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半身切り捨て瑠璃色に染まれ  作者: 羽上帆樽
第1章 透過する二人の観測
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第1章 透過する二人の観測 3

 公園の中は暗かった。しかし、街灯は灯っている。


 この公園がどこの管轄なのか、僕は知らない。ときどき、ごみ収集車が園内に入って、制服を身につけた人達が落ち葉や枯れ枝の回収をしているのを見たことがある。そのお陰か、園内は比較的綺麗だった。


 石畳の地面がずっと向こうまで続いている。


 公園は海岸沿いに弧を描くように広がっていて、その最果てに人工島に繋がる橋がある。人工島の上はちょっとした遊園地みたいになっていた。それがいつからあるものかも、僕は知らない。少なくとも、僕が生まれる前からあるのは確かだ。


 僕は人工島の中には何度か入ったことがある。入園料は無料で、アトラクションや飲食店を利用する際には料金を支払う必要がある。背の高い落下型のアトラクションと、海の上にはみ出したジェットコースターが、ここからでも目立って見えた。


 人工島のちょうど反対側には、工場が建ち並んでいる。弧の右端が工場で、左端が人工島だ。この公園は、両者を繋ぐコネクターのように見える。ただし、当然ながら、工場の中に立ち入ることはできなかった。


 公園の中には誰の姿も見えない。工場の方から、トラックがバックするときに鳴らすブザーのような音が微かに聞こえた。船の汽笛も聞こえる。波の音もさっきからずっと聞こえていた。水の重みを感じさせる低い音だった。


 石畳の上を進めば目的地に辿り着けるが、ルリは迷わず砂浜の方へ走っていった。彼女はいつも僕よりも元気が良い。いつでもアイドリング状態にあるのだろう。どんなときも脚に待機電流が流れているのだ。


 僕も歩いてルリのあとを追う。砂浜に一歩足を踏み入れると、たちまち歩くのが大変になった。一歩踏み出すごとに身体の軸がぶれて、バランスを崩しそうになる。それでも、完全に倒れることはなく、身体は常に垂直を保とうとした。


 一方で、ルリは倒れそうになってから補正するのではなく、足を接地する前にすでに補正がかかる仕組みになっているようだ。結果を予測しながら歩いているのだろう。


 海の傍まで来ると、いよいよ空気は冷えきっていた。水の傍にいるだけで寒く感じる理由を、僕は知らない。本当に気温が低いのか、それとも視覚や聴覚から入ってくる情報がそう錯覚させるのか……。


 ルリはそんなことを気にする様子もなく、クリーム色のマフラーをはためかせながらけらけらと笑い声を上げていた。


「何がそんなに楽しいの?」彼女の傍まで寄って、僕は尋ねる。


「見て。空が近い」そう言って、ルリは上方を指さす。


 僕も彼女が指した方を見る。たしかに、ほかの場所にいるときよりは、空が迫って見えた。手を伸ばせば届きそう、というわけではないが、すぐそこに星があるように感じられる。傍に海があることで、自分達が惑星の上に載っかっていることを実感するからかもしれない。


「楽しい」そう言って、ルリは僕に思いきり抱きついてくる。


「遊びに来たの?」彼女に身体を揺すぶられながら、僕は尋ねる。「行方不明になった生徒を捜しに来たんじゃなかったっけ?」


「今はそんなこと、どうでもいい」


「あそう……」僕は前方を見る。「でも、たしかに夜の海は綺麗だ」


「私とどっちが綺麗?」


「酔ってるの?」


 僕は砂浜と松林を句切る石造りの段差の上に座って、ルリが砂浜ではしゃぐのを傍観した。斜め上方に月があり、砂浜のステージで舞い踊る彼女の姿をスポットライトのように照らし出していた。


 ルリは、砂を両手で掬い上げて、それを上空に投げ上げる。落下してくる砂に当たらないように、素早くその場から逃げるということを繰り返した。何が面白いのか僕には分からなかったが、そんなことをして喜んでいる彼女を見ているのは、面白かった。


 僕には、ルリが考えていることが分からないことが、よくある。たぶん、この先も分からないことだらけだろう。


 彼女は僕のことをどのくらい分かっているのだろうか。僕がそのことを彼女に訊いたことはなかった。訊いたら、おちゃらけて誤魔化すかもしれないし、案外真剣な顔をして答えるかもしれない。どちらが真に近いのかは分からなかったが、不思議なことに、どちらの対応をする彼女の姿も比較的容易に想像することができた。


 ルリはが両手を広げてこちらに走ってくる。


「もう、行こうよ」彼女は言った。「何座ってるの?」


「君を待っていたんだ」僕は少しだけ彼女を睨みつけた。「それが、人を待たせた人間の言葉?」


 僕とルリは手を繋いで砂浜を歩いた。彼女はいつの間にか手袋を嵌めていた。彼女は、身につけるものを空気中から生み出すことができるのかもしれない。いつも僕が見ていない間に装備が変わっている。僕が現実をそのまま認識できないことが原因の可能性が高いが、彼女のことだから、そんな奇抜な力を持っていても不思議ではない。


「いや、そんなもの、持ってないから」ルリは言った。


「そう?」僕は確認する。


「そうだよ。ずっと嵌めてたよ」


「じゃあ、やっぱり僕に問題があるのか」


「そうだよ。やっと気づいたの?」


「いや、とっくに気づいている」僕は答える。「でも、生きていると、ときどき誰かのせいにしたくなるものだよ」


 僕は少し不安になる。もしかすると、今僕が見ているルリは、本当はそんな姿をしているのではないかもしれない、と思ったのだ。僕が自分に都合の良いようにねじ曲げた姿かもしれない。


「馬鹿馬鹿しい」彼女は言った。「そんなに不安なら、確かめてみたら?」


「確かめるって、どうやって?」


「キスしてみるとか?」


「してどうなるの?」


「魔法が解ける」


「魔法ね……」僕は少し考えた。「自分に魔法がかかっていても、きっと、気づくことなんてできないんだろうね」


「魔法を解くには、魔法しかないよ」


「キスも魔法だって言うの?」


「そう」


「どう考えても、物理だよ」


「けれど、そこから生じる感覚は、本当に物理的なものといえるの?」


「電気信号だよ」


「それは、本当に物理的なものといえるの?」


「それを疑ったら、これまで人類が築いてきた文明が崩壊しかねない」


「でも、それが真実だとしたら?」


 僕は考える。たしかに、疑うことが科学にとっては必要だ。これまで当たり前だと考えてきたことが実は間違っていたとしたら、その、新たに明らかになった真実の方を信じるべきだろう。


 僕とルリはしばらくの間無言で歩いた。歩いている間も、風と、波と、砂を踏む音は聞こえていた。


 思考を切り替えて、人間がいなくなるとしたら、そこにはどのような動機が考えられるか、と想像する。


 人間は飽きる生き物だ。これまでいたのとは違う場所に行きたい、という動機が考えられるだろう。しかし、それは、周囲の人間に断りを入れずに行なわれるようなことだろうか?


 あるいは、これまでいた場所にもういたくない、という動機も考えられる。この場合、これまでいた場所というのには、周囲の人間も含まれるだろうから、その周囲の人間に断りを入れずにいなくなるということは、理解できる。


 いなくなるということは、実質的には場所の移動を意味する。存在そのものが消失するのではない。


 場所を変えなければ求めていることが実現しない場合というのは、どんな場合だろう? 遠くにいる人間に会うとか、向こうの方が移動してくることができないとか、移動そのものが目的だったりとか、そんな感じだろうか。


「君は、どんなときに、私の傍からいなくなりたくなる?」ルリが唐突に質問してきた。


「いなくなりたくなる?」僕は首を傾げる。


「そう」


「そんなこと、基本的にない」


「基本的って、なんか気になる表現」


「深い意味はない。たとえば、君が二週間くらい風呂に入っていなかったりしたら、すぐにその場から立ち去りたくなると思う」


 ルリは手を振り上げる。平手で思いきり頭を叩かれた。


「もっと心理的な理由で、いなくなりたくなることはないの?」


「そもそも、君は、今も僕と一緒にいるの?」僕は尋ねた。


「いるよ」そう言って、ルリは掌を僕の顔の前に持ってきて、それを開いたり閉じたりする。「ほら、ここに」


「それは、どういうサイン?」


「ここにいますよっていうサイン」


「しかし、『いる』とか『ある』ということは、証明するのが一番難しいんだ。すべての事象の基本になっていることだから。『バスが走っている』ということを証明するのは簡単だよ。ある基準点を設けて、時間の経過に従ってその基準点からバスが離れていく様を提示すればいい」


 ルリが口笛を吹き始める。


 僕は話を続ける。


「しかし、『バスが存在する』ということを証明するとなると、そうもいかない。そこに『ある』ということは、いつも一定の状態にあるということで、つまりは変化がない。提示するだけで証明されるのは、変化だけだ。そこに存在するバスは、もしかするとただの背景かもしれない」


 ルリはすぐには応えない。


 しばらくしてから、彼女はもう一度僕の顔の前に手を掲げて、それを開いたり閉じたりしてみせた。

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