第4章 干渉する一人の活動 2
レストランの中は閑散としていた。
木枠で縁取られたドアを押すと、ぎっという軋んだ音がする。床を踏んでも同じ音がした。天井には、照明とセットになったファンが取り付けられていたが、それも今は動いていなかった。ただ、空気が滞っている感じはしない。
「お邪魔しまーす」と言って、ルリが一人で室内に入っていく。サヤがドアを押さえて、僕を通した。
僕達は適当に窓際の席に着く。テーブルは木の板をそのまま使ったような大きなもので、椅子も丸太を縦に割ったような形をしていた。右手の壁が一面硝子張りになっていて、さっきまで僕達がいた桟橋がここから見える。
テーブルの端には、メニューが置かれたままになっていた。
ルリがそれを取って開く。
「休憩と言っても、何も食べられないな」対面に座るサヤが言った。
「保存食があるよ」
そう言って、ルリが鞄の中から保存食のビスケットを取り出す。お茶の入ったペットボトルもまだ余っていたから、僕達はそれらをサヤに差し出した。
「比較的暖かい」ビスケットを一口囓って、サヤが言った。
「外は寒い」ルリが当たり前のことを口にする。
ルリが開いているメニューを、僕も一緒になって覗き込んだ。鉄板で焼かれるハンバーグやグリルの類がこの店の売りだったようだ。パンやライス、サラダなど、ほかの食べ物も種類が豊富だった。
この港は、正真正銘の船着き場には違いないが、やはりアウトレットパークとの関係を意識した施設になっているようで、専門的な用途だけではなく、レジャーの用途に使われることも想定されているみたいだった。
「これまで、どんな生活をしていたの?」メニューで遊んでいるルリを放っておいて、僕はサヤに質問した。
「どんな生活とは?」サヤは首を傾げる。
「行方不明になってから」
「その、行方不明っていうの、気になるな」サヤは言った。「私は自分の意志でいなくなったんだ。それに、君達が見つけたから、もう行方不明ではない」
「そうか。じゃあ、指名手配犯かな」
「ホテル以外に、家電量販店にも世話になった。使えるものが沢山ある」サヤは質問に答える。
「勝手に使っていいの?」
「いいか悪いかすぐには判断できない、ぎりぎりのところを攻めるのが、私の生き方だ」
僕はサヤに火花のことを話した。火花は、たぶん僕達の正体に気づいていただろう。正体というのは、透明になる存在、という意味だ。もしそうだとすれば、火花はサヤのことを知っていてもおかしくはないし、その逆もありえるかもしれないと思ったのだ。
しかし、サヤは火花のことは知らないみたいだった。人工島の存在は彼女ももちろん知っていた。僕達が通う高校の生徒であれば、ほとんどの者が知っているだろう。
「君達は、そいつの言うことに従って、ここまで来たわけか」サヤは言った。
僕は頷く。
「とすると、その人工島の管理人とやらは、私を呼んだ張本人とも関係があるかもしれないな」
たしかに、そうかもしれない。火花はそれについては何も述べていない。もっと追求すれば、教えてくれただろうか。
僕の隣でルリがメニューを閉じる。彼女はそれをもとの場所に戻した。それから、自分も保存食のパッケージを開いて、ビスケットを囓る。
「二人は、どういう関係なんだ?」サヤが訊いた。彼女は脚を組んで頬杖をついている。
僕とルリは顔を見合わせる。
「どういう関係と言われても……」僕は応じる。
「随分と仲がよさそうじゃないか」サヤはにやつきながら言った。「友人? 恋人? 家族?」
「さあ……」僕は首を傾げた。「考えたことがない」
「家族ではないわけだ」
「恋人だよ」唐突にルリが言った。
僕は彼女の方を見る。
「そうでしょ?」ルリが確認してくる。
そうなのか、と僕は思った。少なくとも、僕はそんなふうに考えたことはない。
「へえ」サヤが納得したように何度も頷く。ちょっと頷きすぎだった。
「真に受けない方がいい」僕は自分の意見を伝える。
「まあ、いいや」突然真顔になって、サヤは呟いた。「あまり興味がない」
僕達は、お腹が空いていたから、もう一袋ずつビスケットを食べた。それでちょうど最後だった。今後何が起こるか分からないから、とっておこうかと僕は思ったが、食べてしまえとルリに言われて、結局僕も食べることにした。
「一つ、訊きたいんだけど……」僕はサヤに話しかけた。「僕達は、どうして透明になる?」
「自分のことなのに、分からないのか?」サヤが応じる。
「分からない」
「そうなりたいと望むからでは?」
「望んだら誰でもなれるものなの?」
「誰でもというわけではないが……」サヤは天井を見る。「どうして、という問いの答えは、私は知らない。現にそういう事実があるというだけだ」
「自分がいつから半透明になり出したのか、分からない」僕は言った。
「私は生まれつきだから、余計に分からないな」
「透明と、半透明の違いは?」
「半が付いているか、付いていないか、じゃないか?」
サヤは冗談を言っているみたいだったが、僕は応答できなかった。
「物体が身体を擦り抜けるか、擦り抜けないかの違いだろう」サヤは言った。「つまり、密度の問題だ」
「君は、半透明にしかなれなかったことはないの?」
「ないね。ずっと透明になれる身体だった。しかし、程度は調節できるから、半透明になることもできる」
ルリがつまらなさそうに窓の外を見ている。脚をぶらぶらさせていた。
「半透明になる段階を経てから、透明になる段階に進むと考えるのが、自然だ」サヤが言った。「だから、もう少ししたら、君達も透明になれるようになるかもしれない。何か、前兆のようなものはないか?」
「前兆ね……」僕は考える。「今のところ、思いつかない」
しかし、そう言ってから僕はすぐに思い出した。
僕達は、学校の門を擦り抜けている。
それに、僕はルリの腕を掴み損ねたことがあった。
忘れていた。
それだけではない。僕達が夜まで学校に残ることができたのは、誰にもそのことが気づかれなかったからだ。それは、僕達の姿が見えなかったということかもしれない。
僕はそのことをサヤに伝える。
「そうか」と言って、サヤは頷いた。「それは、よかった」
「それって、いいことなの?」僕の隣でルリが訊いた。
「透明になることが、か?」サヤが確認する。
ルリは頷いた。
「いいことなんじゃないか。どこへでも自由に移動することができる。何をしても誰にも見られない。私はその恩恵を受けてきた。悪いと思ったことは一度もない」
「でも、貴女は、どのくらい透明になるのかを、自分で制御できるんでしょう? 私達はそれができない」
サヤは頭の後ろで手を組んで、また天井を見上げる。
「制御できない人間の気持ちというのは、私には理解できないな」サヤは言った。
「そもそも、透明になれる人間って、本当に人間といえるの?」僕は尋ねる。
「妖怪人間という言葉もあるからな」そう言って、サヤは不敵に笑う。
サヤの冗談を軽くあしらって、僕は手に持っていたビスケットを囓ろうとする。
ビスケットを食べるために、少しだけ前屈みになった。
そのとき、僕は自分が図書室にいたときのことを思い出した。
行方不明になった生徒がいる、という噂を聞いたときのこと……。
本を読むために前屈みになった自分と、ビスケットを食べるために前屈みになった自分が重なった。
同じ視点になる。
僕は妙な感覚に襲われて、ビスケットを咥え損ねた。




