第5章 活動する二人の関係 1
花火の提案で、僕達はフードコートから場所を移動することにした。
火花がいる人工島と同じように、この埋立港にも制御室があって、花火は普段そこを根城にしているらしい。もっとも、彼が制御室の中にいることは少なく、この広い敷地のどこかにいることが多いみたいだった。だから、制御室は、根城ではなく、寝城となっているそうだ。
フードコートを奥へ進むと、正面に硝子張りのドアが出現する。それを開いて外に出ると、吹き抜けの通路が続いていた。フードコートからそちらの方に続く通路はそれしかない。
日はとっくに落ちていて、すでに夜になっていた。頭の上に白い光の粒が輝いている。昨日も同じような空を見たことを僕は思い出した。空は、いつでもどこでも僕達の頭の上にあるのに、普段の生活の中でそれを見ようと思うことはあまりない。
通路の上に出ると、強い風が吹きつけてくる。風の音が大きくて、ほかの音はほとんど聞こえない。通路の左右には柵が立っていたが、少し心許ない高さだった。下手に寄りかかったりすると、落ちてしまうかもしれない。
通路の先に、上空に向かって伸びた細長い建物があった。完全な円柱ではなく、上に向かうにつれて細長くなっている。頂上から少し下の位置にある壁面がくり抜かれていて、そこに回転式のランプが設置されていた。ランプは今は灯っていない。どうやら、この建物は灯台として機能しているようだ。
花火のあとについて僕達は通路を渡り、その灯台の前まで来た。建物の正面にはドーム状の硬質なドアがある。
花火は上着のポケットから鍵を取り出すと、鍵穴にそれを差して回した。重たい音がしてドアのロックが解除される。花火はドアをこちら側に引いて開けると、中に入るように僕達を促した。
サヤ、ルリ、僕の順にドアの中に入る。最後に花火自身が入った。
ドアが閉まると、室内は真っ暗だった。
何も見えない。
唐突に、僕の左手に明かりが灯る。橙色の明かりだ。見ると、花火がアルコールランプを持っているのが分かった。金属製のフォルムで、細い持ち手が上部に付いている。当然ながら、内部では本物の火が灯っていた。僕は本物の火を久し振りに見た気がする。アルコールランプを見たのも、小学生の頃に受けた理科の授業振りかもしれない。
灯台の中心には螺旋階段が通っていた。この点では、火花がいた建物と同じだ。しかし、この灯台の内部はそれよりも大分年季が入っていた。階段も壁面も薄く汚れている。埃の類ではなく、煤か何かのように見えた。あるいは錆かもしれない。
花火は螺旋階段を下りていく。階段は上にも続いていた。それを上れば、ランプがある場所に出られるようだ。僕達は花火に続いて螺旋階段を下りた。
火花がいた建物とは違って、この灯台は海面下にまでは続いていないようだ。そのため、波の音は直接には聞こえない。しかし、海に隣接していることに違いはないから、それと思しき音が空気を伝って微かに聞こえた。風の音や自動車の走行音も混ざっている。自分達が歩く音も反響して、不思議なサラウンドを形成した。
どのくらい下りたのか、感覚だけでは分からなかった。同じ所をぐるぐる回ったこともある。螺旋階段を下りた先には、円形の部屋が広がっていた。螺旋階段とその部屋は直接繋がっていて、ドアで隔てられてはいない。円形の部屋の中心を螺旋階段が通っている。
部屋は一人で使うには充分な広さがあった。円に内接する正方形の頂点に僕達四人が立っても、互いに手を繋ぐことはできなさそうだ。
この部屋には窓はない。外部とアクセスするためには、今下りてきた螺旋階段を上るしかなさそうだった。
部屋にはすでに明かりが灯っていた。天井に照明器具が設置されている。
部屋の壁に沿って木造のテーブルが設置されている所があった。そこはカウンターみたいになっていて、椅子が三つ並んでいる。花火はアルコールランプの火を消すと、そのカウンターの上の壁にそれを吊した。
テーブルから見て螺旋階段を挟んだ向かい側には、黒い革張りのソファがあった。螺旋階段を中心にして、右手にテーブル、左手にソファが位置するように立つと、その正面にシンクがある。そして、その背後には制御盤があった。これは、テーブルとは違って金属製だ。
制御盤の上には、キーボードを始めとする機器が設置されている。その上に並んだランプが青と緑の光を放っていた。制御盤の上の壁には、いくつかモニターが設置されている。今もそこに映像が映し出されていた。この制御盤がある所だけ、部屋のほかの部分とは異質な雰囲気があった。火花のいた制御室と似ている。
花火は、夕飯を提供しようと言って、すぐに螺旋階段を引き返していった。今日はここに泊まると良いとも彼は言った。たしかに、今から帰るとなると大変だから、彼の好意はありがたかったが、僕達はまだ彼を信用しているわけではなかった。
花火が出ていったあと、僕達はしばらくの間黙っていた。ルリはソファに座り、サヤはテーブルに寄りかかっている。僕は部屋の中をうろちょろしていた。
「どう思う?」唐突にルリが口を利いた。
「どうって、何が?」僕は応じる。
「あの人」ルリは僕を見る。「信用できると思う?」
「さあ……」僕は曖昧に答える。「まだ、分からない」
「私達に何を求めているのかを聞いていない」サヤが発言した。
「僕達が透明化を生じるかどうかを確かめたかったって、言ってなかったっけ?」
「それを確認したあと、私達をどうするつもりなのかは、まだ聞いていない」
「どうするつもりだと思う?」ルリがサヤに尋ねる。
「さあね。私には分からない」
「透明化を生じる人間というのは、どれくらいいるんだろう……」僕は誰にともなく呟いた。
「そもそも、あいつの言っていることは本当なのか?」サヤが尋ねる。
「少なくとも、全部が嘘ではないと思う。現に僕達は透明化を生じている」
「透明化を生じた結果、本当に姿を失ってしまった奴を、見たことがあるか?」
上の方で音がする。花火が戻ってきたようだ。もしかすると、僕達のことをどこかで監視していたかもしれない。いや、その考えは最初から頭にあった。しかし、そうだとしても、間接的にでも僕達の態度を表明しておくことは無駄ではないだろう。
階段を踏む音が幾度か続いて、やがて花火が姿を現した。彼は両手にトレイを持っている。クードルよりは運搬能力があるみたいだ。
「何かお話し中だったかな?」部屋に下り立って、彼は言った。「あともう一セット持ってこなければならない。どうぞ、続けて」
そう言って、花火はトレイをテーブルの上に置く。パスタとサラダのセットだった。パスタの具材とサラダは自分が調理したものだが、パスタのソースはレトルトだと彼は言った。
花火はすぐに引き返す。もう一往復して、人数分の食事を持ってくるようだ。
「いずれにしろ、情報不足だよ」彼がいなくなったあとで、僕は言った。「もう少し、彼の話を聞こう」
「もう、家に帰りたい」
唐突にルリが呟く。そちらを見ると、彼女はソファの上に寝そべっていた。ローファーを半分ほど脱いでいる。
「疲れたの?」
「両親が心配していると思う」彼女は言った。「出かけてからかなり経っているのに、何も連絡していない」
「連絡したら?」
「どうやって?」
たしかに、僕もルリも携帯電話は持っていなかった。サヤの方を見ると、彼女も黙って首を振る。僕達は現代から取り残された存在のようだ。
今日は何曜日だろうと思って、誰にともなく質問すると、サヤが土曜日だと答えた。そうだった。だから、僕とルリは夜まで学校に残っていたのだ。金曜日で、次の日に何の予定もないからだった。




