残酷な現実
篝のあとをついて走るエルリィ。
その道のりは、只ならぬものであった。
「か、『狩り』だぁああ!!」
「逃げろぉ!」
多くの男たちが、今から向かう方向から走ってくる。
否、逃げてきていた。
「これは、一体」
「エルリィ」
前に立つ篝が振り返る。
「良く見ておけ。これが、先ほどの問いの答えだ」
そこで、エルリィは見た。
地獄を。
「キャハハハハハハ!!!」
あたり一面に残る暴力の跡。
それに付属するかの如く飛び散る、赤い色。
そして、先ほどまで生きていたであろう、肉塊。
辺り一面を破壊し尽くした結果か、更地一歩手前となったそこに、地獄が存在していた。
逃げ惑う獲物を面白く追い立てる者。
爪を剥がして痛みに苦しむのを愉しむ者。
貼り付けにしてナイフを投げつけ的当てをする者。
腕、足、もしくは胴を寸断してその様を眺める者。
それぞれの女がそれぞれのやり方で、獲物である『男』を、虐殺していた。
逃げ惑い、無抵抗の男たちを虐殺する、まさに地獄のような景色が、エルリィの目の前で繰り広げられていた。
「こ・・・れは・・・」
「見ての通り、『狩り』だ」
「狩り・・・?これが!?これが、狩りなのか!?」
エルリィは、思わず声を荒げてしまう。
「要塞であった事とまるで同じだ・・・尊厳を踏みにじり、命を弄ぶ行為と何も変わらない!」
「だからこそ、ここの男たちに『尊厳を守る』という考えすら起こらないんだ」
篝が歩き出す。
「ん?なんだぁ?」
その篝に、女たちの何人かが気付く。
「ラーズ」
『はい』
篝の手に、青い結晶のペンダントが握られていた。
「エンゲージ―――『ラーズグリーズ』」
篝の姿が変わる。
男の姿から女の姿へ。本来あり得ないような変身は、二度目であっても衝撃は一入だ。
しかし、その瞬間、エーテルの余波のようなものが篝の周囲にまき散らされた。
「篝さん・・・!?」
エルリィは、直感で理解した。
怒っている。
それを理解した瞬間には、篝はその手に槍戦棍をもっていた。
「お前ら・・・」
その声は、まさに怒気を孕んでいた。
「覚悟は出来ているんだろうな」
瞬間、篝が猛烈な速度で突進を始め、何が起きているのか理解できていない女の一人を叩き潰した。
凄まじい轟音が響き、その場にいる者たちは、一斉に異常に気付いた。
しかし、エルリィにとっては、この状況そのものが異常だった。
「な、なによお前・・・!」
突然、楽しみを邪魔された子供のように狼狽える女の一人が、槍戦棍を振り下ろした篝を見て、そう呟く。
それに対して、篝が返したのは、怒りを宿した眼差しだった。
そしてそのまま、槍戦棍をもって、先ほどまで彼女たちが行っていた蹂躙を始めた。
まるで同じだ。
篝が武器を振るう。そして飛び散る鮮血と肉塊。
それは、先ほどまで彼女たちが嬲っていたものと同じだ。
「このやろぉ!」
一つ違うとすれば、それは彼女たちには反撃の手段があるという事。
叩きつけられるのは、土塊の杭。
それが篝の頭に直撃する。舞い上がる土煙が、篝の頭を隠す。
それに、その土塊の杭を至近距離で叩きつけた戦姫の顔がほくそ笑む。
戦姫同士の戦闘は基本的に近接戦闘だ。
その理由は、自身が操作できるエーテルの操作可能範囲にある。
戦姫のコードスキルは、その本人の距離から離れれば離れるほど減衰する。
更に、戦姫は自身の周囲に自身のエーテルによる障壁のようなものを常に展開しており、より強く意識して自身のエーテルを放出すれば、距離の離れた戦姫の攻撃をほぼ無効化してしまうのである。
無論、例外もある。
だが、その例外はそうそういるものではない。
それ故に、戦姫同士による戦闘の基本戦術は近接戦闘となっている。
故に。
「お前程度のエーテル能力で」
エーテル保有量、エーテル操作、そしてコードスキル。それらを一重に『エーテル能力』と称し、その差が歴然であった場合―――
「俺を殺せると思ったのか?」
「な」
―――戦いにすらならない。
「へ」
篝が、その女の胸の中央へ拳を当てる。
「―――『バレルアーツ』―――Z1」
篝の拳が仄かに光ったかと思えば、拳から青白いエーテルの光が迸り、その心臓を撃ち抜いた。
まるで、ラーズがあのL字型の武器で行った事と同じように、その女はその場に倒れた。
(・・・同じだ)
エルリィは、その姿を見て、そう思った。
(殺された男の人たちも、篝さんに殺された女たちも、何も変わらない・・・)
それからも、篝の一方的な蹂躙は続いた。
篝がリンカーを起動する前の姿を見たものは少ない。むしろ、理解している者のほうが少ないために、どうしてと叫び、命乞いをする者も多い。
しかし、篝は無視して殺す。
まるで死神。むしろは悪魔。
その姿を前に、エルリィは、どうして彼が『竜殺しの悪魔』と呼ばれているのか、なんとなく理解出来た。
不条理な力。無慈悲な行為。命乞いを無視する冷徹。
まさに『悪魔』の如き凄まじさだ。
しかし、それでも―――
(あの人は、命の為に怒っている)
その怒りを、エルリィは否定したくなかった。
しかし、そこで―――
「っ!?」
エルリィは背後から聞こえた音で、振り下ろされた瓦礫を躱した。
躱して、その攻撃をしてきた者を見た時、エルリィは顔を強張らせた。
そこにいたのは、やせ細った男だった。
「あ、貴方は・・・」
「よ、よくも・・・」
その男の顔は、誰がどう見ても正気ではなかった。
いや、この状況において、正気でいる人間はどれほどいるだろうか。
そもそも、正気とはなんなのか。
(正気って、なんだっけ・・・)
エルリィの思考も状況に完全に毒されていた。
しかし、それでも、エルリィは、その男に対して、剣を抜く事は無かった。
「よくも、おれの、かぞくを・・・!」
エルリィと年の近い、男の子。
その感情を前に、エルリィの体は固まってしまう。
『よくも俺の家族を』
その言葉は、エルリィの記憶に深く刻まれいてる言葉だった。
「うわぁああああ!!」
「っ!」
エルリィは、ただその瓦礫を、腕を交差させて防ごうとした。
しかし、その瓦礫がエルリィを打ちのめす事はなかった。
「ぐぎゃあ!?」
「え!?」
突然、その瓦礫が砕け散ったのだ。
辛うじて見えた、小さな鉛の礫。それが飛んできた方を見れば、そこにはラーズが使っていたL字型の武器を構えてそこにいた。
その武器の穴のような部分からは、僅かに煙が漂っていた。
「・・・失せろ」
「ひっ」
篝の眼光に恐れ慄いたその男は、脇目も振らずに逃げ出す。
その様子を見送ってから、エルリィは信じられないものを見るように篝を見た。
「どうして・・・!」
「図に乗るな」
篝の冷たい声が、エルリィを黙らせた。
「そうなった奴から死んでいく。良いも悪いも含めて」
その冷たい視線に、エルリィは恐怖を覚える。
恐怖で、体が動かなくなる。
しかし、そこで―――
「くそっ、お前らがいるからこうなったんだ!」
その声に、エルリィの視線が動く。
すぐ傍、そこに二人の幼い男の子供たちと、武器を掲げる女の姿を見つけた。
「チッ」
それを見た篝はすぐさま、武器を向ける。
だが―――
ザンっと、エルリィが剣を振り抜いた。
「っ・・・!?」
想像以上の速さだった。
リンカーを起動し、強化された身体能力で駆け抜け、剣を引き抜いて振り抜く。その一連の動作はまさに、今までのエルリィの動きからは想像できないものだった。
(今のは・・・)
そのエルリィの動きに篝は既視感を覚えた。
その一方で、返り血を浴びて血塗れエルリィは、そっと振り向いて、地面にへたり込む男の子たちを見た。
「・・・えっと、大丈夫、か?」
エルリィは、おどおどとした様子で、その男の子たちに声をかけた。
「ひっ」
その二人の男の子たちは、おそらく『兄弟』なのだろう。
兄である男が、弟である男を抱き締めている。
怯えているのに、逃げないのは、一重に兄弟愛ゆえか。
「あ、えっと、私は、その・・・・」
「・・・・ふっ」
怯えられて慌てふためくエルリィに、篝は思わず笑みを零した。
女たちは逃げたので、場所を離れ、安全な場所に移動した篝たち。
男の姿に戻った篝は、どこからともなく取り出した木箱から応急処置用の消毒液と絆創膏で、弟の方が負った擦り傷を手当てしていた。
一方のエルリィは渡されたタオルで返り血を拭いていた。
「これでいいだろう」
慣れた手付きで篝は、それはさわやかな笑みで男の子たちに微笑みかける。
「ありがとう、兄ちゃん」
「気にするな。礼を言えるなんて偉いな」
篝はその男の子の頭を撫でる。
そして、立ち上がって、その男の子を立ち上がらせる。
「さあ、ここを離れるんだ。まだ周囲に奴らがいるかもしれない。あの方向に、こっちの手の方に一回、こっちの手の方に二回、曲がってから家に帰るといいよ」
篝は、そう言って、右手を二回指し示し、左手を一回指し示した。
「わ、分かった」
そう言って、その兄弟は去っていく。
篝とエルリィは、その姿を見えなくなるまで見送った。
「・・・次はお前だ」
「え?」
「俺の歩法を真似したな。足を痛めているだろう」
言われて、エルリィは心臓を跳ねさせた。
「ど、どうして・・・」
「分かるさ。俺の本来の戦闘スタイルは徒手による格闘だ。雑魚相手に使う必要がないから、走るときだけしか使っていなかったがな」
そう言って、篝は椅子替わりの木箱を指差す。
「座れ、今やらないと骨が歪む」
「は、はい・・・」
有無を言わさぬ物言いに、エルリィは従うしかなかった。
そうして、靴を脱がされ、妙にぺたぺたと触られる感触に、むず痒さを覚えるエルリィだが、突如として篝は謝ってきた。
「さっきはすまなかった」
「え?」
「きついものいいだった」
言われて、先ほどの事であると、エルリィは理解した。
「い、いえ、そんな・・・」
慌てて、口を挟もうとしたエルリィだが、ふと、言葉を止めると、湧いてきた疑問を、篝に尋ねた。
「あの、どうしてあの男の人を・・・」
「・・・」
篝が木箱から、包帯を取り出し、それをエルリィの素足に丁寧に巻き始める。
「・・・・どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ行動で示しても、どうにもならない事がある」
篝は、独り言のように話し始めた。
「憎しみもそれだ。理屈じゃない。奪われたから奪い返そうとする。しかし、戻らないのであれば、奪ってきた相手から、同じものを奪う事で満たされようとする。そうする事でしか、奪われた人間は浮かばれないし、奪った人間も、事の重要性を理解しようとしない」
そこまで言った所で、エルリィの足のテーピングを終えた篝は、木箱を閉じる。
「だが、その始まりが、男だから、女だからというのは間違っている」
その言葉は、今まで聞いたどの言葉よりも、強い感情が伝わってきた。
篝の視線が、通りへと向かう。
つられて見てみれば、そこにいる道端に座って項垂れる男たちの姿は、見ていて心苦しくなる。
そんな彼らを見ながら、篝は言葉を続ける。
「男だから虐げられるべき、女だから疎まれるべき・・・そもそもな話、男女の差なんてどうしようもない。どれだけの年月が経とうと、男女どちらかを選ぶ事の出来る遺伝子操作の技術は確率されていないし、どれだけ子を産もうとも、全て男となる事もある。それを、どうして否定する事が出来る?」
だから、と篝は言葉を続ける。
「俺の前では等しく平等で在らせる」
その言葉に、エルリィは思わず篝の方を見る。
「え?」
「誰であろうと、不当な攻撃は許さない。憎悪も許さない。俺の前では、誰であろうと理不尽を許さない。その為であれば、誰であろうと殺す」
「それは・・・あまりにも、残酷過ぎます。感情を否定して、復讐すら許さないなんて・・・」
「それで、人が理不尽に死ぬ理由が一つ消えるのなら、俺は喜んでそうしよう」
篝の眼差しは、酷いほどに真っ直ぐだった。
「必要とあらば殺す。しなければならないなら壊す。理由があるなら憎まれもする。例え、悪魔の誹りを受けようとも、俺は世界の憎悪を受け止める」
その覚悟は、その決意は、とてもではないがエルリィに測れるものではなかった。
それほどまでに、篝が巨大に見えた。
「最も簡単なことですら、これほどの事をしなければならない。世界を変えるっていうのは、それほどまでに難しい」
遠い所を見ているようで、しかしそれでも、その顔に諦めは無い。
篝は、本気でそうしようとしているのだ。
「エルリィ、俺に共感する必要はない。俺についてくる必要はない。俺は、世界の為に自分の人生を捧げる事を選んだ。その在り方は、見方によっては酷く歪なものだ。お前は、お前の人生を歩めばいい」
エルリィを見て、言う言葉に、エルリィは胸を締め付けられる感覚を覚えた。
「ただ、お前のような奴には、この残酷な現実を知っていてほしい。その上で、お前が行きたいと思う道を進んでほしいと思う。例え、それで敵対する事となっても、俺は構わない」
篝のそのなんでもない言葉に、エルリィは癖で左腕を掴んでしまった右手に力を込めてしまう。
「・・・・」
「・・・・そろそろ移動しよう。ここは―――」
俯いて、黙ってしまうエルリィ。その彼女に、篝はしばし間を置いて、移動を促そうとした時、
「―――エルリィッ!」
突然、エルリィを横へ突き飛ばした。
「うっ!?何を―――」
そして、エルリィが次に見たのは―――
―――胸から鮮血をまき散らす篝の姿だった。
「・・・・・え?」