第3章 邂逅する一人の干渉 5
街灯は完全に倒れきり、歩道橋の床に接触してさらに半分に割れた。外殻は金属製だから、破片は激しくは飛び散らない。床に散乱していたコンクリートが宙に舞い、砂埃を上らせた。
僕はその場に立っているだけだった。
何が起きたのか分からなくて、僕は一歩ずつルリがいた場所に近づく。上から見ると、街灯の破片が散らばっているのが分かる。
しかし、そこにあるはずのルリの身体はなかった。
ルリが身につけていたクリーム色のマフラーの切れ端だけがそこにある。端が焦げたように黒くなり、汚れていた。僕はしゃがんでそれを手に取る。
立ち上がって周囲を見渡した。
ルリの姿はどこにも見えない。
突然、僕は後ろへと引っ張られる。
驚いて背後を振り返った。
しかし、そこには誰もいない。
「誰?」
自由に動くことができなくて、僕は手足をじたばたさせた。襟もとを何かに掴まれている。引っ張る力はそれほど大きくはないが、人を移動させるには充分だった。
「こちらへ来い」
と、背後から誰かに声をかけられる。
僕は驚いて、声がした方を見ようとする。しかし、これまで歩いてきた道が見えるだけだ。
僕は抵抗するのをやめて、襟もとに手を当ててみる。すると、生暖かい何かに確かに触れた。それは間違いなく人の皮膚の感触だった。
気持ち悪くなって、僕はそれを払い除けようとする。
今度は腕を掴まれた。
僕はそこを見る。
「いいから、来い」また声がした。「人が来る。ここから立ち去るべきだ」
少し低い声だった。返事をする暇も与えず、腕を掴んだ何かは僕を歩道橋の後方へ連れていこうとする。
先ほどまで進行方向だった方で音がして、僕はそちらを見た。ルリが倒れていた場所も含んで、歩道橋が大きく左に傾いていた。崩れるかもしれない。僕は怖くなって、腕を引かれる方へ自分でも意識的に向かった。
歩道橋の分岐点までやってくる。左手に曲がり、高速道路の高架下までやって来た。
そこにルリがいた。
彼女は歩道橋の柵に寄りかかって座っている。
「来た」僕の姿を見て、ルリは言った。
「どうして……」僕は呟いた。
「大丈夫?」ルリは立ち上がり、僕の方に近づいてくる。
彼女は、衣服こそ所々小さく損傷していたが、目立った怪我はなさそうだった。
「なんともないの?」僕は質問する。
「うん」ルリは頷く。「あの人が、助けてくれて……」
そう言ってルリは横を見る。僕もそちらを見た。
空間が歪み、無から人の姿が現れた。まるで空気に溶け込んでいるみたいだった。いや、空気そのものだったと言えば良いだろうか。
「私が助けた」空気から出現した人物が僕達に言った。
現れたのは女性だった。彼女の現れ方を見て、僕は、彼女がそれまで透明だったのだと理解した。彼女が現れるときの身体の透け方が、先ほどルリの身体が半透明になったときと似ていた。
女性はルリと同じデザインの制服を身に着けている。しかし、ルリみたいにブレザーの下にパーカーを着たりせず、校則で決められた通りの格好だった。指定されたネクタイもきちんと締めている。髪はルリよりも長く、黒かった。背は僕と同じくらいある。
「誰?」僕は尋ねた。
女性は少し首を傾げる。
「言わなくても、分かると思うけど」彼女は言った。「君達の言う、行方不明者だろう?」
自称行方不明者はサヤと名乗った。ルリと同じく、日本語らしい。名字も一緒に名乗ったみたいだが、僕は聞いた傍から忘れてしまった。
「君達は、私のことを捜していたんだろう?」サヤと名乗る彼女は言った。
「どうして、そのことを知っている?」僕は尋ねる。
サヤは、とりあえずここから移動しよう、と提案した。背後を見ると、少し離れた場所で煙が上っている。
「僕達は、当事者じゃないの?」
「いいから」サヤは今度はルリの腕を掴む。「面倒事には巻き込まれたくない」
歩道橋は緩やかに下方に向かってカーブしている。そのまま歩道に接続していた。左手には道路が通っている。大通りのようで、道は隙間なく自動車で埋まっていた。
サヤは、自分は透明になることができる、と話した。
普通、それだけ聞いても信じてもらえないだろうが、僕達は半透明になったことがあるし、彼女が透明である様を直接目にしていたから、信じたくなくても信じざるをえなかった。
「私は、完全に透明になることができる」サヤは話した。「完全に透明になると、物体を擦り抜けることができる。しかし、私が何に触れるかは自分で決められる。彼女が危ない目に遭いそうだったから、助けようと試みた」
そう言って、サヤは目だけでルリの方を見る。すぐにまた前方を向いて、サヤは話を続けた。
「透明になるというのは、大気と同化することを意味する。大気と同化すれば、大気中に存在する物体やその運動を把握することができる。それで、君達のことを知ったんだ。私のあとを追ってくる者の存在を感知した。頃合いを見計らって、合流しようと試みた。そんな中、あの爆発が起こった」
「あの爆発は、何?」僕は質問する。
「知らないね」サヤは首を振った。「私は関与していない」
「貴女、私達と同じ学校の生徒?」今度はルリが質問する。
「そうだ。さっき言っただろう? 君達の言う、行方不明者だって」
「どうして、行方不明になったの?」
「呼ばれたからだよ」
「呼ばれた?」
「そう……」サヤは頷く。「ある場所に呼び出されたから、そこに向かうことにした」
サヤは、生まれたときから透明になることができるらしい。透明になるためには、透明になろうと思うだけで良いらしかった。そうすると、僕達が半透明になったのは、そうなりたいと思ったからだろうか。
「僕達や、君のほかにも、透明になれる人がいるの?」僕は質問した。
「会ったことはないが、いるはずだ。感じることはできる」
「どうやって?」今度はルリが訊く。
「つまり、私と同じように透明になることができる者は特殊だから、そういう特殊な存在として把握することができる。透明になっている私と同じ次元に現れるから、目立つんだ」
「呼ばれたっていうのは?」ルリが別のことを質問する。「誰に呼ばれたの?」
「誰かは分からない。しかし、私が君達の存在を把握したのと同じ仕組みを利用して、ある場所に来いと命じられた」
「どこに?」
「場所は何度も変更されている。指定された場所に向かうごとに、次の場所が指定された」
「もしかして、今もその場所に向かっているの?」僕は尋ねた。
「そう……」サヤは頷く。「そして、たぶん、次がゴールだと思う。徐々に発信源に近づいている」
「もしかして、今もそこに向かっているってこと?」
ルリが尋ねると、サヤは少しこちらを見た。奇妙な笑みを浮かべている。
「当然だ」彼女は頷いた。「お前達も同胞だろう? こんな無礼極まりないもてなしを企てた奴の顔を、ともに拝んでやろうじゃないか」




