第2章 観測する一人の邂逅 1
火花はクードルにコーヒーを持ってくるように伝える。クードルは一度隣の部屋に入ったが、すぐにこちらの部屋に戻ってきた。残っていないから取ってくるとの旨を火花に伝えると、彼女は重たいドアを開けて外に出ていった。頭上から階段を上る音が僅かに聞こえる。
火花自身はすでにカップを持っていた。中にはコーヒーが入っているようだ。
火花は一度目を閉じてコーヒーを飲む。飲み終わったあともしばらくそうしていた。僕とルリは立ったまま火花のことを見ている。火花は顔を上げると、そういえば、といった感じで、僕とルリに椅子に座るように促した。
僕とルリは部屋の左手にある長椅子の前まで行く。部屋にはそれ以外に空いている椅子はないから、僕とルリがその椅子に座ってしまったら、クードルが座る場所はなくなってしまう。とりあえず、彼女が戻ってくるまでは使わせてもらうことにして、僕とルリは椅子に腰を下ろした。
「ようこそいらっしゃいました」火花がこちらを見て言った。「お二人は、名前は?」
僕は自分の名前を伝える。ルリも僕の隣で名乗った。
「ここにいらっしゃったということは、何かをお探しということではないでしょうか」火花が綺麗な声で話す。彼女の声は、鼓膜を素通りして、脊髄に直接響くみたいだった。
「どうしてですか?」僕は尋ねる。
「なんとなく、そう思っただけです」そう言って、火花は首を傾げる。彼女はカップをテーブルの上に戻した。「ただ、人を頼ろうとするのには、それなりに理由があるはずです」
「まだ頼っていない」ルリが発言する。
「そうでした」火花は彼女の方を見て頷いた。
「人を捜している」ルリが普通体で話したから、僕も彼女に合わせることにする。火花の年齢は分からなかったが、見た目から、僕達と近い気がした。もっとも、見た目というのは、制服のことでしかない。彼女自体の容姿から年齢を推測することは困難だった。「でも、その人に関する情報はあまりない」
「どんな情報ならありますか?」火花が質問する。
「僕達の通っている学校の生徒」僕は答えた。「少し前から行方不明になっている。そして、たぶん、女性」
「そうですか」
「貴女は?」今度はルリが質問した。「どうして、こんな所に一人でいるの?」
「ここの管理者だからです」火花はルリの方を見る。しかし、彼女の方を見ているときも、僕はなんとなく火花に見られているような気がした。両方の目とも完全にルリの方を向いているが、別の何かによって見られているように感じる。
「どうして、ここの管理長をしているの?」ルリは脚をぶらぶらさせながら話す。それは、彼女が機嫌が良いときの癖だった。綺麗な女性と話すことができて、嬉しいのだろう。
「それが、私の職務だからです」
「職務ってことは、市とか区に雇われているってこと?」
「雇われてはいません」火花は首を振る。「職務、という言い方は、少し違ったかもしれません。任務、でしょうか」
「任務?」
僕は部屋の様子を観察する。暗闇にも徐々に目が慣れつつあった。この部屋は比較的まとまりがある。火花の向こう側にある制御盤の上にも、物は置かれているが、嵩張っている印象はなかった。片づけるべきものはきちんと片づけられている。いや、そうではなくて、必要のないものは最初から置かれていない、と言った方が近いだろう。
「貴女と、クードルと、あとは、ほかに誰がいるの?」ルリがまた質問する。
「彼女のほかにはいません」火花は答える。
「じゃあ、二人だけでここの管理をしているの?」
「人型は二人だけですが、システムも協力してくれます」
「システム?」僕は気になって尋ねた。
「ここを管理するシステムです」
先ほど火花が言ったように、ここは今は市や区の管理下にはなく、彼女が直接管理を行なっているらしい。クードルは、一応臨時の人員ということみたいだった。しかし、火花とクードルの付き合いはそれなりに長いようだ。彼女が言う「それなり」というのがどれくらいなのか、僕には分からない。
人工島には自律型のシステムがあって、ある程度のことは自動でやってくれるらしい。この場合の「ある程度」というのがどの程度なのかも、火花は教えてくれなかった。
そのシステムには、この部屋にある制御盤からアクセスすることができる。監視カメラの映像を解析するのにも、そのシステムが関わっているようだ。
クードルが部屋に戻ってくる。彼女は空のカップを三つと、保温性の水筒を一つ持ってきた。水筒の中にコーヒーが入っているようだ。
火花の背後にある制御盤の上にカップを並べて、彼女はその中に順番にコーヒーを注いでいく。火花がもともと持っていたカップもちょうど空になったようで、クードルは差し出された火花のカップにもコーヒーを注いだ。
クードルは僕とルリにカップを手渡すと、自身は壁際に寄りかかってコーヒーを飲んだ。クードルも、火花と同じように、コーヒーを飲むときに目を瞑る。ここではそういう文化があるのかもしれない。コーヒーくらいゆっくり味わおう、という方針なのかもしれなかった。
「話を戻しましょう」コーヒーを飲んでから、火花が言った。「私にできることがあれば、協力します」
「たとえば?」僕は尋ねる。僕はまだコーヒーを飲んでいなかった。ミルクが入っていないから躊躇する。
「人捜しなら、私にもできることがあります」火花は話す。「システムを使って、街中の監視カメラの映像をここに映すことができます」
「どうやって?」
「実際に、繋がっているだけです」
「君は行政から独立しているんじゃないの?」
「独立はしていますが、仕事の依頼は受けます」火花は説明する。「彼ら一人一人で作業するよりも、私一人で行なった方が効率が良いと判断されることもあります。コストもかかりません」
「なかなか万能なんだね」
「実際には、私がすべてをやるのではなく、システムに手伝ってもらいます」そこで火花はクードルの方を見る。「それから、彼女にも」
クードルは、壁に寄りかかったまま、カップを軽く持ち上げてサインを送る。
「しかし、その行方不明になった生徒というのは、この街にいるのかさえ分からないんだ。むしろ、簡単に見つからないからこそ、行方不明になっているといえる」
「私にできるのは、それだけです」火花は言った。「とりあえず、やってみますか?」
特に反対する理由はなかったから、僕は頷いた。
火花は正面に向き直り、制御盤の上にあるキーボードを叩き始める。心地良い音が室内に反響した。
天井付近のモニターに映し出されていた映像が切り替わり、別の映像が映し出される。海岸沿いの公園や、この人工島の映像ではなく、街中らしき映像が映し出された。
火花がまた何度かキーを叩くと、映像がクローズアップされたり、一つの画面が分割されて、いくつもの映像が同時に映し出されたりした。
「何をしているの?」僕は火花に質問する。
「検索中です」火花は答える。
「検索って、何を?」
「あらゆる情報を」
「情報?」
火花はキーボードを叩き続ける。彼女が何を入力しているのか、僕には分からなかった。しかし、その音は、そう……。まるで、何かの楽器から奏でられているかのように、僕には聞こえた。文字を入力していることに違いはない。けれど、それは、文字を入力することが目的ではないように思えた。
クードルがコーヒーのおかわりを注ぎに近づいてくる。
「見つかりそうですか?」彼女が火花に尋ねた。
「分かりません」火花は無表情のまま答える。
しばらく時間が経過したが、結果的には、有力な手掛かりは何も得られなかった。でも、僕達は、次にすべきことを火花から教えてもらった。
「この先にある、工業地帯に向かうといいでしょう」
「なぜ?」僕は尋ねる。
「流れがそう言っています」
火花は僕達を見て言った。