渇き鬼2
戦争が終わったあと、俺は生まれ故郷に戻った。
片耳はほとんど聞こえず、脇腹には火傷と銃創の痕が残った。
だが、それ以上に俺を苛んだのは――あの夜の記憶だった。
あれは敵兵ではなかった。
だが、人間でもなかった。
あの巨体、毛むくじゃらの腕、濁った目……そして、戦死者から剥ぎ取った品々。
とくに、胸ポケットから奪われた妻と娘の写真。
戦後、家に戻ったとき、妻はそのことを何も知らなかった。
ただ、写真をなくした悔しさ以上に、あの巨人に「何かを渡してしまった」という事実が、心の奥に爪を立て続けていた。
数年後、酒場で古い従軍仲間に会った。
酔った勢いで、俺はあの夜のことを話した。
すると男は、顔色を失い、口を閉ざした。
やがて、低い声でこう言った。
「……お前も見たのか。あれは“渇き鬼”だ」
渇き鬼――戦場に現れ、死者や瀕死の者から大事なものを奪い、水や食料と引き換えにする妖怪だという。
ただし、その水や食料は決して普通のものではない。
飲んだ者は助かるが、魂の一部を持っていかれる。
そして戦争が終わっても、その魂は鬼の手の中にあるままだ、と。
「俺は……本当に助かったのか?」
そう問うと、男は目を逸らし、酒を一口あおった。
家に帰ったその夜、机の上に何かが置かれていた。
それは、焼け焦げた端の残る、古びた写真だった。
俺が戦場で渡した、妻と娘の写真だ。
だが……そこに写っているはずの娘の顔が、薄く、霞んでいた。
まるで消えかけのインクのように。
風のない部屋の中で、背後から水滴が落ちる音がした。
振り返っても、そこには何もなかった。
ただ、湿った土と血の匂いだけが、部屋の隅に漂っていた。