先代聖女が作った翻訳魔道具が、ときどき使い物にならない件 2
『先代聖女が作った翻訳魔道具が、ときどき使い物にならない件』の続編です。
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短編設定を連載設定に変えられなかったので、新たに投稿しました。
先日、隣国スヴェーテ王国では聖女の召喚に成功し、国中に蔓延しようとしていた瘴気を完全に払ったそうだ。
我々は五十年に一度、魔山ジヤウォールから噴出する瘴気を払わねばならない。
そしてそれは、異世界からやってきた聖女にしかできないことだ。
しかしいかに聖女の力が強大でも、ジヤウォール山を挟んで反対側に位置する我が国、チェーナ王国まではその力は及ばない。だから我が国は我が国で、聖女の召喚をしなければならない。
幸いにもチェーナ王国はジヤウォール山との間に大森林があるので、スヴェーテ王国ほどの被害は受けない。とはいえスヴェーテ王国ほどではなくとも、無視できるものではない。
規模は違ったとしても、同じ脅威に立ち向かわねばならない二国。そこで友好国として毎回、情報の共有を行っている。
そうして私は、今回のスヴェーテの聖女召喚成功を知ったのだ。
「リェーヴァ王太子殿下、いかがでしたか、スヴェーテの報告は」
そわそわと、侍従がそんなことを訊いてくる。
「ああ、滞りなく、一日で瘴気を払ったそうだ」
「なんと、一日で! それは素晴らしい聖女さまを召喚なさったのですね!」
彼は驚嘆の声を上げたあと、ホッと胸を撫で下ろす。
「さすがはラズム殿下ですね」
それからニコニコとした笑みを浮かべて、そう付け加えた。
そしてその話は、あっという間にチェーナ城内中に広まった。
「この召喚を主導したのは、ラズム王太子殿下らしい」
「聖女さまは、先代をも凌ぐ魔力の持ち主だったそうだ」
「一日もかからず瘴気を払ったとか」
「ラズム殿下がおられるのならば、スヴェーテは安泰ですな」
くそ、どいつもこいつもラズムを褒めてばかりだ。
正直なところ、私とラズムには大した違いはないと思う。国は違えど、同じ王太子という立場だし、年齢だって十七歳で一緒だし、外見だって同じ金髪に緑色の瞳だし、体格だって似たようなものだ。学力……は詳細は知らないが、話をするからに、同等程度ではないだろうか。
それなのに、いつも賛辞はラズムに向かう。
以前、彼がチェーナに外遊してきたとき、歓迎会として舞踏会を開催した。
そのとき出席していた令嬢たちは、広間の隅で頬を染めながら口さがなく噂していた。
「スヴェーテの王子さまは素敵ねえ!」
「ほんとほんと、あの笑顔の朗らかさといったら。どこかの誰かに見習ってほしいものだわ」
そしてクスクスと笑う。私と目が合うと、あら、と慌てて口元を扇で隠したが、さして悪びれた様子はなかった。
どこかの誰か、とは、どうやら私のことらしい。ふざけるな。
まあ、愛想はよくない、という自覚はある。なんとか口元に笑みを浮かべようとはしているのだが、どうにも上手くいかないのだ。
だから、そのあたりは仕方ない面もあると思うのだが、聖女召喚については違うだろう。
そもそもそれは、ラズムの功績なのだろうか、と疑問だ。聖女の魔力量は、呼び出した者とはなんの因果もないはずだ。
つまり、単純に、運なのだ。
しかも新聖女は、黒髪と黒い瞳ではないという。
さらに、あろうことか、あ……あ……足を、太ももまで見せていたらしい。ありえない。淑女としてそれは許されないだろう。
瘴気を払ったからには、聖女と同等の存在ということで間違いないのだろうが……もしかしたら、なにか違うものを召喚したのではないのか。淫魔とか。
友好国との交流として、たまにラズムに会うこともあるが、あまり仲は良くない。いやもちろん外交なのだから、喧嘩を吹っ掛けたりはしない。しないのだが、親密な関係でもない。
彼は困ったように眉尻を下げて、私に忠告してくる。同い年であることの気安さもあるだろう。
「そんなふうに、つんけんしてばかりでは、威圧感を与えてしまうのではないかな」
大きなお世話だ。ラズムの憐れむような視線も気に入らない。
だがスヴェーテ王国の先代聖女は、まさしく聖女で、私をなにくれとなく気にかけてくれ、頻繁に文をくれる。
そしていつも『飴ちゃん』を同封してくる。これが美味い。私たちの知る、ドロリとした飴ではなく、固形で、口の中で舐めて溶かす。どうやら彼女が元々住んでいた異世界のものらしい。あちらにはこんなに美味しいものがあるのだ。
なぜ飴に『ちゃん』が付いているのかはよくわからない。しかし彼女は常に、『飴ちゃん』と言うのだ。当然、飴なのだから生物ではないのに、敬称を付けるのはおかしいのではないだろうか。しかし優しい先代にそんな指摘をして傷つけてもいけないので、黙ったままでいる。
その先代は、偉大なる強大な魔力でもって、異世界とこの世界を繋ぐ扉を開発した。とはいっても、聖女しか通れないものなので、本当に繋がっていると確認した者はいない。だが彼女は、扉をくぐって帰ってくると、手に『飴ちゃん』を持っているのだ。
異世界には、魔力がなくとも使えるという便利な道具がたくさんあるらしいのだが、こちらに持って帰ってきても、使えなくなるらしい。
聖女が生まれるという異世界は、どんな世界なのだろう。行ってみたい。
もしかしたらそこでは私も、閉塞感を覚えることなく生きていけるのだろうか。
◇
スヴェーテ王国とチェーナ王国は別の国とはいえ、瘴気に関しては完全な協力体制をとる必要がある。
とはいえ大抵はスヴェーテが先んじるので、助力を乞う形になることがほとんどのようだ。
ちなみに我が国の先代聖女は、扉を使って元の世界に帰り、二度とこちらにはやってこなかった。置手紙があったがあちらの言葉だったらしく、スヴェーテの先代聖女に解読を頼んだら、悩みつつ教えてくれたそうだ。
『もう二度と会うこともないでしょう』という意味のことが書いてあったらしい。言葉を選んでいる様子だったので、本当はもっと辛辣なことが書いてあったのでは、という推測もある。なので、本格的にスヴェーテしか頼れるものがない。
そういうわけで、先代聖女が製作したという、翻訳機が送られてきた。
木箱の中に、いくつかのペンダント型の翻訳機。
そして同封されていた二通の手紙。ラズムと先代聖女からのものだ。
『翻訳機は異世界の言葉を完全には翻訳しきれないので、なんとか繋ぎ合わせて解読してほしい』
さすがの先代聖女も、翻訳機などという画期的な魔道具は、完全な形にはできなかったようだ。
『聖女を召喚したら、よく説明をして、心からお願いすること。瘴気を払うことを了承するにしてもしないにしても、こちらの扉を使って元の世界に帰ることは可能だと伝えてください。飴ちゃん、同封しておきますね』
私は翻訳機を首から下げ、そして『飴ちゃん』をひとつ、口の中に放り込んだ。いつものように、甘かった。
◇
さっそく、聖女召喚の儀式を行う。事態は一刻を争うのだ。
大聖堂の床に描かれた魔法陣を、チェーナ王国でも選りすぐりの聖職者たちが囲い、呪文を唱える。魔法陣に魔力が行き渡ったか、と思われた瞬間。
「きゃー!」
魔法陣の上空に光の球が出現し、その中から現れる女性。
聖女の召喚に成功したのだ。
とはいえ、別に私の功績ではない。召喚したのは、聖職者たちだ。
やはりラズムの功績ではないな、とそんなことを思った。
「な、なに、これ」
魔法陣の中央にペタリと座り込む女性は、戸惑うようにキョロキョロとあたりを見回している。
黒髪に、黒い瞳。文献通りだ。
つまり今度こそ、本物の聖女を召喚したのではないか?
長い黒髪は後ろでひとつに括られ、切れ長の意思の強そうな目をしている。
しかも足など見せていない。……いや、見せていない……のか? 聖女は男性が履くようなスラックスを身に着けている。しかも妙に身体の線がわかるようになっていて……いや、見えてない見えてない。
私は怯えた様子で瞬きを繰り返す聖女に歩み寄る。
「失礼します、聖女さま」
「……なんて?」
彼女は切れ長の目の上の眉を寄せ、なにごとかを呟いた。
そうだ、翻訳機。
私はペンダント型の翻訳機を聖女に差し出す。なんとか身振り手振りでこれを受け取ってくれと伝えると、彼女は戸惑った様子ながら、それを手に取った。
「私の言葉はわかるでしょうか」
そう問うと、彼女は目を瞠る。
「え、ええ」
「よかった、それは翻訳機です。状況を説明いたしますので、どうぞこちらに」
へたり込んだままの聖女に手を差し出すと、彼女は眉根を寄せた。
「結構です、一人で立てます。セクハラですよ」
そうぴしゃりと返すと、私の手を無視してすっくと立ち上がった。
わからない言葉が交じっていた。なるほど、これが不完全ということか。が、とにかく嫌悪感は伝わってきた。
「では、ブリーフィングをお願いします」
冷めた声で理解不能なことを言ってくる。これは先が思いやられる、という気持ちと同時に。
胸を張って立つ彼女を、綺麗だ、と思った。
◇
彼女は腹を括ったのか、特に抵抗することもなく貴賓室についてきた。
「私はチェーナ王国王太子、リェーヴァと申します」
「……本田凛子と申します」
「ホンダリンコさま、ですね」
「あー……苗字が本田で、名前が凛子」
「では、リンコさま、とお呼びしても?」
「どうぞお好きに」
聖女は私の問い掛けにそう返してくると、黙り込んでしまった。目も合わせてもらえない。
以前、スヴェーテの先代聖女に滔々と語られたことを思い出す。そうだ、聖女にしてみれば、拉致された以外のなにものでもない。せめて誠心誠意、言葉を尽くそう。
そう心掛けながら、かくかくしかじかと聖女召喚について説明すると、彼女はこめかみに指を当て、渋面を作る。
「つまり、完全にそちらの都合で勝手にアサインされたんですね」
「面目ない。その通りです」
さっそく翻訳機の不具合だが、なんとなくはわかった。なんとかなりそうだ。
「異世界転移というやつね……。本当にあるだなんて」
そしてこれみよがしにため息をついてみせた。
「ラノベとかで読んだことはあるけど」
ラノベ……? そういえば、スヴェーテの聖女もこの召喚の知識が多少はあったとかいう話だった。もしかしたら異世界側でもなんらかの文献が残されているのだろうか。
「帰還できるというのは幸いだけど、時間の流れに差はあるのかしら……。困るわ、プレゼン資料がまだできてないのに……」
ブツブツとなにごとかを口にし、思案している様子だ。
さすがにすんなりと頼みを聞いてくれるはずもない。誠心誠意、お願いするしかない。
「どうか、お願いします。聖女さまにしか頼めないことなのです」
「聖女」
すると彼女は、きゅっと口元を引き結んだ。そしてその閉じたままの唇をモゾモゾと動かす。それから、んんっと咳払いをする。
「ま、まあ、呼び出されてしまったものは仕方ないわ。不本意だけど、やってもいいわよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「リスケしたばかりなのに……でもまあ、やると言ったからにはやるわ。私、聖女、みたいだし?」
また、わからない単語があった。翻訳機の不具合は、割と頻繁に起きるようだ。
「アサップで終わらせなくちゃ」
どこか得意そうに聖女は言う。またすべてを翻訳できなかったが、やる気には満ち溢れているらしい表情をしていたから安堵する。
少々急かされつつ、私たちは聖女を連れて、浄化の水晶がある広間に向かった。
◇
儀式が始まる。
リンコさまが水晶に手を置くと、それはじんわりと光を放った。
「おお……」
「ついに瘴気の浄化が始まる……」
感慨深げな聖職者たちの声でざわざわとしたあと、静寂が訪れた。皆が固唾を飲んで、聖女を見守っている。
水晶から出た光は、床一面に描かれた魔法陣に伝っていく。この魔法陣の隅々にまで聖女の魔力が行き渡れば、浄化は完了するのだ。
じわじわと魔法陣を描いた線をなぞるように、一筋の光がゆっくりと進んでいく。
しかしどれくらい経った頃だろうか、リンコさまは突如、その場にくずおれた。
「リンコさま!」
私は慌ててそちらに駆け寄る。リンコさまは肩で息をしていて、顔から噴きでた汗が床に滴り落ちている。
「いかがなさいましたか。ご気分が悪くなりましたか」
「これ……けっこうハードね……」
荒れた息で言葉を途切れさせながら、リンコさまはそう漏らした。
しんどそうだ。そういえば、過去最強と謳われたスヴェーテの先代でも、確か一月はかかったという話だった。
「シングルタスクだから頭を使わなくてもいいのは幸いだけど、この魔法陣全体に行き渡らせないといけないの……?」
床の魔法陣を見ながら、リンコさまは絶望感に満ちた声を零す。
そのときだ。
「スヴェーテの聖女は、一日で終わらせたという話なのに」
聖職者のうちの誰かがボソリとつぶやいた言葉が、耳に届いた。
そちらにバッと首を動かすと、まさか聞こえるとは思っていなかったのであろう聖職者は、慌てて口元を押さえる。
反省しているのを見せようとしているのか、頭を深く下げた。だが、上げた顔を見ればわかる。その者だけではない。皆が、期待外れ、と表情に滲ませていた。
期待外れ。それは、誰に対してだ。
カッと頭に血が上った。彼らをキッと睨みつける。
「スヴェーテの先代ですら、一月かかったという話だ。チェーナの先代は、それ以上かかったと資料にあった。スヴェーテの今回の聖女が規格外なだけだ。我が国のために働こうとしてくれるリンコさまに失礼だろう!」
半ば怒鳴りつけるように声を上げると、聖職者たちは縮こまった。
「も、申し訳ありません」
さすがに自分たちに正義はないと思ったのか、そう謝罪を口にする。
しかし、冷静な声が響いた。
「そういうの、パワハラですよ」
リンコさまが横から口を挟んでくる。やはり言っていることはわからないが、なにやら怒られた気がする。
「す、すみません」
「……気をつけて」
ぷいと顔を背けると、リンコさまはまた水晶に向き直った。
それから、昼夜を問わず、黙ったままコツコツと、魔力を魔法陣に染み渡らせていった。
その姿になにか思ったのか、聖職者たちも二度と侮蔑するような発言をすることはなかった。
◇
そして一月後。聖女の力により、魔法陣は完成した。
ふう、と息をついて立ち上がったリンコさまに、温かな拍手が送られる。
彼女は少し頬を赤らめて、照れくさそうに言った。
「オンスケでは進まなかったようだけど、これでフィックスということね」
だめだ、翻訳機がまるで役に立っていない。
だから結局、私は彼女の表情を読むしかできない。
しかし、そうしてこの一月、彼女を見つめているうち、それが最も大事なことではないかという気になってきた。
ちゃんと相手の顔を見る。なにを望んでいるのか汲み取る努力をする。私は今まで、そうしてきただろうか。ただただ受け入れて欲しいと望むばかりではなかったか。
「リンコさま」
私は聖女の前に跪いて、その凛とした顔を見上げる。彼女はパチパチと瞬きを繰り返し、私を見つめ返してくる。
「我が国は、あなたに救われました。感謝の念に堪えません」
そして彼女の白い手を取り、唇を寄せた。
「なんっ……!」
「そして私自身も、リンコさまに救われました。感謝申し上げます」
「ま……まあ……いいけど……」
モゴモゴと口の中でなにごとかを呟いている。どうやら今回は、『セクハラ』と怒られることはないらしい。
「では、スヴェーテにある、異世界に続く扉にお送りいたします。国を越えますので時間はかかりますが、それでご帰国できますので」
「そっ、そうだったわね。無断欠勤でクビになってなければいいけどっ」
時間の経過については私はわからない。だが、彼女の異世界での生活に、なんらかの影響を及ぼしている可能性はあるのだ。
そこを無理を押して、尽くしてもらった。なにかできることはないか。
「あちらでのことはわかりませんが……。こちらでなら、私が一生の生活を保障します」
「えっ、一生? ……あなたが? あっ、いや、仕事を紹介してくれるとか、よね?」
「仕事……でしたら、聖女としてのおつとめをしてもらえると」
「あっ、そう、そうよね」
リンコさまは頬に手を当て、なにやら戸惑っている様子だ。どうも落ち着きがない。
「あの、無理に働けとは申しませんが」
「いえっ、もしお世話になるとしたら、働かないと」
「そんな気負わずとも。ただ、そこにいてくれれば」
聖女なのだから、存在するだけでどれほどの安心感が得られるか。聖女とは、なにものにも代えがたい存在なのだ。
「えっ、えっと……」
「私も、このままお別れするのは、寂しいですから」
「そっ、そう?」
頬を染める彼女を見て思う。
言葉は途切れ途切れにしか通じなかったのに、この一月の間に、なにか通じるものはあった。たぶん私たちは、似た者同士なのだ。
「二人でなら……きっと助け合って生きていける」
絞り出されたような声に自分で驚く。それはきっと、私の心からの願いだ。
少しの間、彼女は目を泳がせていたが、それから、はにかむようにふわりと笑った。
「アグリーです」
いつもの尖った表情ではなく、違う顔を見せられて、私の心臓はバクンと音をたてる。
できれば。そう、できれば。
そんな彼女を一生見つめていたい。
もちろん彼女は、そんなことは望まないのだろう。でももし、隣に彼女がいてくれたら。
それこそが聖女がもたらしてくれる奇跡ではないか。
聖女の隣に立つ私は、そんな、埒もないことを考えたのだった。
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