第3章 邂逅する一人の干渉 1
翌日、僕達は人工島を発つことにした。
目が覚めると、すでにルリの姿はなかった。外に行ったようだ。腕時計を見ると、午前八時過ぎだった。四時間くらいしか眠っていないことになる。
なんとなく瞼が重たいような感じがしたが、もう眠れそうになかった。ペットボトルのお茶を一口飲んで、控え室の外に出ると、制御室へと続く吹き抜けの通路の中程にルリが立っていた。
ルリは小さく片手を挙げて挨拶をしてくる。僕もそれに応じた。
「早いね」僕は彼女の傍に立つ。「いつからここに?」
「三十分くらい前?」
ルリはすでに制服姿だった。昨日と同じ格好だ。もう洗濯は済んだらしい。どこに自分の衣服があるのかと尋ねると、ルリはクードルから受け取ったと答えた。クードルが今どこにいるのか、彼女は知らないらしい。
「火花が、朝食を用意してくれるって言ってた」ルリが言った。
「朝食を用意してくれるって、火花が言ったの?」
「レストランがあるんだって」僕の質問には答えずに、ルリは話す。「この建物じゃないけど」
「彼女は、今どこに?」
「掃除をしてくるって言ってた」ルリは答える。「クードルも一緒かもしれない」
しかし、ルリの予想は外れた。その場でしばらく駄弁っていると、間もなく制御室の扉が開いて、クードルが姿を現した。彼女も昨日と変わらない格好をしていた。
クードルは、洗濯済みの衣服を僕に差し出す。
「二回洗った」彼女は言った。「念入りにな」
「それは、どうも」
僕だけ控え室に引き返し、着替えを済ませてから、外に戻って、バスタオルとバスローブをクードルに返した。
クードルに誘われて、僕とルリは朝の散歩に出かけた。実際に散歩をしようと言われたわけではない。火花を迎えに行くみたいだった。
水族館の建物を出て、ここに来るときに通った扇形の階段の前までやって来る。階段には上らず左に曲がり、道を真っ直ぐ進んだ。左手には海が、右手には建物が続いている。その建物の中には、昔は色々な店舗が入っていたらしい。今は形だけ留めているみたいだった。
今日は空は曇り気味だった。海は比較的穏やかだ。それなのに、風が少し強い。
人工島は、右からでも左からでも一周できるようになっている。僕達は、昨日、途中でその円を横切って、水族館の建物に来たことになる。水族館は、島の入口から見て左半分のエリアに属する。僕達が今向かっているのは、右半分のエリアだった。そちらの端にはジェットコースターがある。
「今日は、どうするんだ?」歩きながらクードルが質問した。「何時に出る? すぐに出るのか?」
「いや、まだ」僕は答える。「火花が朝食を用意してくれるんじゃなかったかな」
「そうらしいな」
「では、それを頂いたら、すぐにでも出発しよう」
「飯だけは食っていくというわけか」
「駄目なの?」
「いや」そう言って、クードルは少しこちらを見る。「飯を食うんだなと思って」
「どういう意味?」
「まあ、宴をともにする仲間がいるのは、悪くない。盛大にいこうじゃないか」
「宴っていうのは、基本的に夜にやるものじゃないの?」ルリが指摘する。
海岸沿いの公園にあるものとは違って、人工でない芝生の大地に辿り着いた。人工でないというのは、芝生そのものがという意味で、実際には人の手で植えられたものに違いない。
芝生のエリアの右隣にジェットコースターがあった。近くで見ると、やはりインパクトがある。金属の骨格が丸出しの建造物というのは、街中ではほとんど見られない。
芝生の向こうに、火花の姿が見えた。彼女もやはり昨日と変わらないセーラー姿だった。ただ、今は帽子も被っている。その帽子はセーラーに則ったもので、一式を身につけている彼女の姿は、意外と様になっていた。
「おはようございます」僕達に気づいて、火花は言った。相変わらずの無表情だった。「昨晩は、よく眠れましたか?」
「いや……」僕は素直に答える。「実は、あまり眠れていない」
「私は充分眠れた」ルリが言った。
荷物になるかと思ったが、僕は忘れない内に火花にジャンパーを返した。彼女はそれをすぐにクードルに預ける。
火花は、今はトングとポリ袋を持っていた。ルリが言っていたように、掃除をしていたらしい。もっとも、今は観光客はほとんど来ないから、ポリ袋の容積は、ペットボトルや弁当の容器ではなく、落ち葉や枯れ枝がそのほとんどを占めていた。
「朝食にしますか? それとも、散歩をしますか?」火花が僕達に尋ねる。
「食事だ」クードルが僕達よりも先に答えた。
火花はクードルを一瞥すると、少し笑った。
「どうしますか?」火花は僕達に確認してくる。
「私も、食事がいい」ルリが答えた。「お腹空いた」
「では、そうしましょう」
今来た道を引き返し、僕達は水族館の傍まで戻ってくる。火花だけ水族館の建物の中に戻り、僕達はクードルにレストランまで案内された。レストランは、水族館側から見て右手正面にある。扇形の階段の麓に位置していた。
もともとはフードコートとして使われていた施設のようで、円形の室内の壁に沿って、屋台型の店舗がいくつか軒を連ねていた。僕達は彩り豊かなプラスチック製の椅子に座る。クードルはレストランの奥に消えていった。
しばらくの間、僕とルリは窓の外を見ていた。
火花とクードルは、毎日こんな所で食事をしているのか、と僕は思った。
素敵なことのように思える。
ただ、昨日の夜火花が言っていた、自分はずっとここで生活しているという言葉が引っかかった。その意味はまだよく分からないままだったが、この閉鎖的な空間で一日を過ごすというのは、どういうものなのだろう。
火花にとっては、世界とはこれだけの範囲なのかもしれない。どこに移動しても景色が変わることはないし、時間もかからない。すべて、自分の思った通りに移動できる。
そもそもの問題として、どうして地球はこんなに広いのだろうか。もし世界がこの人工島と同じくらいの広さしかなかったら、人間はどんなふうに生きただろう。何人くらいの人間なら、互いに殺し合うこともせず、穏やかに生きることができるのだろうか。
地球上では、今も戦争が行なわれている。その最たる原因は、人間の数が増えすぎたことに求められるのではないか、という気がする。もし、これだけ広い地球に、人間が百人しかいなかったら、それでも人間は戦争をするだろうか。いや、百人しかいなかったら、ほかの動物に蹂躙されてしまうだろうか……。
殺そうとしたり、壊そうとしなくても、生き物は必ず死に、物は必ず壊れる。
それでも、自らの意志でそれをしようとすることには、どんな意味があるだろうか?
思考がやや散漫になっていることに僕は気づく。何も食べていないからだろう。手が若干震えている感じがした。低血糖かもしれない。
背後で音がしてそちらを見ると、クードルが料理を運んでくるところだった。一つのトレイを両手で運んでいる。彼女は、それをまずルリの前に置いた。僕の方を見て、レディーファーストだと彼女は言った。
トレイの上には、食器が三つ載っている。シチューとスープとサラダだった。
クードルは一度に一つしかトレイを運べないらしく、結局三往復してすべての料理を運んだ。
「火花の分は?」三人分の料理が揃ったタイミングで、僕は尋ねた。
「管理長は、朝は食べない」クードルは言った。「倹約家であられるのだ」




