第3章 邂逅する一人の干渉 3
モノレールの線路に沿って、僕達は歩いた。気温は低かったが、歩いている内に身体は徐々に暖まってくる。太陽が出てくれればもう少し快適に歩けるかもしれないが、空は今も雲に覆われたままだった。
ルリはずっと黙っている。彼女は基本的にポーカーフェイスだ。本当の意味でのポーカーフェイスではないが、本心を悟らせないという意味で、彼女の心情がそのまま表情に出ることはあまりない。しかし、そうやって本心を見せないでいることが、何よりも彼女の本心であるようにも思えた。
僕は、当初の目的を思い出す。
それは、行方不明になった生徒を捜すこと。
そのために、僕達は工業地帯に向かっている。人工島では、その生徒に直接関係する手掛かりを得ることはできなかったが、次に繋がるヒントは得られたことになる。
僕達が向かっている工業地帯は、もしかすると、ゴールではないかもしれない。そこに向かうのも、あくまで何らかの手掛かりが得られることが期待されるからにすぎない。そこに辿り着いたあとで、さらに別の場所に向かう必要が生じるかもしれない。
そこまで考えて、僕は、なぜ行方不明になった生徒を自分達の手で直接捜そうとしないのか、と疑問に思った。
なぜ、その生徒に関する手掛かりを得ようとするのだろう?
自分達で手当たり次第に捜した方が手っ取り早いのではないか?
もしかすると、僕達は、行方不明になった生徒を「捜そう」としているのではなく、その生徒を捜すプロセスを通して、別の何かを「探そう」としているのかもしれない。
その何かとは、何だろう?
「こんなに歩いたの、久し振りかも」唐突にルリが呟いた。
「疲れた?」僕は尋ねる。
「ううん」ルリは首を振る。「むしろ、ちょっと清々しい」
モノレールの線路に沿って、道はずっと続いている。左手には住宅街が、右手には海が広がっていた。さっきからずっと同じ景色が続いている。時折自動車が車道を通り過ぎていった。
途中で、火花から貰った保存食を食べることにした。コンクリート製の椅子がいくつか並んだスペースで、僕達は休憩する。歩道から一段低くなった場所で、傍に駐輪スペースがあった。モノレールの線路が頭上にある。今は僕達のほかには誰もいない。
「疲れた」保存食のビスケットを囓りながら、ルリが言った。「人間、歩くと疲れるんだ」
「そんな当たり前のことに、ようやく気づいたの?」僕は尋ねる。
「気づいても、またすぐに忘れちゃうんだよね。喉もと過ぎれば熱さ忘れるって感じ? 同じように辛い状況に見舞われたとき、やっと、かつて経験した辛さを思い出すんだ」
「楽しいことも同じ?」
「どうだろう……。そもそも、楽しいことをやっているときは、楽しいなんて感じないかもしれない。むしろ、あとになって、楽しかったんだなって気づく」
「この先、どうする?」
「どうするって、何が?」
「このまま進む?」
「進まないと、いつまで経っても目的地に着かないじゃん」ルリは言った。「まだ一時間かそこらしか経っていないよ。二時間くらいで着くって、火花が言ってなかったっけ?」
「君は、歩けるの?」
「ま、少し休めばね」
「よかった。元気はあるみたいだ」
「あるよ、いつだって。君が知らないだけでさ」
しかし、ルリは椅子に座ったまま身体を横に傾ける。背もたれも何もない椅子に座っているから、寄りかかれるような場所はない。彼女の上半身は中空で停止した。
「眠るの?」
「うーん、少し休みたいような……」
「どのくらい眠るつもり?」
「うーん、どのくらいだろう……。……君も一緒に眠りたくなるくらい?」
ルリは、上半身を傾けたまま固まってしまう。そんな体勢でいると、腹筋を圧迫して余計に疲れそうに見えた。
僕もビスケットを囓る。生地は甘いのに、表面にまぶされた調味料は塩っぱかった。
来た道を振り返っても、前方に広がる海を見ても、もう、火花とクードルのいる人工島は見えなかった。海の先には何も見えない。ずっと海だ。
海岸線と、住宅街と、その間に走る道路と、頭上にあるモノレールの線路が、すべて同じ割合で曲がっている。迷うはずのない道だった。この先に火花が言っていた工業地帯があるとすれば、本当にこのまま進むだけで良い。
けれど、そういう作業ほどつまらないものかもしれない、と僕は思った。目的に向かって一直線に進むというのは、目的を達成するためには近道になるが、人間、近道であれば良いというわけでもない。
人間の生きる先に待つのは死だ。普通、死ぬことが目的の人間はいない。生きることが目的だろう。そして、生きるというのは、そのプロセスを経ることに意味がある。
ふと、正面に座るルリに目を向けたとき、僕はビスケットを咥え損ねた。
彼女の身体が半透明に透けている。
「ちょっと」僕は彼女の肩に触れる。「ルリ」
名前を呼ばれて、ルリは徐に目を開く。本当に眠っていたのかもしれない。
「何?」彼女は僕を見る。
僕は黙って彼女の手を指さした。
ルリは自分の掌に目を向けると、その目を少し見開く。そして、今度は手の甲を見た。そうやって、手の両側を交互に見る。
「ほんとだ」
何が本当なのか分からなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
ルリは立ち上がり、自分の身体のほかの部位も見ようとする。スカートから伸びた脚も透けていた。僕の方からは、彼女の顔も透けているように見える。
それだけではなく、彼女が身に着けている制服も透けていた。彼女の身体だけではなく、彼女が身に纏っているものも同様に透けるようだ。
「どうしてだろう」彼女は呟いた。「私、消える?」
僕は何も言えない。
ルリはもう一度椅子に座り直すと、腕と脚を真っ直ぐ伸ばして、それらが透過している様をもう一度観察する。
奇妙な現象に遭遇している割には、僕もルリも比較的落ち着いていた。どういうわけか、二人とも、彼女が本当に消えるとは思っていないみたいだった。
ルリの身体を通して、背後の海を見ることができた。彼女の胴体がフィルターになり、ぼやけた海面がこちらから見える。
僕はルリの隣に座った。彼女とは違って、僕は今は半透明にはなっていなかった。
ルリが僕の顔を覗き込んでくる。
「何?」
彼女は僕の顔に手を伸ばした。彼女の手が僕の頬を擦り抜けることはなく、触られた感覚はきちんと僕にも伝達された。
しばらく黙って座っていると、徐々にルリの身体は半透明ではなくなっていった。再結晶されるように、彼女は色を取り戻していく。
「戻った」
自分の掌を確認しながら、ルリは言った。
どうして、彼女は半透明になったのだろう?
もし、半透明ではなく、すっかり透明になりきってしまったら、そのとき、僕達はどうなるのだろうか?
少なくとも、今の僕にその答えは分からなかった。




