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プロローグ

 暗い部屋の中。彼はモニターの前に座っていた。


 モニターは壁に複数枚が取り付けられている。そのモニターには映像が映し出されていた。どこかの街の様子を俯瞰したもの、直線とその上を走る曲線から成るグラフ、あるいは、数字だけが何行にも渡って羅列されていることもある。


 それらの映像は、彼が自分の用途に合わせて表示させたもので、標準的なものではなかった。そこに映し出されている内容にどのような意味があるのか、また、一つ一つの映像の関連性はどのようなものであるのかなどは、一目見ただけでは理解することができない。


 それらの映像はそれ自体が一つの言語だった。言語は同じものがインストールされている者同士でしか機能しない。これらの映像が理解できる者は、彼のほかに一人しかいなかった。


 その一人はここにはいない。ここには彼一人しかいなかった。この部屋も、部屋の中心にある螺旋階段を上った先も、その先のドアを開けた先にある広大な空間も、今はすべて彼一人のためだけに用意されている。


 彼は、しかし、そんな静かなこの場所が好きだった。何かを分析するためには、静かな環境が必須になる。分析とは、対象以外の一切をシャットアウトし、その対象にだけ意識を集中させることで成り立つ。


 分析するためには、ただ見ているだけでは足りない。表面からでは見えない裏面を、しかし表面に現れる兆候をもとに探ることこそ、分析だった。


 部屋の照明は灯っていない。頭上にあるモニターから放たれる光と、その下の制御盤に並んだ機器から放たれるランプの青と緑の光だけが、この部屋に存在する明かりのすべてだった。


 彼は一度立ち上がり、螺旋階段を挟んだ向こう側にあるシンクに向かって、そこに置いてあるコーヒーポットを手に取る。持ってきたカップの中にコーヒーを注ぐと、その場で一口飲んでから、また制御盤の方へ戻った。この部屋は円形の構造をしているが、中心には螺旋階段があるから、直径上を移動することはできない。


 再び椅子に座って、再びコーヒーを啜る。


 今日はもう何もないか、と思いかける。


 それはいつものことだった。


 少なくとも、一週間前も、一昨日も、昨日も、何もなかった。


 何もないこと自体は、彼にとって喜ばしいことだ。彼はその何もない状況を実現させるために生きている。本当に問題なのは、何もないことを装って、本当は何かあるという状況だった。


 モニターから目を離して、制御盤の隅に置いてある本に手を伸ばそうとしたときだった。


 小さな電子音が鳴った。


 彼は伸ばしかけていた手を引っ込めて、モニターの方に向き直る。


 その電子音は、何か異常がある可能性があるときに発せられる音だった。


 彼は手もとに設置されているキーボードを何度か叩く。すると、複数あるモニターの内の一つが反応した。それはグラフを映し出すものだ。それに付随して、ほかのモニターも反応を示した。


 一つのモニターを除いて、ほかのモニターは、すべて数秒前に観測された状況を再表示するモードにシフトしていた。一瞬だけ画面が暗くなり、すぐにもとあったのと同じような映像が映し出される。


 キーボードからコマンドを送って、彼はグラフを拡大表示させる。システムが通知したように、たしかに確認の必要のある変動が認められた。


 彼はまたキーボードを叩いて、システムを別のモードに切り替える。


 すべてのモニターが同時に反応し、これまで映していたのとは別の映像が映し出された。中心に円形の奇妙なマークがあり、その周りをいくつかのエレメントが反時計回りにゆっくりと回転している。それは現実を観測した結果を表示しているのではなかった。


 キーボードに手を置いたまま、彼は一度目を閉じる。


 コーヒーの表面に生じる微細な振動が感じられた。


 音。


 彼は再び目を開き、キーボードを叩き始める。


 画面を見る必要はなかった。確認する必要があるとすれば、それは、入力した文字に何らかの意味があるか、あるいは、入力内容が間違えている可能性があるからだ。しかし、今はどちらもなかった。入力結果はモニターに反映されないし、打ち間違えることはありえなかった。


 一定のリズムでキーが叩かれる。


 すべてのコマンドを入力し終えると、モニターにその一連のプロセスの結果だけが表示される。


  +0


と表示されていた。


 彼は一度首を傾げる。その表示は、システム上存在するものには違いなかったが、現実的に表示されるはずのないものだった。普通は「0」か「+」としか表示されない。「0」は何も問題がないことを表し、「+」は問題があることを表す。「+0」は、そこに問題があるのに、問題がないと判定されたことを意味する。


 彼は傍に置いてあるカップに手を伸ばし、モニターを見たままコーヒーを口に含む。


 口に含んだコーヒーは、重力の影響を受けて胃袋に向かって流れていく。もし、重力が下方からも同じ大きさではたらいていたら、どちらにも流れないだろう。


 彼は椅子の背に身体を預けて、天井を見る。


 今は、この異常な表示に関して、対処をしなければならなかった。


 彼は制御盤の右側に置いてある本を手に取り、表紙だけ眺めて左側に置く。今日は続きを読めそうにないと判断する。それどころか、眠ることもできないかもしれない。時計を見ると、時刻はすでに午前一時を回っていた。


 どのように干渉したら良いか、と彼は考える。


 異常は異常には違いない。けれど、異常はときに革命を起こす。そういう異常のもとで、生命は生まれた。前置きのない突発的な変化が起こらなければ、人間は存在しなかっただろう。


 眠れないことへの腹立たしさを上回って、彼はその異常を喜ばしいものとして迎え入れていた。

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