に泊まりに行くというのが習慣だった。
それ以外の日はオレが仕事帰りの駅から家までの帰り道に
電話しながら帰るなんてことをしていた。
オレの家は駅から歩いてそこそこ距離があるので
普段少し話すのにはちょうどいい時間だった。
退屈な歩きの時間の暇つぶしと彼女からは皮肉がられていたが
オレもそれを否定できなかった。
その日は会社が終わり、車でパチンコに行く道すがらだった。
歩き時間の暇つぶしと同じ理由で運転しながら美穂に電話をかけた。
まずは「今何してた?」的な特に用事もない世間話のイントロダクション。
返ってくる声のトーンがいつもと何か違う。
よく女の勘は鋭いなんて言うけれど、
十何年付き合った彼女の声のトーンの違和感くらい男でもわかる。
「おい、どうした?」
「あのね、ごめん。お別れして欲しいの」
どうやら他に好きな人ができたらしい。
社会人になってから勝手に転職し、
会社が倒れれば、美穂を置いて一人で海外へ行った。
そのツケがまわってきたのか。
十三年の付き合いが、電話一本で終わった。
その直後、チケットを買ってあって二人とも楽しみにしていた舞台があり、
そこで一緒に観劇したけれど、会場で別れてそれっきり。
二度と会うことはなかった。
その頃SNSが流行り始めていて、細い繋がりだけは残った。
流れてくる近況をたまに見る程度。
やがて自分も結婚し子供が生まれ、
彼女の存在はただのノスタルジーになっていた。
彼女も結婚したらしい。
他人事のように祝福できる距離だった。
それから何年か経ち、美穂がガンになったことをSNSで知った。
何もできることは無いけれど、無事快方に向かうことを願っていた。
それからの彼女の投稿は
闘病生活や闘病しながらも楽しく過ごしている日常を伝えていた。
時折共に投稿される美穂の写真は昔とあまり変わらない表情に見えた。
その中の文章は相変わらずの温度感で、
恐らく
時には結構無理して明るく書いているんだろうなということは察しがついた。
しばらく経ってから彼女がタグ付された旦那の投稿により、
美穂が余命一年という宣告を受けていたことを知る。
その数日後、美穂は静かには息を引き取ったらしい。
コロナ明けという時節柄、
一日だけの家族葬で葬儀を執り行う旨も旦那が投稿していた。
なぜか供花は受け付けるらしい。
迷ったが美穂のご両親を思いながら供花は出すことにした。
葬儀の様子は後日投稿しますとの記載にも少し違和感を覚えたが、
結局葬儀の様子が投稿されることはなかった。
どんな逡巡があったかもうかがい知ることはできないが、
卒論の時みたいにあとA4二枚分の説明があれば状況もわかったのかもしれない。
文章を書くという作業は美穂に教えてもらったことだ。
今でも文章を書くと時折彼女を思い出す。
特に推敲している時に。
美穂が教えてくれた楽しさは、今も自分を支えてくれている。
そんな思いを抱きながら、今日も文字を並べる。
(了)




