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半身切り捨て瑠璃色に染まれ  作者: 羽上帆樽
第1章 透過する二人の観測
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第1章 透過する二人の観測 1

 とある女子生徒が行方不明になっているらしい。


 夜が更けた教室で、僕は彼女に向かってそう話した。


 彼女というのは、クラスメイトの一人で、名前をルリと言う。僕は音でしか人の名前を覚えないから、どのような漢字を書くのかは知らない。彼女は本を読みながら僕の話を聞いている。話の内容を理解しているのか分からなかった。ただ、ときどき頷いてくれるから、話がどこで途切れているのか、くらいは把握してくれているだろう。


「それがどうしたの?」ルリが少し低い声で言う。視線は本に向けられたままだった。


「別に、どうというわけではない」僕は応じる。「ちょっと、校内で噂になっていただけだよ」


「ふうん」それだけ応えて、ルリはまた黙ってしまう。


 当然、こんな時間に学校にいるのは校則違反だった。というより、校門は定時で鍵がかかるから、普通は入れない。それに、校門には監視カメラが設置されているから、入ろうとしてもばれてしまう。つまり、僕達はずっと学校に残っていることになる。


「何の本を読んでいるの?」僕はルリに質問する。


「知らない」彼女は無愛想に答える。


「知らないって………」僕は苦笑した。「自分で読んでいる本が何か分からないで読んでいるの?」


「どうして、その生徒の話を持ち出したの?」ルリはいきなり質問する。


「別に……」僕はそっぽを向いて答えた。「ちょっと、気になったからだよ」


「ちょっとだけ、気になったの?」そう言って、ルリはようやくこちらを見る。少し笑っている顔だった。こういうとき、彼女は大抵僕のことをからかっている。


「違うよ」


「可愛い子なの?」


「知らないよ」僕は吹き出して言った。「行方不明になった人間のことを、どうして知っているわけ?」


「もともと仲がよかったから、気になったのかな、と思って」


「違う」僕は首を振る。「本当に、たまたまそんな噂を聞いただけなんだ」


 そう、とだけ言って、ルリはまた本に視線を戻してしまう。興味がないのかもしれない。


 夜の学校は、しかし、けっこう寒かった。暖房を入れようとしたが、どういうわけか点かなかった。どこかで管理されているのかもしれない。


 僕は黒板の前に立ち、黄色いチョークを取り出して絵を描く。


 教員の中に、一人だけ、文字を書くデフォルトのカラーが黄色の人がいる。見えやすいのか、見えにくいのか、僕には判断がつかなかった。一応、一般的には白がデフォルトということになっているが、黒地(というよりは、緑地?)に白という組み合わせは、人間工学とか、そういう観点から見て、どのくらい見やすい色なのだろうか。


 絵といっても、僕が描くものは図形でしかない。丸と、三角と、四角の組み合わせ。でも、世の中に存在しているものは、もしかすると、それら三つの組み合わせだけで表現できるかもしれない。


「ねえ」不意にルリが声を上げた。


「何?」僕は黒板の方を見たまま応じる。


「その、行方不明になった子のこと、気になるの?」


「どういう意味?」僕は尋ねる。


「深い意味はないよ」ルリは言った。「ただ、会いたいのかな、と思って」


「どうして?」


「いや、知らないけど……」ルリは言葉を濁す。「……でも、気になるんでしょう?」


「僕がその人のことが気になる、ということにしたいみたいだね」僕は言った。


「そうだよ」


「まあ、どうして行方不明になったのか、とは思うけどね」


「じゃあ、捜してみる?」ルリは言った。


「どういう意味?」僕は彼女の方を振り返って尋ねる。「どうして、捜す必要がある?」


「いなくなった人や、なくなった物は、捜すのが道理でしょ?」


「道理?」僕は首を傾げる。


「そういうものでしょう?」


「そうなの?」僕はもう一度首を傾げた。「聞いたことがないけど……」


「その、行方不明というのは、どういうレベルなの?」彼女は質問した。「いなくなって、何週間も経ってるとか?」


「さあ……。でも、学校で話題になるくらいだから、人様に心配される程度ではあるんじゃないかな」


「警察が出動しているとか?」


「出動ね……」僕は言った。「なんか、ヒーローものみたいで、いいね」


「高校生が行方不明になる確率って、どのくらいかな?」


「確率と、可能性って、どう違うと思う?」


「どのくらいだと思う?」


「僕の話、聞いてる?」


「聞いてない」そう言って、ルリは椅子から勢い良く立ち上がる。「ね、どのくらいだと思う?」


「さあね……。そもそも、この国では、どのくらいの人間が行方不明になっているんだろう。気になるから、ちょっと調べてみてよ」


「携帯、持ってないから」そう言って、ルリは両手を天井に向ける。


 僕は窓の傍まで歩いて行き、カーテンを開いて、外の景色を眺めた。


 隣接する大学の大きな壁が見える。左手には線路が通っていて、この時間でも、まだ踏み切りの音が聞こえた。線路の向こう側には、背の高い団地かマンションが建ち並んでいる。団地というのは土地そのものも指しうる言葉だが、マンションはそうではない。少なくとも、僕自身がそういう使い方をすることはない。


 開け放った窓の向こうから、夜の涼しい風が室内に吹き込んでくる。


 僕の隣にルリがやって来た。


「外に行きたいの?」彼女が尋ねる。


「そうね」僕は頷いた。「このくらいの時間に散歩したら、楽しいだろうね」


「楽しい?」


「楽しいといえば、皆、どうして、大声を出して笑ったりできるんだろう? そういうのを楽しいと言うのかな?」


「皆、というのは、誰?」


「高校生の生活圏内に存在する、高校生に連想可能な、自分を含めない、人間一般」


「さあ」ルリが視界の端で首を傾げる仕草をする。「でも、きっと、そういうのを楽しいと思っているんだろうね。ま、私も大して変わらないけど」


 電車が走る音が聞こえる。音だけではなく、実際にその姿も見えた。闇に覆われていて、本当は赤いであろう車体の色は今は見えない。車内の橙色の明かりが、そこだけ切り取られたかのように、夜の中を右から左へ滑っていった。


「寒い」と、ルリが呟く。


 僕は隣に立つ彼女の姿を見る。彼女は、しかし、ブレザーを羽織っている。さっきからずっとマフラーも巻いていた。もしかすると、生まれたときから巻いているのかもしれない。


 僕は彼女のマフラーに触れてみる。生地の一本一本の毛は太くて、触っていると掌が温かくなった。そのまま手を上方にスライドさせて、彼女の頬に触れてみる。想像していた以上に柔らかく、そして、冷たかった。


「何?」彼女が目だけでこちらを見る。


「いや、何も」


「外に行く?」


「どうして?」


「どうしても」


 僕とルリは荷物を持って教室をあとにした。


 廊下は冷たかった。彼女みたいにマフラーを持ってくれば良かったと、僕は思う。そう思ったとき、ルリが自分の首に巻いているマフラーを解いて、僕の首にかけてくれた。


「温かい」僕は素直に感想を述べる。


「でしょ」と言って、ルリは少し笑う。


 昇降口で靴を履き替えて、鋼鉄製の重い扉を開いて僕達は学校の外に出た。扉の先にあるコンクリート製の階段を下りる。ルリは、階段に設置された銀色の手摺りに腰を預けて、それを滑って下りていった。


「楽しい?」僕は尋ねる。


 彼女は頷く。


 寝静まった夜の街を歩いていく。外に出ようと言った張本人には行く当てもないらしく、ただ前方に進んでいくだけだった。


 途中で踏み切りに差しかかった。ルリは、警鐘が鳴っているのにも関わらず、その先に進もうとする。僕は彼女の手を握って引き留めようとしたが、無駄だった。僕の手は透明になり、彼女の腕を擦り抜けてしまった。


「どうしたの?」踏み切りの途中でこちらを振り返り、彼女が尋ねる。


「透明になってしまったようだ」


「透明じゃない。まだ、半透明だよ」


「透明と半透明の違いって、何?」


 そんな悠長な会話をしている場合ではなかった。もう、すぐそこまで電車が近づいてきている。


 ルリは僕の方を向いたまま動かない。


 薄く笑った顔。


 彼女は勢い良く踏み切りを渡りきる。


 僕の前を赤い電車が走り抜けた。


 電車が完全に通り過ぎると、ルリの身体も半透明になっていて、踏み切りのランプの赤い色が彼女の身体を染めていた。その向こう側にある街灯の白が、それに加わる。


「君も同じじゃないか」僕は笑って言った。


「ほんとだ」ルリは自分の掌に目を落とす。「すけすけ」

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